第13話 宴の始末


「──やれやれだな」


 俺が吐き捨てるようにこのセリフを発すると同時に、世界は動き出した。

 バンドマンが演奏を止めた。あちこちでカメラが連写されている。会場にいる人々の何割かがスマホをとりだし撮影を始める。この世紀の一大事を拡散するために。

 一歩後ろに仰け反った摂理は鼻のあたりを押さえ、呆然とした表情で葉凪を見ている。反撃する気力などまったくない。葉凪は、


 。まだ足りないと。両拳を固め近づく! とても格闘に耐えるとは思えない細い腕だと俺は気づき声を張った。

「やめろ!」


 游は俺とは違う。言葉よりも行動を選ぶ人間だ。


 葉凪の左拳が発射される直前、側面に立っていた游がスカートの裾をひらめかせ、ローキックを入れた。

 膝裏を蹴られた葉凪はよろめく。横目で游をにらみつける。(ほっといて!)そう言いたげな強い目だ。


 一撃を受けた摂理は怯えた目で自分のパートナーを見る。出血。鼻血だ。


 葉凪は、游が背後から羽交い締めにしている。手足を動かし精一杯暴れようとしているが、游のほうが体格で上回る。もはや摂理を攻撃することはできない。


 葉凪は甲高い声で叫んだ。「離して游さん!! が人にどんなことをするか知ってるでしょ!!」

 游は冷めた口調で問いかける。「いいから落ち着いて。言い分はきいてあげる。どうしてこんなことしたの? あの子がなにかしたの?」

「離して!! 離してください!!」


 葉凪が荒々しい声で叫んでいる。ざわめいている場内。人々が集まってくる。タレントたちも、社員も、ホテルの従業員も。


 殴られた高校生を介抱しようとする大人たち。

 事務所の社長が暴行事件を起こした娘を一瞥すると、被害を受けた摂理のもとに近づく。

 最重要人物が口を開こうとした直前摂理は言った。「警察は呼ばないで。こんなの大したことないわ」

「よく言う……」


 頬を打つ高い音が響いた。

 游の拘束から抜け出した葉凪が、その游からもらった一発に強いショックを受けている。立ちすくみ微動だにしない。

 ま、游ならそれくらいのことはするよな。

 会場全体が静まりかえる。

「冷静になって……葉凪ちゃん。わかってるの?」

「これで……。……でもやらなきゃ私が──」

 葉凪は悲しい目をしてそう言った。

「あとで私にだけでいいから教えて。どうして摂理ちゃんにあんなこと──」

 葉凪は游のこの問いに真顔になってこう答えた。



「言わない。これだけは絶対誰にも言わない。この先何十年ずっと」



 このシーンは動画に撮られている。画像もすでにSNSにアップされているだろう。身内だけで収まるケースではない。このパーティに招かれたのは『エンタープライズ』関係者だけではないからだ。


 この事件は確実に拡散する。このスキャンダル一発でアイドルデュオ『K2!』が終わることくらい18歳の葉凪にはわかっていただろう。2人きりのメンバー間で公の場で暴行事件。

 全員の視線が加害者の葉凪のもとに集まる。


 俺は次の瞬間に起こることが予測できた。

 摂理は自分をイスに座らせようとしている友人の腕を振りほどき、一目散に会場の外へかけだしていった。彼女を止めることは誰にもできなかった。まるで一陣の風のように。胸元を自分の血で汚したまま。ヒールでどうやってあのスピードで走れるんだ。

