春の夢

霜月 偲雨

春の夜の夢の如く


今夜は、春の風が煩くて、眠れなそうになくて、布団に座って、君がくれたぬいぐるみに向かって話しかける。

「君は、今、何しているんだろうね。」

 夢の中では、君はまだ私と挨拶をしてるのに。君はまだ私の話を隣で聞いてくれてるのに。君はまだ私を特別と呼び続けているのに。現実はちがう。

 朝、校門を抜けると、昇降口の手前であの人を見つける。同じタイミングで目があって、そのまま隣に並んで、どちらからともなく、挨拶をする。そして、クラスまでおしゃべりしながら向かう。小テストがとか、席替えがとか、そんなどうでもいい高校生の会話。

 夕方、誰もいなくなった教室で、勉強しながら、ほんの少しのおしゃべりもして。暗くも明るくもない夕焼け空の中、別れ道に着くまでの坂道をのんびり歩いて下っていく。私たちだけの、私たちにしかない、たわいもない日常の時間だった。

 何度も何度もDVDなら擦り切れてしまいそうなほど再生ボタンを押してしまう。なんでこんなに思い出して、切なくなるのかわからない。本当は気づいてるけど、見ないふりしている。だって、名前のなかった私たちの関係に、今更名前をつけて、型にはめても、きっと仕方のないことだと思うから。

 夢を見た日の学校は、無意識か意識的か、その夢をなぞって行動してしまう。寂しくなるのはわかっているのに。もう、戻れない場所を、聞けない声を求めてしまう。

 君が好きな歌をイヤホンで流して支度して、登校しながらあの人を探す。見つけられなかったら仕方がないけど、見つけた時には弾む心。それでも、合わない視線。廊下にある学年書庫の前で立ち止まって、君が好きな小説の背表紙をなぞる。前だったら、移動教室から戻るタイミングで声をかけてくれてたのに、背中を通り過ぎる話し声。手がカサついたら、君が好きな金木犀の香りのハンドクリームをつける。もう、いい匂いって言われることもない。お昼は購買の君のおすすめのメロンパンを買って。でも、美味しいなっていう相手もいなくて。相槌は口癖の「まじ」を多めに言ってて。でも、真似すんなよとかも、もう言われることもないんだな。

 とことん、馬鹿みたいに君につなげてしまうんだ。意味ないことなのに。


 共通点が私たちを繋いで。互いの好きが私たちに絆をつくって。互いの欠けた部分が私たちに愛しさを教えて。いつの間にかなった特別に気づかないまま時間が過ぎた。考えないように。目先の楽しさだけに目を向けて。いつか無くなるなんて思いたくもなくて。

 いつしか、一方通行になっていたことに気づいてしまったから。無視できなくなってしまった。

 つかない既読。送られてこないライン。無関心な相槌。投げかけられなくなった質問。変わった好きなバンド。

 私に興味がなくなったんだって、簡単に割り切れたら、こんなに苦しくないのに。そう思いたくない心が、忙しんだとか、疲れてるんだとか、喋らなくても通じ合えるとか、苦しい言い訳を考えついてくる。一日、一週間、ひと月、三ヶ月。確実になくなっていく会話。繋がり。


 細く、か細い糸は、桜が芽吹くよりも先に完全に途絶えた。きっと、桜を見に行く約束は叶うことはない。


 私ばかりが共通点探しを続けてた。

 私ばかりがあなたの好きを知りたがった。

 私ばかりがあなたを愛しく想ってた。

 夕方、そそくさと帰る君、教室に残る影は一つ。

 失ってから気づく大切。なんて、ありきたりになってしまった私たちの関係。言葉にしてたらなんて後悔はもう遅くて。素直じゃなかった自分が吐いた言葉たちが今になって思い出されて、化膿した傷をさらに痛めつける。


「私、恋人とかいらないな。」

 いつかの放課後に、二人きりの教室で私が吐いてしまった言葉。まだ、私たちの影は重なっていたのに。

「だって、十分じゃん。今のままで。」

 急にどしたんよ、ってキョトン顔の君に笑ってしまった。この関係を壊さないための強がり。ちょっと経って、君は少しだけ真面目な顔をして、

「俺もそう思ってる。ずっとこのままがいいな。恋愛とか、そういうの向いてないからさ、俺。」

 ずっと。この言葉に簡単に期待する。約束ほどに強くはないけれど、残り続ける魔法の言葉。不確定な将来を縫い止める言葉。

 関係が消えていってしまうその瞬間まで、あなたが言い続けた言葉たちが、それを言った時のあなたの顔、声、文面と共に頭の中をぐるぐると回ってる。

「ずっとこのまま。」「特別だから。」「いつもありがとう。」「あんたにしか頼めない。」「あんただけだよ。」「あんたがいてくれて良かった。」

 私に残って、離れない。私を満たす魔法の言葉。私の寂しさも苦しさも全部消してくれる。私を依存させる言葉。

 負けじと私も言った。

「大学も、その先もずっと。」「お酒、一緒に飲もう。」「他には言えないから。」「二人の秘密。」「特別なんでしょ。」

 この言葉たちはまだ、君の中に残ってるかな。私に刺さっているみたいに、君にもしつこく響き続けているかな。そんなことを願ってしまう。消えてほしいとも思っているくせに。日に日に薄れていく存在が私とあなたの関係が幻想だったように思わせて、悲しくなるから。せめて言葉だけでも私の中に残って欲しいなんて、願ってしまうのはいけないことかな。もう一度なんて期待はしないから。せめて、思い出のまま、忘れたくない。

