お人よし②

 ナナちゃんの再襲撃は翌日だった。


 時刻は前日とおなじ昼下がり。窓ガラスの立てるコンッという音に、私は耳をふさぎたくなる。けれど逃げるわけにもいかず、意を決してカーテンを開け放った。


 案の定、昨日とおなじ格好で枝を握りしめる彼女がいた。


 窓を開けると同時、彼女がほがらかに言う。ふわふわの明るい髪に一枚の葉っぱがくっついていた。


「やぁやぁ、ユウちゃんこんにちは! 今日も美人だね!」


「……こんにちは」


 私はすでにゲンナリとしている。


「それで、考えてくれたかな? 友達になってくれる?」


 単刀直入な彼女の問いかけ。私はひとつ大きく息を吸ってから言った。


「そのまえに、いくつか質問させて」


「うん、いいよ! なんでも聞いて!」


 彼女の来訪についてあなたに相談したかったけれど、部屋には電話や携帯、パソコンといった外部と交流をとれる機械がない。そもそもあなたの連絡先を知らない。


 ならばこの問題は私が解決するしかなかった。いっそ無視することも出来たけれど、昨日の発言に気になる点があった。……いや、気になるところばかりではあったのだけど、それはそれとして。


「私のことを幽霊と言ったのは、なぜ?」


「学校のみんながそう噂してたからだよ。このアパートに幽霊の女の子がいるって」


 そう、たしか昨日の彼女も『学校のみんながそう呼ぶから』と発言していた。どうして部屋から一歩も外に出ない私が、彼女の学校で噂になるのだろう? 場合によっては、私とあなたの静かな生活が脅かされる可能性がある。そもそもの原因を探っておく必要があった。


「その噂、もっと詳しくおしえて」


「んとね、まずは、三年の先輩が学校に行く途中に、このアパートの窓からすっごく綺麗な女の子がこっちを見てたって言いだして、」


 その先輩とやらは知らないけれど、たしかに通学途中の同年代の子をながめていた時期があった。私は「あぁ」と納得の声を漏らす。


「もう本当に綺麗な人で、ひとめぼれしたからお近づきになりたいってなって、その先輩や友達で、時間があればこのお部屋を監視してたらしいんだよね」


「……そ、そっか」


 さらっと怖いことを言われる。


「でもぜんぜん女の子は出てこなくて、学校に行ってる気配もなくて、なんでだろうなーって思いながら一週間くらいしたころ……あやしいおじさんが、この部屋に入ってったんだって」


「あやしいおじさん」


「うん、あやしいおじさん。で、先輩たちが学校中にそういうことがあったんだーって話をして、みんなが女の子とおじさんの正体を考えて、最後に出た結論が」


 そこで彼女はにんまりと意地の悪そうな笑顔を浮かべ、


「おじさんが実は誘拐犯で、女の子はおじさんが勢い余って殺しちゃった、被害者の幽霊だって!」


 ……。


 なぜ?


「飛躍しすぎ、じゃないかな」


「んー、男の人がいるって分かったら先輩たちも飽きちゃったみたいで、みんな好き勝手に言ってたからね! おもしろければ正解なんだよ!」


 あずかり知らぬところで、私たちの生活が少年少女の娯楽として消費されていたらしい。


「私が殺される必要はあったの?」


「なんかね、あまりにも美人だから『この世ならざる者』なんじゃないかってことらしいよ!」


 それで幽霊ちゃん、ということか。


「そっか。教えてくれてありがとう」


 なんだか全身の力が抜けていくようだった。部屋を監視されていたという事実には肝が冷えたけれど、もう過ぎた話のようだし気にしなくて良いだろう。


「じゃあお礼に友達になって!」


「それは、待って」


 近所の学校で私が噂になっていたという件は解決した。けれどもう一つ、目の前には大きな謎があった。


 というか、いる。


「たしか……山本、さん?」


「ナナって呼んで! ナナちゃんでも良いよ!」


「……ナナさん」


「それじゃ七三分けみたいじゃん! やめてよぉ!」


「じゃあ、ナナちゃん」


「はいはい!」


「あなたはなぜ、私と友達になりたいの?」


 とつぜん現れて友達になってくれという女の子。その動機はなんなのだろう。野次馬根性というやつだろうか。


 ちなみに私はインターフォンが鳴っても居留守をするように言われていたから、彼女が二階の窓から現れたのはそのせいだろう。思い返せば昨日、ナナちゃんが来る数分前にもインターフォンが鳴っていた気がする。


「だってもし本当に幽霊だったら、すごいことじゃん!」


 興味本位、ということらしい。なんとも恐ろしい行動力だった。


「でも私、ちゃんと生きてる。それでも良いの?」


「んー、それは残念だけど、ユウちゃんみたいな綺麗な女の子と友達になれるなら、それもハッピーだよね!」


 そう言ってナナちゃんは両手で作ったピースサインをぶんぶんと振った。さりげなく生きてて残念と言われた気がするけれど、それはともかく。


 どうしよう、と思う。


 私には彼女の友達になって欲しいという願いを、叶えることができない。


 彼女の想定する『友達』がなにを意味するのかは分からない。でもどんな形であれ継続的な関係を築くことは、あなたとの生活を守るうえで好ましくないと思った。


 そもそもこの会話すら、あなたが知ったらどんな顔をするか分からなかった。怒られるかもしれないし、それよりも私の勝手な行動に、あなたが困ったり悲しんだりする方が嫌だった。


