とおとななひら
「かなくんもまじ優良物件だよねー」
帰り道、何気なく夏帆さんがそう切り出した。普段なら「物件って人に使う言葉じゃないだろ」とツッコミが飛ぶはずなのだが、春子さんは短く「ああ」と答えた。
これには夏帆さんも驚いたようでこのように口走る。
「春子、まさか色気付いた!?」
「なんか失礼だな
「夏帆の発音であほっていうのやめて!」
いつもの調子に戻る二人だが、春子さんは色気付いた、というのを否定しなかった。まあ、夏帆さんが冗談みたいに言うものだから流しただけ、という可能性もあるが……春子さんは哀音さんとの今日の出会いを少なからず思っているのではないか。
そんな疑念を持ちながらやきもきして過ごすこととなった。相楽先輩との交流は続いている。ということは自動的に哀音さんと交流することになり、ぼくは哀音さんが春子さんと話しているのを見ると、なんだかもやもやした。
というのも、ぼくの考えすぎかもしれないけれど、哀音さんと春子さんだとなんだか距離感が近い気がするんだ。春子さんはぼくのことを未だに西園って呼ぶのに、哀音さんのことはかなくんって……一緒にいた時間は圧倒的に違うはずなのに、ぼくより距離が近いように見える。それが悔しくて、けれど、想いを春子さんに伝える気概もない自分が情けなくて、ぼくは密やかに泣く日があった。
もう十年にもなる恋心をぼくは秘めたまま、進級することになる。一年生の三月。夏以来定例になりつつある汀邸での勉強会でのこと。
この勉強会というのが、テストで赤点常習犯の夏帆さんのために執り行われるものなのだが、夏帆さんはこたつに足を突っ込んで、どこかのぐったり系ゆるキャラの模倣をする間、ぼくは春子さんと庭で二人きりになる機会があった。
二人きりになるだなんてぼくは想定していなくて──情けなくも、告白に踏み切れない理由の一つだ──ぼくは挙動不審になりそうなのを必死でこらえ、花を見て気を紛らしていた。
けれど、春子さんはこういう機会をずっと狙っていたのだろう。ぼくら以外の人気がなくなるや否や、口を開いた。
「なあ、西園。ちょっと話を聞いてくれないか?」
「は、ひゃいっ?」
情けないくらいに変な声が出て恥じ入った。春子さんはからから笑って、そう固くなるなよ、といった。
「固くなられるとあたしも困るんだ。……実は相談があってな」
相談、と聞いて少し嫌な予感がする。相談なんてされるような人柄じゃないのは自覚しているが、そういうことではなく。なんとなく感じられた春子さんの真剣な声音に相談の内容を察してしまったのだ。
まさかとは思うが。
ぼくは今更わざとらしくしか聞こえない咳払いをすると、何事もなかったように「なんですか?」と聞き返した。
神妙な面持ちで、春子さんは告げる。
「好きな人に好きだって伝える場合、どんな言葉を選んだらいいのかなってさ」
「え……」
そのまさかだった相談内容にぼくは絶句した。
恋愛相談をされた場合、その人物のことを親友くらいには思っていても、それ以上と思われることはない。どこかで聞いた話だが、十中八九当たっていると思う。好きな人にそれとなく聞いてそのシチュエーションを整えるようなトリッキーな気質の人は例外だと思うが。……春子さんがトリッキーかどうかは知らないが、ぼくは十中八九の方に意識が傾いた。
好きな人に好きだって伝える場合、どんな言葉を選んだらいいのかな。……それはぼくには答えられない問題だ。何故ならぼくは好きな人に好きだと十年も言えないでいるのだから。
ただこれは機会でもあった。別に法律が絡むわけではないけれど、ぼくに向けられた質問の答え方は考えようによっては合法的に好きだと口にできる事態であったから。
ぼくは震える唇を何度か開閉し、意を決して喉の奥から声を絞り出した。
「春子さん、好きです」
自分でも、よく言ったと思う。この想いが報われることはないし、意味が通じることもないだろうが、春子さんに好きだと言えたのだから。
ぼくは表情が崩れないようににっこり笑って、こう続けた。
「シンプルにそれだけでいいんじゃないですか?」
そういう提案という形にして、誤魔化してしまおう、とぼくは笑った。
今までで一番苦しい笑みだった。けれど、幸か不幸か、春子さんはぼくを見ていなかった。「そうか……」と空気に溶け込むような声で呟いて、宙をぼんやり見つめていた。
きっと、春子さんは今、そこを見てはいない。哀音さんか、もしくはまだ思い続けているなら、夏帆さんの姿を見ているのだろう。
ぼくが春子さんの中にいないとわかった瞬間だった。
「参考になった。ありがとう、西園」
春子さんはそう微笑んだ。
ああ、今思い知らされたばかりだというのに。
そんな微笑みを向けられると、想われているのではないか、と錯覚してしまうではないか。
春子さんは、優しくて、残酷な人だ。
ぼくは諦めたはずなのに、恋心を捨てられないまま、高校一年生を終えた。
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