 私が何か行動を起こしていれば、離れていく前に何かできていれば、その前に仮初でも、その名前が正解じゃなくても、強引に関係に名前をつけていれば良かった。そうすれば赤い糸は私たちを繋いでくれていたかもしれないのに。そんな後悔を考えてしまう私を許して。許してよ。

 ずっとなんて信じなければ。コーヒーの香りがする度、恋しくなることもなかったのかもしれないのに。毎朝飲んでたカフェオレがもう飲めなくなっちゃったよ。


 おもむろに開いた君のSNSには幸せそうな投稿が並んでる。

 君は嘘つきだったね。恋愛とか向いてないって言ってた癖に、少し前に後輩彼女ができたって、人伝に聞いたよ。私は笑った。私は多分、心から祝福しようとした。それを教えてくれた友達は

「あんたが彼女だと思ってた。すっごく仲良かったよね?」

って。周りから見ればそうだったのに、私たちだけそうじゃなかった。そうじゃないってことにして自分たちを特別にしてた。そして、私だけ、自分の気持ちに気づかなかった。みんなには

「そうだったかな?友達だったなとか思うけど、もうわからないや。」

なんて言って笑った。友達、ともだち、なんて都合のいい言葉だろう。

 涙は出ないのに、その日から少しだけ気分がおかしい。胸が冷たくて、些細なことで苦しくなることが増えて、でもどうしようもない、泣けないんだから。恋かもしれなかった気持ちはそうじゃないって、涙が出ない時点で、おめでとうって言える気持ちもある時点で、わかるから。わかってるのに。私は何にこんなに悩んでいるんだろう。


 二十三時を回った時計を見る。いつもだったら、電話かラインかをしてた時間だなって思う。失った時間の代わりに寂しさが押し寄せる。思い出したくないのに。

 本当に私たちの間には共通点が、絆が、愛があったのかな。曖昧で、あると思っていただけの幻想だったんじゃないかな。

 なくなったものを埋めるように、あなたの代わりを探してしまうたび、今度は一人にならないように、唯一絶対の愛を欲する。ありはしないものだとわかっていても。

 擦り切れた記憶は三ヶ月も経った今じゃ、画質も音質も落ちて、色褪せた。

 友情で終わった思い出、気持ちの残滓が少しずつまとまって、ただいい話として、美しいトゥルーエンドを描き出そうとしてくる。たった三ヶ月、されど三ヶ月。飽き性な私はもう、そんな話には飽きてしまって、新しい物語のために動き出してしまっているよ。あなたもきっとそうだよね。ちょっと不思議で、普通の型にはめられない、でも何度も見れば飽きてきて、どうでもよくなって、思い出すのも少し億劫になって、でも夢に見ると苦しくなって、しばらく頭を離れなくなる、私とあなたの物語。

 フィクションじゃないから、私たちはどうにもならなかった。フィクションだったら、ちゃんとどうにかしてくれたのに。中途半端な気持ちだけ残って、私ばかりを傷つける。

 彼女が出来た話を聞いた時、本当は悲しかった。あの人はもう何も思ってない。うじうじして引きづってるのも、目で追ってしまうのも私だけ。ふたりで始めたはずなのに、いつの間にかひとりになってたことが事実だって突きつけられてるみたいで。でも、痛いのは嫌だから。痛みに見ないふりために考えないようにしてた。諦めたフリしてた。強がってた。全然平気じゃない。痛い。ちゃんと痛いよ。あの人以外はいらなかった。あの人だけいれば満足だった。でも、だから、天秤はズレていって、偏り過ぎた私を誰かが移し替えたんだ。天秤の器はふたつだけ。わたしはもういらない子。愛されたいのも、愛したいのも。普通のことのはずなのに、私には普通ができない。言えば変わった?なにが?きっともっと早く崩れてただけ。あの人にとって私は、嘘をついても、約束を破っても、どうとも思わないぐらいどうでもいい人間だった。なのに、私はこんなにも期待して、こんなにも大切にしてしまった。自分の心を削ってしまった。あの人で埋めるはずだった穴が少しずつ広がって。寂しさ溢れて、猛烈に自分を襲う。目頭に熱が溜まっては、こぼれ落ちた。諦めたなんて言葉は使うんじゃなかった。もっと正直になってれば、私はもっと可愛いげのある女の子になれて、幸せは消えていかなかったのかな。分からない。どこで間違えたのか。もう消えたい。いらない子で生きるのは辛いよ。


 朝いちばん。重い瞼を開きながら思った。

 私たちの関係は、きっと恋じゃなかった。近すぎて、少しも偽りのないことが、かえって私たちを傷つけあって。共依存のようなそれは、恋のように綺麗ではなくて、恋と呼ぶには汚れすぎていた。

 でも、友情と呼ぶには少しばかり、遠慮があって。

 そしてきっと、愛と呼ぶにも曖昧で、自分勝手だった。

 友情という肩書きにはめ込もうと、胸の鼓動も追ってしまう目も見ないフリ、考えないふりをしていた日々はきっとあったけど、それはそれで幸せだったと信じてる。私は変わらないものを愛したかったのかもしれない。変わらない、揺るがない、消えないそれを求めていただけ。あなたが変わってしまったから、私は愛せなくなったのかな。私は愛されなくなったのかな。それとも、変わったのは、私の方だったかな。

まだぬくもりが残るベットから出て、窓を開けた。

 世界は移り変わっていくんだ。私の知らないところで、友情は恋は生み出されては消えていく。手につかんだ桜もいつかは茶色くなって、褪せてしまうように。変わらないものなんてないんだきっと。

 開けた窓から流れ込んだ花びらを一つ掴んで、春の風にそっと乗せて、手を離した。

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