第3話 恐るべき子供たち


 呼吸を整えるのに時間がかかった。それはそう。なにしろ人生初のキスだった。俺にせよ游にせよ。

 体温が上昇している。頭が痛い。あまりの出来事に肉体が警報を鳴らしているのかもしれない。今日だけでいろいろなことが起こりすぎだ。


 俺はゆっくりと座り直し、横目で恐る恐るかなえの様子をうかがった。

 マネージャーは呆れているようで、据わった目で俺を見ている。

 游はというと、俺の隣に座ってくれた。かなえが恐いのか身体を小さく見せようとイスの上で縮こまっているが。


 三者面談が始まってしまった。

 部外者が混じっている気がするが気のせいだ。


「かなえさんは社内で安泰の立場にあるわけではないでしょう? 若すぎる。かなえは替えが利かない存在。代わりのマネージャーになる人はいる。違いますか?」

「……なにが言いたいんです?」


 今度は游にむかってたずねる。

「游はかなえさんのことを気に入ってる? ここに本人がいないと思って本音で答えてくれ」

「なぁなに? もちろん好きよ。だって私のことを信じてくれるし、仕事もくれるし、すごくあってる。マネージャーというよりもお姉さんって印象かな」

「有能?」

「この人がいてくれたからここまで成長できたの。他の人に代わったら困る」

「なるほどなるほど」

 なら提案しよう。


「『エンタープライズ』内においても有望株である游を担当したい人は他にも大勢いるんでしょうね」


 かなえはうなずく。

 芸能事務所の社員。表に立って立ち回る仕事もあれば裏方の仕事もある。

 游の担当は圧倒的に前者のほうだ。そして組織全体を見れば『花形』と呼べる業務のはずだ。


 かなえは游を手放したくない。

 この人と手を組めれば俺の(恋人としての)立場は安泰だ。

 社会人が高校生に対してプレッシャーをかけ続けているが、この人にだって弱い部分があるに決まっている。そこを突きたい。


「だったらこうしましょう。俺はあなたと游の仕事が上手くいくよう最大限の努力をします。なんだってする」

「なんでも」

 かなえはつぶやく。

「そう。游とあなたの仕事の役に立つことならサポートします」


 かなえは敵ではない。俺と利益を共有する関係のはずだ。


「そんなことありますか?」

「ありますよ。たとえば誰かタレントが軽犯罪を起こしたときに、誰かを代わりに出頭させるなんてこと……」

「そんなその場しのぎの対応、今の時代ありえないですよ」

「たとえばの話。俺を犠牲にしてあなたの社内の立場が向上するのなら使ってもらってかまわない」

「……簡単に言ってくれますね」

「俺は現状維持したいだけなんです」


 游との関係を進展させるのは俺自身の問題だ。

 游とかなえが仕事をする上で障害物が発生したら俺が排除してみせる。部外者にできる仕事なのかはわからないが。


「たとえば游に超厄介なストーカーが現れて仕事先でたびたび姿を現すようになったら? 毎回いかつい警備員を連れてくるんですか? 俺がボディガードやりますよ」

 かなえは今の一言で心が動かされたようだ。

「あなたの立場は……。もし仮にこちらの仕事に関わるとしたらどういった肩書きで……」

「游の兄ってことにすればいい」

 游の兄は実在する。というか游を新人オーディションに応募したのは俺の将来の義兄なのだ。

 あとで了承してもらおう……游をこちらの世界に誘ったのはあの人なのだからプラマイゼロってことでなんとか……。


 游は変な目で俺を見ていた。

「アキラ君が私のお兄ちゃん? 私のほうが1ヶ月早く生まれたのに!?」

 游が5月生まれで俺が6月生まれだ。

「そこを気にするのか……」

「おかしいでしょ? そこは弟じゃないの?」

「真面目すぎる……こんなに大きな弟がいたらおかしいでしょ」

 彼女も大柄なほうだが(167センチ)俺も同年代の男子の平均に比べ背がかなり高い。このサイズで中学生(高1の游の弟ならそういうことになる)を装うのは不自然だ。


 かなえは言った。

「ウィン・ウィンの関係になりたいと?」

「そう! それ!」

 俺は2人の役に立つ。かなえは担当の恋人を利用する。どうですぅ~、僕のアイディアは。

 游が指摘する。

「かなえさんは私たちの関係を他の社員の人に話した? 昨日私が話したばかりだけれど」

 かなえは首を横に振る。

「いいえ」

「なら今、この契約は秘密にしないといけないってことね。でしょ? つうかバレたら游がクビになるんじゃないの? そしてかなえさんは自分の担当している芸能人をコントロールできていないとに見做される」


 かなえの顔が青ざめる。図星だったか。

 游は半笑いになっている。ちょっと狙いがえげつなすぎた?


「脅しているんですか?」とかなえ。

「同盟を組みましょう」と俺。

「大仰な表現ですね……」

「俺は兄を装って游を守ります。そして必要とあれば泥を被る」

「あなたになにができると?」

 まぁこの人からしてみれば俺は不確定要素でしかない。


「アキラ君は裏切らないわ。私に嫌われるようなことは絶対しない。ご存じのように口は悪いけれど」

 周知の事実。

「でも下手は打たない人です。アキラ君がそばにいてくれたほうが仕事は上手くいくと思うの。私のせいでかなえさんが危険な立場に置かれたことはわかっていますし、悪く思っています」

「いや、俺のせいだよ」

 游は俺の言葉を否定する。

「この状況をつくってしまったのは私のせいです。ともかく、どうかアキラ君をよろしくお願いします」

 游は頭を下げた。数秒遅れて俺も。



 結論がついてしまった。俺は游の付き人になる。あるいは鮎京かなえ専属のなんでも屋。彼女が芸能人なばかりにこんな契約を結ぶことになるとは。

 このやりとりのせいで数日後、俺はとんでもない事件に巻きこまれることになってしまう。



 まぁそれはそれとして。

 ……数分後、帰り際に游をかなえが呼び止める。

「なにがきっかけで若宮君のことを好きになったの?」

「子供のころ、学校から帰ってお腹を空かせた私のためにご飯をつくってくれたの。小学4年生のころだったかな。イッシュクイッパンの恩っていうの? それで……」

『一食』の部分はいい。だが俺の家に泊まったことはないから『一宿』の部分はいらないだろ。

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