第17話 パーフェクトブルー
摂理は約束した時間より30分も遅れてやってきた。
ま、彼女がその時間どおりにくるだなんて期待などしていなかったが。
なにせ相手はトップアイドルなのだ。世代最強の女。『会ってやる』という格上のオーラは揺るがなかった。
「待つのも楽しみだったでしょう?」と摂理。
「待たせたほうがそう言っちゃうんだ」と俺。
──俺たちが会った目的は互いの利益のためだ。
俺の目的は事件の真相解明と『K2!』の関係修復の糸口を探すため。
摂理の目的は俺や游を介して葉凪の現況を把握するためか。
都内の公園の入り口で待ち合わせをしたが、周囲を散策する余裕などない。日曜日の昼間は人目が多すぎる。摂理は謹慎中の身分だ。
というかそうでなくても俺とデートするつもりなど端からなかったはずだ。
公園内をほとんど無言で移動する。大きな池を見下ろす位置にある中華料理店に入った。
──事件から8日後のことである。
個室に案内されたため周囲の目を気にする必要はない。店の内装は金がかかったもので、それだけでも高校生には似つかわしくないランクの店だとわかる。
メニューを恐る恐る覗きこんだ。
「普通の店の10倍はするな」
摂理はしれっと言った。
「あなたにとって普通の店はこれの10分の1なの? 思ったよりプアなのね」
自力で生活費を稼いでる未成年の基準は違うな……。
摂理は彼女にしては珍しく
俺はなんだか普通の女の子と会っているみたいな気がしてきた。世間一般が抱く『強い女』、『少し変わった女の子』みたいな摂理に対する印象を大きく覆してきた。
つけているのは変装用の伊達メガネに大きめのマスク、それにウェーブをかかった綺麗な髪を隠すための帽子。
今はマスクと帽子は外してある。
……数分後、食事は済ませた。まぁ確かに高いだけの味はしたが。
俺と摂理はホットの烏龍茶を飲みつつ対話を再開する。
「私に遠慮せずもっと食べたら良かったのに」
「んな高い店で頼めねぇよ。俺が払うのに」
「金欠なの? だったらもっと高いの頼めば良かった。……怒った?」
「いや」
「今度どこかいくときは私が奢ったげるから」
「ビューティフルマネー」
摂理にしては優しいな。俺が超絶イケメンだから惚れちゃったのか。游がいるから困る。
「アイドルだから節制してるの? 頼んだときに『量半分にして』って言ってたけど」
「身体が資本だもの。努力しなくちゃこの容姿は維持できない。男のあんたには想像もできない苦労があるのよ。健康にいいものだけ食べて、睡眠時間もキープして……。それでいてダンスのトレーニングに超過密なスケジュール。アイドル稼業はブラックなの」
「その分稼ぎがいいの?」
「こんな店に気軽に入れるくらいにはね」
「ならせめて割り勘──」
……今日は財布をもってきてないそうだ。そんな嘘信じる奴いる?
「私はアイドルって職業が好きよ。誇りをもっている……まではいかないにせよ、普通に女子高生やっている自分を想像できないくらい。自分のことを特別だと認めたくなるくらい。そうでしょ? 高校生がこんなに有名になれるなんて……オリンピックに出るか、コウシエン? に出るか──」
「プロ棋士になってタイトルを獲るか、ユーチューバーになるか。未成年が有名になる方法は本当に少ないからね。あとは犯罪者になってニュースで報じられるしかない」
摂理はひきつった笑みを浮かべる。
「あんたセンス悪すぎ。游に感染るからやめてくれない?」
「使う相手は選ぶよ」
「で、なにがききたいわけ?」
「2年前、あなたは葉凪に命を助けられた。ライヴが終わった瞬間ステージによじ登ってきたファンを咄嗟の機転で止めてみせた」
「そのことだったら1億回くらい答えてるわよ。時間の無駄。それくらい調べておいたら?」
「君の本心が知りたい」
「……表現がおおげさなのよ。あのクズの目的は私。凶器なんて隠し持っていなかった。葉凪があいつの注意を気を引かなくても警備員と雨宮さんが止めてくれたわ。なに? その不満そうな顔は」
そりゃせっかく会った相手が見え見えの嘘をついてきたらね。
「あのとき葉凪になんて言ったんだ? そしてなにを言われた?」
