手を握って
男性は片手にぶら下げていた銃を持ち上げ、銃口を己の顎に突き上げた。
彼はひどく傷ついている、と私は思った。
目の前の男性と、もう一人がいるときの会話を思い出す。どうやら私は人殺しの化物で、この意識は地球上に存在する、どこかの誰かの模倣品だ。
それでも胸の奥に、熱いものを感じた。
彼を放っておけないと思った。
どうやら『過去』の私は、そうとうなお人好しだったらしい。
「なか、ないで」
気道のなかに血液が溜まっていた。ひどくしゃがれた声が出た。空気が漏れるみたいな僅かな声量だった。それでも辺りが静まり返っていたおかげか、私の願いは彼に届いたみたいだった。
びくりと体を強張らせたあと、彼は慌てたように銃口を私に向けた。
それから彼は言った。まるで死人にでも会ったみたいな震える声で。
「もしかして、お前、しゃべったか?」
私はこくんとうなずいた。
「俺の言葉が、わかるのか?」
うなずいた。
「まじ、か。コミュニケーションがとれる『擬態型』なんて……あぁ、クソ、ちょっと前にその話をしたばっかじゃねぇか。いや、だからって、そんな、今か」
「だい、じょうぶ?」
なにやらブツブツ言っていた彼が、私の言葉を聞いてハッと顔をあげる。
「じゃあなんだ、さっきまでの自分語りも、ぜんぶ聞いてたってことか? いや、ちがう、それどころじゃないな。サンプルとして連れてくか。てか襲ってこないんだよな」
「つらかったんだね」
「……お前らが殺したんだろ」
…………。
「ごめん」
「……なんなんだよ」そう呟いたあと、彼は咆哮した。
「なんなんだよ、お前らはっ! 勝手に人様の世界にやってきて、散々暴れやがって! 仲間が大勢死んだ! もう戻ってこないんだ! あいつらにも未来があって、大切な人がいて、生まれてきた意味があって! それがよ、馬鹿みてぇじゃねぇか! 報われねぇじゃねぇか!」
「ごめん」
「だったら返せよ! 謝るくらいならここに生き返らせてみろよ! もう一回、もう一回、会わせてくれよ! たのむから。……会わせてくれよ。そして、謝らせてくれ。素直になれなくてごめんって。愛してるって言えなくてごめんって。看取ってやれなくて、ごめんって」
手から銃がずり落ち、私の同胞のうえにぐちゃりと落ちた。がくりと膝から崩れ落ち、うなだれる。彼はもう、私のことを見てはいなかった。うわごとのように「ごめん、ごめん」と繰り返す。
もう、壊れてしまっていた。
私は自分の体を見下ろした。膝に空いた穴はふさがりかけて歪な傷跡だけがぐねぐねと蠢いていた。全身の筋肉を総動員してようやく立ち上がることができた。
小鹿のような頼りない足取りで歩き出す。死体は踏まないように。裸足の足裏に硬い大地の感触と、なにか粘液質なものたち。
いちど大きく転んで、それでも立ち上がって、私は彼の前に立った。
「なんだ、やっぱり殺すのか」と彼は顔をあげずに言った。
「そういえば、俺は彼女の誕生日も知らなかった。なのに命日は一緒って、笑えない話だよ」
私はゆっくりと重心を前方にずらす。倒れかかるように。私の影が彼を覆いつくす。そして、そのまま、
どしゃりと、頭から彼の真横に倒れこんだ。
クッション代わりになってくれた同胞が、ぼよんと手足を跳ねさせた。
「……なんなんだ、一体」
「ごめん。まだ体が、うまく動かない」
言い訳をしながら体を起こす。膝から折れて正座みたいな姿勢の彼の横で、同じ方向をむいて座る。女の子ずわり。ふたりならんで座る。
となりを向くと、ガスマスクのアイグラスの奥に彼の瞳がみえる。すべてを諦めきった、光を失った廃人みたいな目。
その目が嫌いだと思った。放っておけなくなるから。誰かが悲しむのはいけないことだ。そう私の中の私が言っていた。
彼の手元をみた。膝のうえで脱力しきったそれには、黒くて厚手の手袋がはめられている。
私はそれに、手をのばした。
彼はいちどだけびくりと体を震わせたけど、黙って成り行きをみつめていた。
彼の左の手の平のしたを、私の右の手の平がとおる。ふたりの手が交差する。
そのまま、ぎゅっと握ってみる。厚い生地のしたに、大きくてごつごつとした彼の骨格を感じる。
にぎ、にぎ。
「どう?」
「あ?」
とりあえず口から出た音、みたいな返事が返ってくる。
