第16話 おれに関する噂
土曜日。若宮家。
俺が用意したのは蕎麦、といっても退職して暇なサラリーマンじゃないから蕎麦粉からつくりだしたわけではない。
スーパーで買った麺をゆで濃いめのつけ汁をこさえ、副菜に野菜の焼け浸しを準備した。游は美味しい美味しいと食べてくれた。こいつらいつも食ってるな。
ダイニングのテーブルでくつろいでいるのは俺と游と涼葉。午前10時と中途半端な時間なので両親は外出中。彼女を家に招いているのでそこは都合が良い。
游は軽く2人前を平らげ涼葉を驚かせていた(俺はもう慣れているけど)。
食器は片付けてあった。
「──うん、満ち足りた」と游。
「もっとお野菜も食べなさい」と俺。
「それにしてもお兄ちゃん、料理が上手ね」
そう言ったのは涼葉ではなく游だ。
俺は游をにらみつける。何度目だよこのアホの子!
だがそこが愛い。愛い転変。
焦り顔の游は涼葉の様子をうかがっていた。俺たちは家族に『例の事情』を語っていない。
「『お兄ちゃん』? なに言ってるの游お姉ちゃん……疲れてる?」
涼葉は聞き逃してくれなかった。
「い、今は普通にアキラ君って呼ばなきゃダメなんだ……」
游は小声で自分に言い聞かせる。
俺には妹がもう1人いたのか…。
「まさかお兄ちゃんと游お姉ちゃん……付きあってるの? 恋人同士?」
涼葉は驚きのためか目を大きく開いている。妹はまず俺に、次に游に指を突きつけた。
「ねぇよ! ただの友達だって」
勘が鋭いな涼葉……。でもどういう推理だ? 俺が入院したときにあんな宣言をしたから?
「『付きあったうえで兄と妹って設定で
「涼葉は想像力豊かだな……」
倒錯すぎるだろ。どんな高校生だよ俺と游。
「つまり私への欲望を游お姉ちゃん相手に満たしている?! 歪んでる!!」
歪んでいるのはおまえの精神だよ涼葉……。
游がテーブルの下で俺の足を軽く蹴ってきた。
わかっている。機密事項は守るさ。
『俺と游が付きあっている』ことは黙っているし、『游の仕事仲間には兄妹という設定』でいく。たとえ相手が家族であろうとこの2つの秘密は漏らさない。
というか游本人が口を滑らせて涼葉が変になっているんだけれどね。
俺は全力で否定する。
「近○相○とかそういう欲望は抱えてないから!! 妹に欲情なんてしねぇよ!」
「そうやって言葉にするってことはさ! 私のことずっとそういう目で見てたってことでしょ!!」
涼葉は叫びながら自分の胸元を手で覆う。年齢相応に育っていることは知ってたけれど、実の妹相手にそういう妄想はしないから!
「アキラ君……」
「游は信じてくれるよね!」
恋人だから当たり前だけど。
「まさか涼葉ちゃんをそういう風に見ていたなんて……。子供のときからそうだったの?」
なんでマジなトーンなんだよ游!
頼むからギャグであってくれよ。
「うん、まず俺と游は付きあってないから! ただの言い間違いがどうして俺が妹を性的な目で見ているとか解釈されるんだよ!」
「あーキレて誤魔化そうとしている。いつから私のことを欲望の対象として見てるわけ?」
「見てないんだよなぁ……」
「……洗濯かごから下着盗んでない?」
「あんなガキっぽいの見ても嬉しくねぇし」
「やっぱり見てるじゃない!!」
「勝手に目に入るんだよ!!!」
游は俺のことを冷たい目で見ていた。
「えーと、游さん?」
游は答えない。
なんで俺疑獄にかけられてるの?