「(長い沈黙)なにも言えるわけないじゃない。ともかくショックだった。気がついたらステージに男の人が立っていて……私は一歩も動けなかった。あれだけ騒がしかった会場がしーんとして、真昼みたいにライトアップされてたステージが暗く感じられた。私は──私は……」
「嫌だったら話さなくてもいいんだよ」
「あのブ男がなにか話しかけてきたことはわかる。でも理解できなかった。恐くて、叫ぶこともできなかった」
ステージ上の摂理の反応を思い出す。まさしく凍りついたといった様子だった。
「葉凪がマイクを投げつけ、一喝して、そしてすごい顔をしていたことは覚えてる?」
「いいえ。話には聞いている」
「事件の映像は……見返せないか」
「気がついたら私はステージ上で座りこんでいて、あいつが大勢の男の人に取り押さえられていたの。私を起こしてくれたのは葉凪と会場のスタッフの人」
「ほんの十数秒のことだったからね」
摂理はふと、俺を心配そうな目で見つめてきた。
「あんたも何ヶ月か前交通事故に遭ったんでしょ? そのときのことがショックじゃないの?」
「道を歩くのにいちいちビクビクしていたらまともに生活を送れないよ。それに俺は人の悪意にさらされたわけじゃない。君のケースとは比べものにならないさ。君はあのときまだ15歳だったんだよ」
「私は……もちろん葉凪に『ありがとう』、『助かった』って言ったわ。でもまるで足りない。私はこの先ずっとあの子に仕えないといけない……」
「『仕える』だなんて大袈裟な言葉だな」
「命の恩人なのよ? ……私たちはあのとき対等な関係ではなくなってしまったの。事件後に、このままアイドルを続けるかって雨宮さんに言われた。葉凪は先に『はい』って。私も『はい』と言うしかなかった」
彼女たちを襲う輩がふたたび現れるとも限らないのに。
「今でも客の前に立つのが恐い?」
「……本当はそう思っているわ。もしかしたらあの男が会場の中にもぐりこんでいるかもしれない。あいつ執行猶予で釈放されたもの。それにまた別の××××が刃物をもってやってくるかもって思っちゃう。次は殺されるかも。……でもそれに懲りて活動を辞めるっていうことは、私たちを攻撃したがっている奴らの勝ちになっちゃうでしょ?」
「君はそう思うんだ」
「私は脅しになんて絶対に屈しない。ネットやSNSで私たちを腐している奴らに中指突き立ててやるのよ」
「俺にも気軽に突き立ててくれてたけれどね」
初対面でただの一般人の俺に。
「アキラ、あなたは私を成功者だと思っているでしょう? 実際そうなのよ。普通の大人なんかよりも何倍もお金を稼いでいる。人気がある。地位がある。そうでしょ?」
「まぁそうだろうと思ってたよ」
「お金があって、急に人気者になった分別のない若者よ。一般的な学生よりもなにかしでかす可能性が高い。(鼻で笑って)私たちがスキャンダルを起こせば喜ぶ職業があるのよ」
「マスコミやそっち系のインフルエンサーね」
「だからこそ今日のような事態だけは避けたかった。葉凪は私に命令するのよ。『あれをするなこれをするな』って。芸能人ならファンの幻想を守れって……。でも実際にルールを破ったのはあの子だった」
葉凪が摂理をコントロールする側だったと。まじめ役な葉凪とハジケている摂理。この役割分担は『K2!』のパブリックなイメージと一致している。
「あの子はどうして君に襲いかかったの?」
「それは話さない……話すべき時期がくるまでは」
「話してくれるんだ。……もっと君の話がききたいな。君のことならなんでもいいよ」
「今日どんな色の下着を着ているか聞きたい?」
急になにを言い出すんだこの女。
「そっちの話を振るんだ。俺なら下は迷彩柄のトランクスで上は灰色のシャツだよ」
「知りたくもないことを教えてくれてありがとう」
「俺もそう答えるところだったよ。そうだね、君がなんに怒る人なのか知りたいな。ミトおばさんが教えてくれたオレの好きな言葉なんだ」
古いマンガだから伝わらないだろう。
「? よくわからないけれど、私は葉凪に怒ってなんていないわ」
「公衆の面前で殴られても?」
「あの子が私にしてくれたことを思えばあんなの大したことないわ。早く謹慎処分が解けて欲しいと思ってるくらいだし。そうね、私が怒る相手は……」
「誰によく怒っている?」
「自分の母親ね」
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