第9話 虎口前


「昔こういうコントがあったんだよね。娘よりも強い男しか夫として認めない一族があって、その掟を頑なに守っている女が毎回恋人にプロポーズされる。掟どおり女と男が戦うことになり、カンフーバトルを繰り広げ男が敗れ、女は勝ってしまったこと、自分の強さを悔やむってオチ」

「私はアキラ君と戦ったりしないわよ!」

「でもまぁ、游と交際するってことはを認めさせないといけないんでしょ」

 戦うことには変わりがない。

 しかしなんだこれは。恋人と婚約したあとに実家を訪ねて相手のご両親にあいさつする流れみたいだ。


 俺と游はイギリス製の高級車の後部座席に座っていた。事務所のスタッフの柴田さんとやらが運転する車は街中を安全運転で走行している。

 游が所属しているという事務所までそう時間はかからないようだ。


「マネージャーの名前は鮎京あいきょうさん」

 游の専属マネージャーは若い女性だそうだ。すごい美人で大卒で若手ながら有能な人とのこと。

「その人を説得しないといけない……」

「手強い人よ」

 游は心配そうに俺を見ている。


 游は俺の存在をその鮎京って奴に伝えてしまっているそうだ。

「隣の家に住んでいる幼馴染、高校で再会したばかりの若宮アキラ君という同い年の男の子のことが好きだ」と。「男の子から告白されてる」と。


 本当に真っ直ぐな性格をしている。隠しておけば良かったものを……。

 しかし游ならその選択をするはずだ。仕事仲間に隠し事などしない。彼女が優しい証拠だと思う。


 ──15歳の若手女優が同い年の男の子と交際していたら嫌がる野郎のファンがいるらしい。

 なにを幻想している? おまえらがこの美少女とつきあえる可能性なんてゼロだから。彼氏がいようと問題ないだろ。

 游は俺とつきあってる(数分前から)。

 まぁそれはそれとして経済活動だもんな。游の価値を下げさせるわけにはいかない。常識として美少女は男を知らないほうが好印象をあたえる。いかにも日本人らしい常識だが……。


 溜息を一つ。

 せめて心の準備とか、前もって予定を教えてくれても良かったのに。

 もうすぐ夕食が運ばれてくるタイミングだというのに病室を空けて出ていってしまった。これで両親がきたら怒られ必至案件である。

 だがこれも游のためだ。このまま彼女と一緒にいられるなら俺はなんだってするだろう。

 俺の行動のベクトルは全て游に向けられている。

 それくらい俺の中で彼女の存在が大きくなっていた。人生における最推しであると。


 游が俺と芸能人の仕事、どちらを選ぶかと迫るつもりは毛頭ない。恋愛と職業はまったく別次元の話だ。普通に共存しえるはず。

 1人の人間が1つのタスクしかこなせないというのは凡人の発想にすぎない。

 彼女はすでに学業をこなしながら仕事をしているではないか。異性と交際を始めたくらいのことでオーヴァータスクにはならないはず。名護游は学生にしてタレントにして恋人。


 ……そういえば、游の仕事の量をコントロールしているのは鮎京って女か。

「どんな人の? 優しい?」

「優しいよ。年齢もそんなに離れてないし、お姉さんみたいな雰囲気があるかな」

「俺のことを伝えたら怒ってた?」

「鮎京さんは私に怒ったりなんてしないよ」


 游は笑ってそう言うのだが……。



 車は渋谷の一等地に停まった。高層ビルのワンフロアがそのままエンタープライズのオフィスだ。どうして緊張する必要があるのかよくわからない。マネージャーに会う必要が本当にあるのか? ビルの内部を杖をついて歩くだけで俺は疲れてしまう。游「大丈夫? 杖持つ?」俺「いや杖がないと治ってる傷が開いちゃうから」。エレベーターで7階に上がりドアが開くと目の前にデカデカとした会社のロゴマークが。游がICカードでセキュリティをパスし、すれ違う人々とあいさつを交わす。俺は彼女についていくだけ。怪我をしていることもあって好奇の目にさらされる(部外者侵入中)。そんなこんなで通路を進み、かなえとやらがいる部屋に案内された。游は親指を立て「が・ん・ば・っ・て・!」。俺は無言のままうなずき目に炎を宿す。游は頼もしそうに俺を見送り、部屋から出ていく。想像以上に若い女性が俺にあいさつをした。無言のまま案内されたのは面談用のパーティションで隔離された狭いスペースだった。


「えーと」

「游さんと別れてくれませんか?」


 第一声がこれかよ。

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