 俺は別のドアから外へ出た。全速力で。治ったばかりの足が痛む。

 ホテルのフロント付近で摂理を捕まえた。


 そこにいる人々はパーティ会場で何事かあったと気づいたようだが、そのこととメジャーアイドルが鼻血を出していることを結びつけることはできない。


「……なに!?」

「……まったくもってホタテ貝」


 息を切らしながら俺は清潔なハンカチを摂理にさしだす。

 摂理は少し迷ったが受けとってくれた。血は止まりつつあった。


「大丈夫?」

「まぁ、なんとか」


 摂理は早足でホテルの外へむかおうとする。

 彼女は追いすがる俺になにも言わなかった。

「まぁまぁまぁまぁ。待ってくださいよ摂理さん。摂理お姉さん」

「? 同い年でしょ」

「そういう設定だったね。どうして葉凪さんに殴られたの? 身に覚えがあるわけ?」

「あるわよ」

「教えてくださいよ。今は情報公開の時代……」



「教えない。誰にも絶対に教えない。話せるわけがない……葉凪も同じでしょう」



 摂理の右目から不意に涙が零れ落ちた。頬を伝うそれをみずから拭う。

「流石コンビ。同じ意見な訳ね」

 クソデカい謎が発生してしまった。

 葉凪が摂理に殴りかかった動機がわからない。双方が誰にどう説得されても口を割らないつもりか? これは事件だ。

「……マスコミにたれ込んで稼ぎたいわけ?」

「違うよ。女の子が公衆の面前で暴行を働いたわけだし、よほどの事情があるに決まってるでしょ」

「話したくない。これでも我慢してやってるのよ」

 摂理はホテルの前でタクシーに乗りこもうとした。同時に誰が呼んだのか、救急車がサイレンを鳴らしながらやってくる。パンチ一発で救急車はおおげさすぎない?

 摂理は笑う。

「馬鹿だなぁ。葉凪のパンチなんかで私が入院すると思ったの?」

「あんた俺より強いよ。俺はトラックにぶつかって全治2ヶ月だもん」

「えー、よっわ

「そう、その笑みだよ。どんなときもユーモアはもたないと」

「あんたのユーモアは私には理解できないわ。でもそうね、男にしては面白い」

「おもしれー男?」

「ま、游のお兄ちゃんだから特別扱いしてあげてるんだけど。游はいい子だもん」

 タクシーに乗りこもうとしない若い女の客に運転手が文句をつけようと振り返った。だが摂理の顔を見て気づき、目を白黒させる。芸能人が顔を負傷して自分の車に乗ってきたのだ。

「本当に1人でいい? なんか必要なものでも買ってきてあげるけど」

「あんたに私のマンションがどこか知られたくないもの」

「あっは」

「私を慰められるのは私だけだから」

「実は恋人がいるとか? アイドルだからそれはないか」

「つまらないわ」

 摂理はタクシーの後部座席に乗りこんだ。改めて見ても人形のように人間味が感じられない女性だ。精々鼻の周りがちょっと赤くなっているくらい。彼女は不自然に傷も皺もない右手を自分と俺の顔の間で横に振る。

「鏡が欲しい? バッグのなかに入っているか。でも俺が代わりに教えてあげる。顔を殴られたとしても君は美しいままだよ」

「やっぱり口説いてるの?」

「俺には妹がいるから女には不足してないんだ」

「このシスコン……」

「游から君の番号をきいてもいい? また話がしたい」

「……許可するわ。勝手にききなさい」

 摂理はほとんど迷わなかった。

「おっほ。どういう気まぐれかな?」

「使えるかもしれない道具を確保したってだけ。

「それはお互い様だろ」


 タクシーは走り去っていった。俺はホテルの中に戻る。

 夜はまだ若く青白く始まったばかりだ。

『エンタープライズ』社員たちは今まさに炎上への対応で仕事が始まったところ。会場から足早に立ち去っていく男女の姿が多数見受けられる。みんなスマホで通話をするか、並んで歩く同僚と早口で会話をするかしている。

 暗い顔をした30代くらいの男がいる。彼が今この場の主役だ。泣いている葉凪のそばに付き添っていた。

 あれが『K2!』のマネージャーか。

 自分の担当アイドル2人それぞれが加害者で被害者。ストレスがマッハでヤバそう。片方が社長の娘ならなおさらだ。


 游と俺はぶっちゃけ部外者なので関係ない。ご愁傷様。

 とはいえ游は意気消沈していた。友人2人があんなことしてたんだから。


「葉凪がキレた理由に思い当たる節は……ないか」

「ない」

「君は戦士だよ游。君は自分の友人を守った。同時に2人もね。俺は君の行いのすべてを肯定する」

 葉凪を止めるために足を蹴り、頬にビンタを放ったことを。

「ありがとう」

「君は自分を偽らないね。俺が君なら他人にどう見られるかと思ってあんな行動はとれなかった。游は実年齢よりもずっと大人なんだよ」


 游はまだ15歳。なのに自分を──『名護游』というキャラクターを演じようとしない。そこがすごい。俺は『若宮アキラ』を──おちゃらけた高校生を演じることに懸命なのに。


「自分にあんなことができるだなんて思わなかった……でも仕方ない……のかな。葉凪ちゃんにあれ以上摂理ちゃんを傷つけて欲しくなかったから」

 游はずっと下を向いたままだ

「家に帰ろうか、游」


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