第8話 逆襲の幼馴染


「私に務まると思う? 大勢の人に見られて、評価されて、きっと人気にも浮き沈みがあるわ」


 游の容姿・性格を思えば最低限の人気は保証されるだろう。

 彼女のキャリアに不安があるとしたら──

「事務所はちゃんとしたところ?」

 いや、愚問だったか。あのドリンクは病院内の自販機やコンビニでも見かけるくらい売れている。

 そんな超メジャーな商品のCMに出られるってことは──

 間違いなく発言力コネクションは強いはず。


「マネージャーは国内最大手の芸能事務所だって」

 游はその会社の名前を口にした。『エンタープライズ』。業界の事情に疎い俺でさえその名を聞いたことがあるほど有名なプロダクションだ。

 大事だな。


「仕事で嫌なことはない……わけないか。それでお金もらってるんだもんね」

 現場では長時間拘束される。面倒な人間関係もあるのだろう。歌や演技のトレーニングもしなければならない。

「わかってるわねぇアキラ君。もちろん大変なことはいっぱいあるよ。でもそれ以上に見返りがあるから」


 見返り=お金というのは短絡的な考え方だ。

「游のことだからお金だけじゃないんでしょ? 他になにか得るものがあるの?」

「面白い人とたくさん出逢えるの! 同世代の仕事仲間の人とも、スタッフの人ともね。それに演技や歌の稽古は楽しいよ。私今まで習い事なんてしたことなかったから」


 游は高揚している。『自分は本当に今の仕事を楽しんでいる』、そのことを純粋に俺に伝えたいだけだ。

「新鮮?」

「そう。自分の世界が広がっていく気がする。これでお金までもらえたらなんか騙されている気がするっていうか……」

「お金は君の才能に対する正当な対価だよ」

 その言葉に游は驚いたようだ。目を見開き俺の顔を見つめる。


「……いくら稼いでいるか知りたい?」

 笑いながら游は問いかける。

「下品だよ游」

「アキラ君なら知りたがると思ったのに」

「まぁぶっちゃけね」

「今の私は大勢の人に認められているの。少しは見直した?」

 游のことをずっと前からリスペクトしていたのだが……。

「君のやっている仕事と君の人格は別の問題だよ。游が世間に認められようとそうでなかろうと、愛情の深さは変わらない」

 自分の恋人(仮)が有名人だからといって箔がついたとはまったく思わない。

 游がセレブになろうと犯罪者になろうと、俺にとって彼女の価値は不変だ。

 まぁそれはそれとしてその芸能活動とやらは尊重しなければならぬ。


 游は俺の言葉に顔を赤らめる。

 涼葉はきょとんとした顔をして様子をうかがっていた。


「それは……ともかくとして! アキラ君、理屈っぽいところは変わってないんだね。もっと手放しで褒めてくれるかと思ったのに」

「やりたいようにやったらいいと思うよ。同級生からは白い目で見られる?」

「んーん」

 游は首を横に振る。

『凡庸の群れの中では美貌は不吉の前兆となり』……同性から嫉妬されたり異性からエロい目で見られるかもと思ったがそんなことはないか。游は俺に対し正直なのでそこは信頼できる。

「みんないい子だよ」


「仕事は順調?」

「うん!」

 游は迷いなく即答した。

「なら良かった」

 彼女みたいなまっすぐな子が大人の社会に迷いこんだら、男共が近づきかねんと警戒していたが、どうやらそういう環境にはいないようだ。そこは一安心。

 だが警戒は怠らないでおこう。一度でいいから仕事の現場に同行してみたいが無理か?



 それから10分くらい話をして流れ解散となった。游と涼葉が一緒に帰っていく。

 中庭から出る前に游はマスクをつけ大きな帽子を被った。そのままの姿では芸能人としてのオーラが丸出しになってしまうから?

 にしても、顔の大半が隠れてもかわいいというのは反則だ。目や眉の形の造形だけで人混みのなかで存在感が際立ってしまう。


 俺は自分の病室に戻ろうとした。

 游が芸能人として他にどのような仕事をしているかを詳細にチェックしておきたい。今後の彼女の攻略に深く関わってくるはずだ。

 無人のエレベーターに乗り、他に使う人がいないことを確認して、閉のボタンを押した。

 それと同時にこちらに向かって駆けこんでくる1人の少女の姿。


 俺は閉まりかけたドアに両手をつっこみ、無理矢理こじ開けた。左手にギプスをつけていることも忘れて。走ってくる女の子は……。


「游」

「涼葉ちゃんはタクシーで帰ってもらったから。タクシー代は私が払ったわ。お金はあるの……もらってもほとんど使わないから」

 游はマスクを外していた。長い距離を走ってきたのか、呼吸を乱している。

「忘れ物したの?」

「そうじゃない。いやそうかも。アキラ君に言いたいことがあって」

 俺はエレベーターから降りた。

 周囲にいる患者や見舞客たちの視線が痛い。みんなが足を止め、俺たちの会話に耳を傾けている。そのほとんどが彼女が名護游であると気づいたようだ。

 游自身も気づかれてしまっていることに気づいている。


「言いたいこと? 直接会わないとダメだったの?」

「だってね……恥ずかしかった。考える時間が欲しかったの」

 そう言いながら游は俺のもとに近づいてくる。


 確かな予感があった。

 


「聞かれたくないから。耳を貸して」

「なにが?」

「私も高校生だし、あのときアキラ君がなにを言いたかったかくらいわかってた。……私も、アキラ君が好きなの」


 一瞬意識を失ってしまったようだ。僕は病院の床に座りこむ。

 事故に遭ったときだってこれほどのダメージはなかった。まさに一撃。


 早くも最終回か。

 俺と游が好きあってる?

 急に自分の命が惜しくなる。長生きしたくなった。この幸運な人生を少しでも長引かせたい。身体にいいものを食べよう。道路を横切るときは横断歩道で手を挙げて渡ろう。いのちだいじに。


 俺は圧倒的幸福感に襲われている。今なら指と爪の間に針を通される拷問にかけられても痛みを感じないかもしれない。脳内麻薬が大量に発生していることが如実にわかる。人生初の経験だ。


 游はひざまずいてこちらの様子をうかがっていた。「本当にごめんなさい。あのときはまだアキラ君が変わってしまったのかと思って、はいとは言えなかったの。昨日と今日とでアキラ君の底が見えたから」

 游は真面目な顔をしていた。

「……かもしれぬ」

 俺は先に立ち上がり、彼女に手を差しのべる。

 互いの手を握りあい起き上がらせる。

 相手の顔が近すぎてこっちはゴリラになりそうだった。性的な意味で。


「それで……?」

 俺は游に続きをうながした。

「私はアキラ君の考えていることがわかるから」

「そういうことにしておいてもいいけれど……」

 声が震えそうになっている。

「2人きりで会うとそういう空気になるのが恐いから。だって昨日久しぶりに会ったときに?」

「う゛」

 游は過去最高に冷たい目をして俺をうかがっている。女らしい意識のきりかえの早さだ。

私のほうがしたいときにね」

「ふ、不平等……」

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