来訪者
足元がおぼつかなかった。よろよろと壁際まで歩き、体重をあずけながら座りこんだ。そのあいだも頭の痛みはひかなくて、膝をかかえて丸くなった。
なぜ、と私は考える。
なぜ、私は、この世界の秘密を知っていたの?
ひどく不安で、必死になって自分のからだを掻き抱いた。
ただ、あなたに会いたかった。
膝をかかえて、目をかたくつむって、じっとしていた。
テレビはずっと人々の混乱を鎮めるためのメッセージを発信しつづけていた。真新しい情報はなさそうで、私は立ち上がりテレビを消して、また同じ場所で丸くなった。いちどだけ遠くでパトカーのサイレンがきこえた。
いつしか炎は消えて、部屋は暗闇にしずんでいた。かすかに入りこんだ月のひかりが、ふたりの思い出の空間を青白く浮かび上がらせた。
前触れもなく、音がした。
心臓が飛び跳ねるかと思った。
外からじゃない。すべてが静止した部屋に木霊したのは、
間違いなくインターフォンの音だった。
時計をみた。
午前五時十六分。
真冬ではまだ陽も登らぬ時間帯。
けれど誰かが、部屋のそとにいた。
ふだんから誰も来ないのに、こんな非常事態に誰が……とは、思わなかった。
この非常事態だから、なにかが、来たのだ。
体の芯まで凍りつくようだった。食い入るように玄関へつづく廊下を見つめた。
常日頃あなたから誰が来ても出るなと言われていた。やることはなにもかわらない。ただ息を殺して来訪者が去るのを待った。
もういちど、鳴った。ピーンポーンと間の抜けた電子音が響いた。
もしかして、あなたが帰ってきたんじゃないか、と期待した。あまりにも疲れ切って、うっかり鍵を落として助けを求めてるんじゃないか、と。
私は立ち上がった。壁掛けのインターフォンの対応ボタンが赤く点滅していた。その機体はきちんとモニターまで完備されていて、ボタンを押すと外の映像が見えてしまう。それはなんだか、怖かった。見えてはいけないものが見えてしまう気がした。
廊下に出て、玄関のちかくまで歩いた。
はばきの手前で足枷の鎖がぴんと張った。それで気づいた。
たとえあなたが帰ってきていたとしても、私には扉の鍵を開けることができない。当然あなたもそれを知っているはずだ。
この部屋のそとにいるのは、見知らぬ誰かだ。もう私にはどうすることもできなかった。ただ気配を殺して扉を凝視した。
なにか、にぶい音がした。知っている音だった。鍵が錠前に刺しこまれた音だ。あなたが帰ってきたときにいつも聞く音だった。
体中を血流がめぐりだした。なんだ、やっぱりあなたじゃないか。私は安堵のため息を、
じゃあ、さっきのインターフォンは何?
鍵のつまみが回った。かちゃり、と乾いた音がした。
「待って!」
叫んでから、両手で口をふさいだ。とっさの行動だったし、言ってから『私は何を』と思ったけれど、それしか道はなかった。垂れたままのドアチェーンには手が届きそうになかった。
恐怖で奥歯がかちかちと鳴った。荒くなった呼吸に肩が震えた。
祈った。
入ってこないでと、祈った。
扉の向こう側も沈黙していた。鍵を引き抜く音もしなかった。
たっぷり数秒はそうしていた。
やがて、声がした。
あなたじゃなかった。
「誰か、いるんですか?」
はじめて聞く若い男の人の声だ。
こたえるべきか逡巡した。けれど既に声は聞かれてしまったし、無言をつらぬけば扉を開けられるのは時間の問題だった。私はなかば掠れるような声で言った。
「います。だから、あけないでください」
すでに鍵は開けられていた。だからこれは命乞いにも似た嘆願でしかなかった。
扉の向こうの男性は言った。
「失礼しました。インターフォンには反応しないだろうから、鍵を開けて良いと山田さんから言われていたので。……思えば、最初からこうして声をかけていれば良かったですね。すいません」
かしこまった話し方をする人だった。すくなくとも話が通じそうな相手で、私は徐々に平静をとりもどしていった。
山田さん、と私はあたまのなかで反芻した。
その名前には聞き覚えがあった。それは二人でいったレストランの予約確認とか、郵便受けに入っていた封筒のあて名とか。直接きいたことはなかったけれど、つまるところあなたの名前だった。
その男性はちいさく咳ばらいをしてから言った。
「私は、山田圭司さん本人からの依頼で、このお部屋へと参った者です。彼は私の直属の上司にあたります」
それを聞いて、仕事のはなしをするときの、あなたの困ったような、それでいて嬉しそうな表情を思い出した。その顔をするときは、決まってひとりの相手について話していた。
「もしかして、優秀な部下さん、ですか?」
「……そう言われると答えにくいですが、目をかけていただいたのは事実です。山田さんがそう呼んでいたんですよね。おそらく自分のことかと」
ちょっとだけ不安がやわらいだ。この部下のひとをあなたは強く信頼しているようだった。あなたが信頼するひとなら、私も信頼したいと思った。とはいえ顔も知らない初対面の相手だ。部屋に入ってくださいとは言えなかった。
そこでようやく、私はもっとも重要なことを思い出した。
「すいません。あの人は、いまどこに?」
扉の向こうで、息をのむ気配があった。
なにか用事があって帰れないのだろうか。そんなときに海の向こうで火柱があがって、私の様子が心配だからこの人を代わりに来させたんだろうか。
そんな楽観的な想像をする私に、扉のむこうの男性は硬い声で言った。
「ところで、ニュースはみましたか?」
「はい。すごくこわかったです」
「ですよね。そして、にわかには信じがたい話だったと思います。それを承知で話すのですが、実は山田さんと私は、総理が話していた地球防衛のための部隊……いわば『地球防衛軍』の一員でした」
「知って……いえ、そうなんですね」
あやうく答えを間違えるところだった。理由はわからないけれど、私の記憶の中身は世界のトップシークレットなのだ。知っていると答えたら、きっとあなたが秘密を漏らしたと疑われただろう。
「ご理解が早くて助かります。そしてご存じのとおり、数時間前、『最終兵器』の起動により、長きにわたる戦いに終止符が打たれました」
「はい」
「それで……ですね」と部下さんは口ごもってから言った。
「その『最終兵器』なのですが……世界各国が先端技術の粋を集めた新兵器とはいえ、十全な効果を発揮するには、敵陣の核となるポイントまで運搬する必要がありました」
「はい」
「運搬には護衛が必要でした。作戦は正面突破ではなく敵の目を搔い潜る方向に計画されたため、極少人数の精鋭たちが任務にあたりました」
「はい」
「…………そして、兵器を指定ポイントに設置後、敵地から離脱するだけの時間や戦力がないことは……火を見るよりもあきらかでした」
「……」
まず言葉の意味を理解して。
そういえばこれは、あなたの居場所についての回答なのだと思い出した。
その先を聞いてはいけないと思った。
けれど体が動かなかった。
だから音は無慈悲に耳へと到達した。
「山田さんはこの最終作戦へと志願しました。そのための資質や実績は十分にありました。そして今日、人類は勝利を手に入れた」
「つまり、ですね」と部下さんは言った。その声はひどく、震えていた。
なにも考えられなくなった頭の片隅で「あぁ、あなたは慕われていたんだな」と他人事のように思った。
「あの人は、世界を救った英雄になりました」
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