涼葉が俺をなじるような口調で続けて言った。
「きっと私がいないときに部屋に侵入してるんでしょ。鍵つけなきゃ!!」
「勝手にしろよ……」
涼葉はホームセンターに行くと宣言し部屋を出ていった。思いこみが激しい子だ。どうやったら誤解が解けるやら……。
数十秒後、玄関のドアが開閉する音がきこえる。本当に買いに行くのか……。
「アキラ君。涼葉ちゃんが言ったことどう弁解するつもり?」
まだ俺が妹に手をだそうとしている性犯罪者候補だと思っている。
「俺が外で游の兄になりきっているのは游の迷惑にならないようにでしょ?」
「そうだけど、私に『お兄ちゃん』って呼んでもらって興奮してるんじゃないの?」
「ねぇよ! ……うーんとね、涼葉はうっすら俺のことを嫌ってるんだと思う。ここ数年」
「なんで?」
「そりゃ俺が大人の男になったからじゃないの?」
「? 背が伸びたってこと?」
「……俺が女性への関心をもっていることがバレたってこと。そういう本とかもっているし……」18禁の。
游は戸惑いながら俺の立場を擁護しようとする。
「男の子だもん。それくらい……。自○っていうんだっけ……週に何回くらいするの?」
「デリカシーとかないんですかね」
「恥ずかしいの?」
「恥ずかしくなかったら俺がヤバい奴じゃん」
……これで俺が同じ質問をしてきたらなんと答えるんだろう。游はそっちの方面に興味がない子みたいだけれど(憶測)。
「……2回くらい?」
もっと多いわ。
「ともかく女の裸に目がなくなっちゃったの。だからといって涼葉は対象外だけど!」
「私と付きあってても他の女の人に目が行くの?」
悲しそうな顔をするなよ游……。だがここは正直に答えておこう。
「自動的に本能で目がいくようになってるの!」
というか女だって巨乳の女が近くにいたら目がいくんじゃないの? 珍しいもの見たさで。
「パーティのときに女の人のドレスをまじまじと見ていたのも……」
「俺そんな目してた?」
「してたよぉ。摂理ちゃんにもそうだったし。アキラ君はあれくらい大きな胸の子が好きなの?」
「いや別にそんなことはないけれど……」
「それとも私とか葉凪ちゃんくらいのサイズ?」
游は自分の胸元を覗きこむ。うん、普通の大きさということか……。いや一般的な15歳がどんなもんなのかはわからん。女エアプだし。そもそも服着てるし中身は不明だ。
俺は無理矢理話題を変えることにした。
「あ、そうだ! そもそも今日は葉凪がどんな人なのか教えてもらいたくて呼んだんだよ! 教えたでしょ、『K2!』が解散したら雨宮って奴が游のマネージャーなるかもしれない。游も嫌じゃない?」
游は素直にうなずく。
「うん、私はかなえさんと仕事がしたいから……」
「だから俺に葉凪さんの情報を教えて欲しい。事件の真相を知りたいし、2人に仲直りしてもらいたい」
「わかった、アキラ君に協力する」
やっと事件の話に引き戻すことに成功した。
俺は游の手を自分の手で包みこみ、真剣な目で訴えかける。
「游は今回の事件のことどう思う?」
「……どうしてみんな摂理ちゃんを叩いているのかな。あの人怪我した側なのに」
「摂理が葉凪を精神的に傷つけるようなことをしたから、葉凪が殴りかかった。そういう意見が主流だね。日本人は因果応報が好きだから」
暴力を奮った側に同情を寄せる──まるで『赤穂浪士』だ。
「摂理ちゃんは変な子だけれど……人を傷つけるようなことはしないと思う……」
「葉凪はどうなの? あの子は世間的には『良い子』で通っているけれど、プライヴェートでは別人だったりする?」
あの人の良さそうな笑顔の持ち主が、パートナーを暴漢から救ったあの少女が、実は愛想が悪いアイドルだったりする?
「葉凪ちゃんはね、みんなが思っている印象そのままの子なの。努力家で潔癖で優しくて……。誰に対しても礼儀正しいお嬢様。今度アキラ君も会ってみたらいいと思う」
「そう簡単に会えないと思うけれど……」
このスキャンダルの渦中の人物には。
「なら連絡とったら?」
「摂理と違って俺まだあの人と知りあいになってない」
「私と一緒に3人で会おう。今度連絡してみるから」
「俺がいていい理由を思いつけないんだけれど……」
無関係な俺が游と葉凪がいる空間にいていいのか?
「まぁその辺のディティールはあとで詰めよう……」
「私何度も葉凪ちゃんに連絡しているんだけれど、返事がこなくって……。limeも返信がないのよ」
「一切外出せず家に閉じこもっているらしいな……。なら、友達の游がなおさら引っ張り出してあげないと」
『友達』という言葉で火がついたのだろう。游はスマホをとりだし、葉凪を動かすための言葉を考え始めた……。文字を打ちこんでは消し、打ちこんでは消し……。
游は悩む。
「う~~ん。こういうときは飾らない言葉を選んで……」
「『会ってくれないと私が困る』みたいな表現はどう?」
「それってちょっとわがままじゃない?」
「友達同士なんてそんなもんじゃないの?」
游は葉凪と会う約束をとりつけてくれた。会うのは来週のことだ。
事件後、先に会うことになるのは摂理のほうということになる。
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