第7話 聞いてない
深川さんは、もう70は超えていると思われる女性で、この会社の清掃を請け負っている会社のパートさんだった。
男性社員が中身の入った缶コーヒーをそのままゴミ箱に捨てようとしたのを、注意したことにお礼を言われて以来、話をするようになった。
気がつけば、お昼を一緒に食べるほど仲良くなっていた。
深川さんは全フロアを回っているだけあって、いろんな情報に精通していて、時々それを教えてくれる。
3Fは主に倉庫のように使われているフロアだから、女子トイレも人が来ることはない。
それを見越して「おいで」と言われたようだった。
階段を使って、3Fの女子トイレに行くと、深川さんは既に来ていて、わたしのことを待っていた。
「聞いたよ、異動するんだって?」
「はい。いきなり今日言われて……」
「急に売り場に異動って、会社もあんまりだよね」
「異動先って、販売なんですか?」
「聞いてないの?」
「……わたし、何かやらかしちゃったのかな」
それとも、販売促進部から販売へ異動なんて、よくあること?
ふうっ、と深川さんはため息をついた。
「大垣優次だよ」
「えっ?」
「付き合ってたろ?」
「どうして知ってるの?」なんて、愚問だった。
深川さんはこの会社のことは何でも知っている。多分。
「日曜日にフラれました。もうつきあってる人がいるみたいです」
「その彼女誰だか知ってる?」
「後ろ姿だけ見ましたけど、誰かまでは……」
「専務の娘だよ。秘書課の高村聖奈」
「嘘……」
「自分と付き合ってるのに、あんたがその彼氏にちょっかい出してきてる、って父親に告げ口してた」
「そんな……」
「それと、あんたが休んでる間に、あの男、高村さんと付き合ってるのに、あんたが執拗に言い寄ってきてて迷惑してるって、部署の人らに有る事無い事言いふらしてた」
「言い寄るとか……そんなことしてない」
「あんたの方が長く付き合ってたのにね。ま、そういうこと。何も知らないままじゃあ納得いかないと思って」
「ありがとうございます」
「どうするの? 大人しく行くの?」
「どんな仕事でも、大切な仕事だから。企画の仕事が好きだったけど、きっと販売も好きになります。深川さんと、もうお昼ご一緒できないのは残念ですけど」
仕事を失うわけにもいかないから。
「黙っておこうかと思ったんだけど……」
「何ですか?」
「大垣優次が何であんなに早く主任になれたか知ってる?」
「仕事頑張ったから」
「あんたのやってきたこと、全部自分の手柄にしてきたからだよ」
「え?」
「これまで出した企画書にあんたの名前は載せてなかった」
「え? でも……」
「あんたが交渉して落とした初出展の店も、新しく開拓した店も、全部自分がやったことのように上に報告してた」
「どうしてそんなこと知ってるんですか?」
こんなの愚問だとわかってた。
深川さんは何でも知っているし、嘘なんてついたりしない。
「あたしらは、あいつらにとっては、いないも同然だから。清掃の人間なんて気にしてないんだろうね。あたしがゴミ集めてる横でペラペラ話してたし、PC上で企画書をあんたに見せた後、あんたの名前を平然と消してから上司に送信するのを何度も見た」
「そうだったんですか」
だから課長は、わたしが誰かに引き継ぎするような仕事なんてないだろう、みたいな言い方したんだ……
「今まで黙ってたこと、怒ってる?」
「いいえ。わたしの名前が出るとか出ないとか、そういうのはどうでもいいです」
「小鳥遊さんならどこへ行っても大丈夫だね」
「褒め言葉ですね? ありがとうございます。深川さんも、体調崩されないようにお元気で」
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