とおとやひら

 進級してから、春子さんたちは大学受験やらのことで忙しくなり、めっきり会う機会が少なくなった。

 唯一、相楽先輩は卒業後の進路が既に決まっているらしく、度々花壇で鉢合わせた。

 けれど、それもセンター試験が終わって間もなくして、なくなる。ともすれば学校の名前がぐらつくような事件が起こったからだ。

 相楽先輩の殺害未遂事件。被疑者は以前何度か話題に挙がっていた神童さんだったらしく、学内では大きな話題となった。

 面会に春子さんや夏帆さん、そして初対面のゆきさんと一緒に行ったけれど、相楽先輩は精神が不安定な状態だということで家族以外の面会は謝絶となっていた。

 その旨を伝えた哀音さんは苦しそうな顔をしていて、春子さんも苦々しい面持ちになっていたことをよく覚えている。

 その後、相楽先輩は出席日数を埋めるために保健室登校になったらしいが、ぼくらが顔を合わせることはなく、卒業式にまで来なかった。

 代理として、哀音さんが卒業証書を受け取りに来たのは知っていた。




 そんな目まぐるしい毎日の中、ぼくに大きな衝撃をもたらす出来事が起こったのは、その卒業式直前のことだった。

 式典前に卒業生に花飾りをつけに行ったとき、二人のクラスが割り当たり、ぼくは二人と顔を合わせることになった。

 ぼくは春子さんに花をつける担当だったのだが、夏帆さんの担当の生徒があまりに不器用で、安全ピンを何度も指に突き刺していたのを不憫に思い、ぼくは結局、春子さんと夏帆さん、二人分の花を制服に飾った。

 ありがとな、といつもの爽やかな笑顔で返す春子さんとは違い、なんだか夏帆さんは様子がおかしかった。どこか落ち着きがなく、もじもじとしているようで、ぼくはどうしたんだろう、と思って、夏帆さんに声をかけた。

 すると夏帆さんはいつになく真剣にぼくの目を真っ直ぐ見て、それからぼくを廊下に連れ去った。ぼくはわけがわからないまま、廊下に出た。

 何なんだろう、と夏帆さんを見ると、夏帆さんは頬を赤らめていた。明らかに普段の彼女とは違う。これから何が起こるのか、と思い、夏帆さんをじっと見つめていた。

 不意に教室からの喧騒を置き去りに、夏帆さんの声がぼくの耳に届いた。

「にっしー……いや、西園秋弥くん。アタシはキミのことが好きです」




 そこからのぼくの混乱は語るべくもない。鳩が豆鉄砲を食らった、とでも言えようか。ぼくは夏帆さんからの突然の愛の告白に面食らった。

 けれど、思い返せば、思い当たる節がないわけではない。夏帆さんはやたらぼくに抱きついてくる機会が多かったし、小学生の頃、ぼくとの別れを誰よりも悲しんだのは彼女だった。そして、高校になってぼくとの再会を誰よりも喜んでいたのは、彼女だっただろう。

 それでも、ぼくは戸惑わずにはいられなかった。ぼくの好きな人は変わらず春子さんのままだったし、その春子さんが夏帆さんに未だに好意を向けているのはわかっていた。証拠に、夏帆さんには一切浮いた話がなかったのだ。夏帆さんは平均的な顔面偏差値だが、決して顔は悪くないし、性格もちょっぴりお馬鹿なくらいで悪くはない。そんな夏帆さんが誰にも言い寄られなかったのはきっと、陰ながら春子さんがそういうやつらを揉み消していたからだろう。

 春子さんの心情を思いやると、複雑な心境になった。いくら諦めたとはいえ、まだ好意を抱いている人のことだったから。

 だからぼくは悩んだ。卒業式まで時間がないから、悩める時間は少なかった。故に、ぼくはぼくにしては手早く決断した。

「付き合ってください」

「……はい」

 躊躇いは、少しだけだった。

 夏帆さんは恋ばなをする割には疎い方だ、と思っていたから、ぼくの迷いを悟らせないように早めに頷いた。

 何も知らない夏帆さんは、花の咲いたように笑んだ。その笑みはさながら、いつか汀邸で見せられた向日葵のような笑顔だった。

 ぼくは見ていられなくて、夏帆さんを軽く抱きしめて、彼女に感情を悟られないように表情を隠した。




 向日葵の花言葉は「あなただけを見つめる」が代表的なものだ。

 だが、あまり心象のよくない花言葉もある。それが「偽りの富」だ。

 自分の気持ちを偽って、幻のような幸福を手に入れたぼくには似合いの花言葉だ。


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