この握り方は、なんだか違うような気がする。握っていた力をゆるめ、交差させていた手を、ぴたりと重ね合わせる。そのまま彼の指と指のあいだに、私のそれを押しこんで、絡めて、握る。恋人つなぎ。
「どう?」
「だから、なにがだよ?」
「高梨さんも、こうやって手を握った?」
沈黙があった。
声にならない悲鳴が聞こえた。
彼は私の手を振り払い、突き飛ばすと立ち上がる。落ちていた銃を拾い、私に向けて引き金を引く。
タァン。
私の頬を、熱いものが伝う。手で拭うと、真っ赤な液体がこびりつく。
「おま、おまえっ、自分が一体なにを、う」
彼はフードを下げ一気にガスマスクを取り去った。そのまま体をくの字に折り曲げる。口許を押さえた手の隙間から、透明な液体がボトボトと零れた。
苦しそうにせき込む彼に私は言った。
「ごめんなさい、そんなつもりはなかった」
「ふざけんなよ、本当に。だったらどういうつもりだ」
「こうすれば、あなたが落ち着くと思った。おもえば、軽率だった。ごめんなさい」
「いいか、彼女は、お前が殺したんだ。なのに、こんな、死者への、冒涜だ」
「ちがうよ」と私は言った。
「なにが違う」
「私は、あなたの大切なひとを、殺してない」そう言ってからふと考える。
「いや、やっぱ殺したかもしれない。ごめんなさい」
こちらを射殺すように睨んでいた彼の表情が、だんだんと思案するものに変わった。
「仮に例の眉間を抜かれた個体だと仮定して……お前は自分のことを、何者だと思ってる? 人間か? 化物か?」
「どちらかといえば、人間。でも、まわりで死んでる人たちを見ると、そうじゃないんだろうなぁって思う。なんか、傷なおるし」
「化物のころの記憶はないのか?」
「ない。気づいたらここにいた」
「……人間のころの記憶も?」
「ない」
「……それでよく、平然としてられるな」
私はゆっくりとかぶりを振った。
「んーん、こわい。自分が誰かもわからない。しかも血まみれの人たちがあたり一面たおれてて、お前もこの人たちの仲間なんだって、人殺しの化物なんだって。しかも銃を突きつけられて、殺されそうで、こわい、泣いちゃいそう」
「……そうは見えないが」
「だって、あなたも辛いでしょ? 私が泣いたら、誰があなたを、なぐさめてくれるの?」
すっと、銃口が地面をむいた。彼がぽかんと口を開ける。
「なにを言ってる?」
「自分でも、なんであなたを救いたいか、わからない。それは私の基になった女の子に訊くしかない」
「……おかしいだろ。突然化物にされて、殺されかけて、そんな状況で見知らぬ俺を、なぐさめようとしてる? そんな極端な心理に至る人間が世界のどこにいるっていうんだ。それは化け物の理屈だ。狂ってる。現実的じゃない」
「そう言われても、こまる。それに、決めつけるのはよくない。じゃあ、逆にきくけれど」
そう言って私は視線をめぐらせる。
どこまでも続く、死体の山。
「あなたにとって、この世界は現実的なの?」
「それは……」
ふいに私は、自分の両手がこきざみに震えているのに気付いた。そうか、と思った。自分で言葉にしてようやく気づいた。
私は怖いのか。
思えばさっき数歩あるくのにも一苦労した。あれは身体的な外傷じゃなくて、どうやら腰がぬけそうになってたみたいだ。
「ごめんなさい」と私は言った。
「……なんだ。今度は何に謝ってる」
「さっき、あなたの手を握った理由を、あなたに落ち着いてもらうためと言った。でもそれは半分だけ。そして、きっと言い訳みたいなもの。もう半分は、私のため」
おかしいくらいに震える腕を、必死にもちあげる。彼を求めるように、まっすぐにのばす。いちど自覚した恐怖が伝播して、呼吸が荒くなる。涙腺が熱くなる。
「どうしようもなく、こわい。だから誰かに、縋りたかった。触れたかったんだと、思う」
もちろん口には出さないけれど、高梨さんも、そうだったんじゃないかと思った。自分の未来がこわくてたまらなくて、だから適当な理由をつけて手を繋いだ。腕をからめた。もっと強い繋がりを求めた。
自分はひとりじゃないんだって思いたかった。
当惑したようにたじろいで彼は言った。
「つまり、なんだ、俺にまたさっきみたいに、手を繋げっていうのか?」
「そうしてくれると、うれしい」
