中編

 マリアは皇帝陛下の特別になれるかも知れないと信じていたし、特別になりたかった。

 送った文はおそらく、使用人か誰かに握り潰されたか何かしたのだろう。


 想いは届かなかった。届く前に、破り捨てられていた。


 高熱は長く続いた。何度も生死の境を彷徨ったが、社交界で作った友人たちに励まされたおかげか、どうにか死なずに済んだ。


「マリア様こそ皇妃に相応しいお方ですわ。こんなところで挫けて、どうなさいますの」

「そうですそうです!」


 特に親しい子爵令嬢と男爵令嬢は、差し入れまで持ってきてくれる。

 差し入れの菓子類を食すと少しお腹を壊してしまったけれど、まっすぐな優しさが嬉しかった。


 差し入れにわずかな毒が仕込まれており、親しいと思っていた二人が陰で彼女を嘲笑い、他の令嬢の指示により見舞いの体でマリアを弱らせいずれ殺そうと企んでいたことなんて、彼女が気づくはずもない。


「ありがとうございます、皆さん」


 結局、彼女の体調が良くなることはなかった。

 そうしているうちに二度目の登城の日――どうやら、一度の話し合いでは片がつかなかったらしい――が迫ってくる。


 ふらふらの体で、足を引きずるようにして、それでもマリアは行くことに決めた。

 手紙を知られてなかったことはマリアは陛下の特別でも何でもない。だが、ならば今から特別になってしまえばいいのだ。


 熱には慣れている。

 二度目の謁見は、何の問題もなく済ませられたはずだ。「可憐で物腰柔らかで、楚々とした娘だな」と評されたときは舞い上がりそうになった。


 向けられる瞳が、氷のように冷たく、空虚なままだとしても。


 その評価を受けて脈ありと踏んだのか、三度目四度目の謁見の際、父はますますマリアを推した。

 マリアが皇帝陛下に近づける機会が次第に増えていく。


 病にやつれる顔を彩り、着飾るだけでなく、めげずに新たな恋文を綴った。

 今度は握り潰されずに直接届けることができるのだ。ますます力がこもってしまうのもやむなしで、ただでさえ熱が高いのに恋の熱にまで浮かされ、一晩中書いては捨て書いては捨てを繰り返し、書き進めた。


 いくら顔を合わせ、言葉を尽くしたところでこの恋が実るわけがない。

 そんなわかりきった現実から必死で目を背けて、幸せな未来を信じるふりをしながら。


 


「うちの娘を陛下の妃とするというのはいかがでしょう?」


 父が冗談めかしてそう言ったのは、謁見十度目、いよいよ城に訪れる名目であった支援の話がまとまった時だった。

 とはいえ三日に一度は通っていたため、大した日にちは経っていない。皇帝陛下を初めて目にしたその日から数えても、半年にも満たないだろう。


 それでも触れ合いの時間は充分だ。

 充分だった。――故に。


「余に縁談は不要だ」


 バッサリと、本当にバッサリと切り捨てられ、マリアにはどうしようもなかった。


「どうしてですか? 私の文は、読んでくださったのでしょう」

「ああ。くだらない恋文だった。その想いが純粋であるからこそ、いっそ哀れに思える」


 皇帝陛下の、声変わりしてまもないと思える声音にわずかに同情の色が籠る。

 彼はきっと本当はとても心優しいのだ。優しいのに、まるで嫌われたいかのように悪様に振る舞っているのだ。


「誰よりも貴女がよく知っているだろうに、愚かなことだ。余の手で死ねるか? マリア・フォークロス。余の手以外で死なないと、そう言い切れるのか」

「……っ」

「余はかつて喪ったことがある。いつ喪われるか知れない貴女を皇妃にしようなどとは思えない。そもそも貴女に関心はないがな」


 後半は囁くような言葉だったから、背後に立つ父にはなんと言ったかわからなかっただろう。

 でもマリアにはしっかりと聞こえた。


 ――ああ、そういうこと。


 筆頭公爵家の令嬢こそ別の方と婚約しているものの、皇家との縁繋ぎのための贄にされる令嬢は多い。中にはマリアよりよほど麗しい令嬢もいる。

 彼女らが選ばれていなかった理由を、マリアはあえて考えようともしてこなかった。最初から考えればわかることだった。自分など選外中の選外だということくらい。


 すでに皇帝陛下の心は満たされていたのだろう。故にこそ、喪ってぽっかりと穴が空いてしまったのだろう。

 お相手が誰なのかは知らない。愛する人の過去だとしても知りたくもない。想像するまでもなく素敵な方なのだろうけれど、知ってしまったら惨めになるだけだ。

 ただ確かなのは、そこにマリアの入る余地はまるでないということである。


 失恋……という言葉はおそらく正しくない。恋する資格すら、マリアは最初から得ていなかった。


 両頬にあたたかなものが伝う。

 涙を溢れさせるマリアを一瞥してから、皇帝陛下が鬱陶しげに呟いた。


「余の前で泣くのを禁ずる。泣くと荒れた肌が見えて不快だ。――貴女、毒を盛られているだろう」

「毒……?」

「知らないのなら、教えてやる義理はない」


 肌荒れには心当たりがあった。近頃は高熱を出す度にどんどん肌荒れがひどくなって、厚ぼったい化粧で隠さなければいけないくらいだった。

 てっきり病のせいだと思っていたけれど、違うのだろうか。


 問い返そうにも「早々に退出しろ」と言われてしまっては、疑問を呑み込むしかなかった。

 皇帝陛下の最愛になれなかった自分がここにいる意味はもう、ない。


「今まで文を受け取ってくださり、ありがとうございました」


 感謝を告げたはずなのに、後半は嗚咽まじりになってしまう。

 陛下に最期に見せるのが泣き顔であることがなんだか悔しかった。

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