後編

 父は案の定、マリアを叱責した。

 当然だ。マリアは与えられた役目を果たせなかった。果たせる器ではなかったのだから。


「お前には失望したぞ、マリア」

「申し訳ございません……」

「皇帝陛下の寵愛を賜われないお前に残る利用価値はない」


 その問いにマリアは答えられなかった。

 わからなかったわけでは、ないけれど。


 このままでは他の男との縁談を用意され、嫁がされることになる。

 貴族の結婚なんて所詮政略だ。愛はなくて当然のこと。それでも、嫌だった。


 他の男のものになりたくなかった。皇帝陛下への気持ちを過去のものにしたくはないから。


 どうしたら逃れられるかと考えた。

 父に生き方を強いられ、愛する相手から不要とされたマリアができるささやかな復讐の方法――それがたった一つだけある。


「皇帝陛下は、何か想ってくださるかしら。それとも私ごときじゃ心を揺らせないのかしら」


 マリアは文を綴る。恋文ではなく、辞世の文を。

 これは誰に預けよう? 友人の子爵令嬢か、男爵令嬢か。あの二人なら信頼できると思い込んだままのマリアは、御者に手紙を持たせて走らせる。


 これでいい。これでいいのだ。


 縁談を探すのに必死な父は、こちらの行動なんてどうでもいいのだろう。マリアが手紙をしたためていることを気にも留めなかった。

 だからふらりと屋敷を出て、裏にある池の前に立っても誰にも咎められはしない。


 ドレスの裾をたくし上げ、ひたり、と白い足を水に漬ける。

 寒い時期に差し掛かろうとしているからに違いない、氷のように冷たくて体の芯から震えたが、一歩また一歩と深いところを目指して歩みを進めていった。


 優しくて空っぽな彼の胸にわずかでも爪痕を残せればいい。

 そのために、どうしようもなく愚かなマリアが選んだのが自死だった。


 辛いのも苦しいのにも慣れている。知らず、口元に笑みすら浮かべていた。

 熱に浮かされるのと比べたら水が冷たいくらいどうということはない。やがて足先の感覚がなくなって、自分がどこにいるのかわからなくなって――それで終わりだ。


 一体、自分はなんのために生まれてきたのだろうかと思う。

 全部全部間違っていた。生まれてきたことも、皇帝陛下に出会ったことも、叶わぬ恋をしてしまったことも。


『私は、あなたの最愛になりたかったのです』


 辞世の文の末に記した言葉を思い返しつつ、伯爵令嬢マリア・フォークロスは静かに静かに息絶えた。








 結果として、マリアの死は皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルドの心にさざ波すら起こせなかった。

 なぜなら彼女は病死と発表されたからだ。


 マリアが信頼し、手紙を預けた男爵令嬢と子爵令嬢は手紙を焼いた。

 子爵令嬢らは後日マリアを死に追いやった一因になれたことで、皇妃の座を狙う他の令嬢の親から報酬を与えられる。

 けれどもその賄賂の存在が公になるが早いか、指示役の令嬢共々『国の秩序を乱した』として冷酷非道の皇帝の手で処された。


 一方、マリアを池の中で発見した使用人はすぐさまフォークロス伯に報告。

 フォークロス伯は遺体を秘密裏に処理し、替えを用意して盛大な葬式を開いた。当然、マリアの本当の死因を知る第一発見者の使用人はすでに始末されている。


 そうしてマリアは病死した。

 その知らせを聞いても皇帝は「そうか」と呟いただけだ。そこには何の感慨もありはしない。

 『父親と共に執拗いくらいに縁談を打診された』という風にしか彼の記憶には残らなかった。


『私は、あなたの最愛になりたかったのです』


 マリア・フォークロスが叶えられなかった恋心は、永遠に届くことなく、虚空に消えたのである。

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その伯爵令嬢は、冷酷非道の皇帝陛下に叶わぬ恋をした 柴野 @yabukawayuzu

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