「ふざけんな。誰が化け物なんかと」
「じゃあ、あなたはどうしたい?」
「は?」
「どうすればあなたは、その苦しみから解放される?」
「なんで俺の話になる」
「私はあなたを救いたい。そしてあなたに救われたい。順番ね」
「だからなんで化け物なんかに」
「たとえそうでも」と私は言った。
「この気持ちが模倣品でも、あなたを救いたい気持ちに偽りはないよ」
「……」
彼はしばらく私を睨んでいたけれど、やがて諦めたようにガシガシと頭をかいた。
「わかった。降参だ。どうせ彼女のいない世界に意味なんてない。どうとでもなれ」
銃を下ろしてずかずかと私の方へ歩み寄ると、座り込んだ私に「ほら」と手を差し出した。そっけなく突き出されたその手をみつめ、私は首を振った。
「ちがう。ここ」
そう言いながら、さっきまで彼が崩れ落ちていた地面をぽんぽんと叩く。
彼は「クソ、わかったよ」と悪態をつきながら、そこにどかりと胡坐をかいた。
彼の手をとった。手の平を重ねあわせ、指を絡める。さっきみたいに恋人繋ぎをする。
「あぁ、鳥肌が立つ」
「ごめんね」
「謝るくらいならやるな」
「じゃあ、ありがとう。ちょっと落ち着いた」
彼は何も言わなかった。
そのまま黙って、ふたりで地獄みたいな世界を眺め続けた。たくさんの屍に囲まれて、けれど私たちは生きていた。この世界に存在していた。
徐々に私の震えはおさまっていった。
「あなたは自分を空っぽの人間だって言ったよね。愛に飢えてるって」
「……その話を掘り起こすな」
「私じゃだめかな?」
彼は緩慢なうごきで私に視線を合わせた。『お前は何を言っている?』と表情が語っていた。
「私があなたの空っぽを埋めるから、あなたは私が怖くないように一緒にいて欲しい。もし良ければ、ふたりで手を取り合って生きよう」
彼の瞳が、揺れた。
「そんなの、許されない」
「誰が許さないの?」
「そりゃ、お前は化け物だし、なにより……そんなのは、彼女への、裏切りだ」
「もういないよ」
「……」
「それに今、あなたを救おうとしてるのは、私」
「ねぇ、見て」
「見て」
「私を」
「辛いんだよね。縋りたいんだよね」
「いいよ、縋って。私に、あなたのかかえるものを分けて」
彼が怯えたように首を振る。
「やめろ……今の俺に、それは」
「もしあなたが私を、受け入れてくれるなら、」
「私があなたを、愛してあげる」
彼の瞳から一筋の涙が伝い落ちた。
「ひとつだけ」と彼が震える声で言った。
「ひとつだけ、条件がある。ここでの出来事を、いや、厳密には高梨についての記憶を、お前から……君から消してほしい」
私は首をかしげた。
「そんなこと、どうやって?」
「……ある実験の結果から考えるに、君から化け物の意識が消えたのは、おそらく脳のあるポイントに外傷を受けたからだ。これには続きがあって、もう一度おなじ工程を繰り返すと、人間の意識になってからの記憶だけが消えた。化け物でなくなった時点を起点に、記憶をフォーマットできるんだ」
そう言ってから、彼は傍らに立てかけられた銃に視線を向けた。
「そっか。良いよ」
「問題は、仲間たちに見つからず君をこの空間から連れ出せるかということ。そして記憶を失った君が、俺を受け入れてくれるかということ」
「前者はともかく、記憶を失ったあとの私のことは大丈夫。未来の私から目をそらさないで。きっと私はあなたを救いたいと願うから」
「……あぁ、信じるよ。俺の脳みそはもう、使い物にならない」
絡めていた指先が、離れる。それでも、もう何も怖くはなかった。
彼は立ち上がり、私と向かい合った。
銃口を、私に。
私の眉間にぴたりとつける。
発砲の余熱が残っているのか、おでこがちょっとだけ熱くなった。
彼は何の表情も浮かべていない。ただ、目の前にある現実に押し流されている。そんな虚ろな目をしている。
そんな彼に、私は両腕をのばす。
まるで愛する人を抱きしめるみたいに。
そのすべてを受け入れるみたいに。
「じゃあ」と私は笑う。
「これから、よろしくね」
「あぁ」と彼も自嘲するように笑う。
「よろしく」
そして彼は、引き金をひいた。
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