 意を決して、私はナナちゃんに伝えた。


「ごめん、私は、友達になれない」


 ぴたり、とナナちゃんの動きが止まる。やがて花がしぼむように笑顔をひそめた。口許にわずかな笑みを残しながらも、視線を泳がせて彼女が言う。


「そう……そか、なら、仕方ないね」


 その落ち込みようは見ていて気の毒になるほどだった。身勝手な話だけれど、その様子をみて私はおどろく。それまでの快活さから、申し入れを断ったところで特に気にされないものだと思っていたのだ。ここまで消沈するとは想定外だった。


 ちょっとだけ慌てて、私は言葉を付け加える。


「その、友達になれないのは、決してナナちゃんが悪いわけじゃなくて。私には……外に出られない事情があるから、そんな友達、嫌だろうな、と」


 言い訳を考えながら、なぜ自分は必死になっているのだろうと思う。彼女は突然おしかけてきただけの、迷惑な赤の他人でしかないのに。


「私はそれでも気にしないよ」とナナちゃんが言う。「たまにこうやって、おしゃべりしてくれたら嬉しいんだ」


「おはなしするのも、私は得意じゃない。私のために使う時間があるなら、ほかの友達といっしょにいた方が、たのしいと思う」


「友達、いないよ」


 ナナちゃんがポツリと言った。


「え?」


「私、学校で独りぼっちなんだよね」


 そう言ったあと、彼女は自分の発言にぎょっとしたように目を見開いた。


「あ、ご、ごめん。えっと……お、お邪魔して、すいませんでした! 帰るね! アデュー!」


 言い放つと彼女は前日のように木から飛び降りようとして、


「ま、待って!」


 気がつくと私は彼女を呼び止めていた。


 すでに飛び降りる姿勢だったナナちゃんは「うわ、ととと!」とバランスを崩しかけながらも、どうにか枝のうえに留まった。そして不思議そうに目をまん丸にして私を見つめてくる。


 私は、どうして自分が彼女を呼び止めたのか、わからなかった。


 ただ頭の中に、さっきまでのナナちゃんの様子が繰り返し再生されていた。なにかが私の胸のうちに引っ掛かっていた。


 明朗快活そうな彼女に友達がいない事実は意外だったけれど、私は彼女の私生活など何も知らない。思えば私も元気いっぱいすぎる彼女と会話をするのが億劫だった。彼女の交友関係について意見できることなど、なにもない。


 私が気になったのは、きっと、彼女の目だ。


 さっきの彼女は、もしかしたら同情を引くために、あえて失言したのかもしれない。自分の弱みをさらけ出すことで、私に罪悪感を抱かせるための策略なのかもしれない。ならば彼女は計算高い女性なのだろう。


 けれど自分が独りぼっちだと言ったときのナナちゃんの目は、なんだか、ここではないどこかを見ているようだった。ひどく疲れ、擦り切れ、孤独で、もうどこにもいけない人がする目だった。


 あの日、夕暮れの部屋で、私を見下ろしていたあなたの虚ろな目を、思い出した。


「もうひとつだけ、聞かせて」と私は言った。


「ナナちゃんは幽霊と友達になれたら面白そうだから、ここに来たって言った。ほんとうに、それだけ?」


 ナナちゃんはじっと私の目を見つめていたけれど、やがて気恥ずかしそうに笑いながら言った。


「ごめんね、迷惑をかけるつもりはなかったんだけど、変な空気になっちゃったね! うん、理由はそれだけだよ! 私って面白そうならすぐに飛んでっちゃうからさ、それで……」


 だんだんと、彼女の言葉尻がすぼんでいく。私は彼女から目を離さなかった。少しだけ押し黙ったあと、ナナちゃんは諦めたように話し始めた。


「あー、んー、ごめん、お恥ずかしい話なんだけれど、さっきも言ったとおり、私あんまり学校になじめてなくてね。こんな毎日いやだなーって思ってたら、幽霊ちゃんのウワサを聞いて、それで、えと、ほんとうに幽霊ちゃんが幽霊だったら、なにか、その、私の世界も、変わるかなって。……言ってて恥ずかしー!」


 ナナちゃんがキャーっと手で顔をおおって身悶えする。そんな彼女に私は言った。


「でも、私は幽霊じゃなかった」


「うん、そうだね。でもここまで来たからには、友達獲得のチャンスにしないとって思って! ……学校の外の友達は貴重だからねー」


 遠い目をする彼女に、そういえばと思う。彼女が来るのは昨日も今日も昼過ぎで、くわしくは知らないけれど、学校の休み時間に抜け出しているのかもしれない。


 ちらりと、彼女から視線をはずす。立ち並ぶ街路樹のあいまに、あなたと訪れた海が、真昼の陽光を反射してきらきら光っているのが見えた。私は静かに目をつむり、ちいさく溜息をついてから、言った。


「ごめん。さっきのは、なし」


「え?」とナナちゃんが目を丸くする。


「友達になろう」と私は言った。


 彼女がぱちくりと瞬きを繰り返す。ややして私の言葉の意味を理解したのか、おずおずと申し訳なさそうに言った。


「ほんとうに、ほんとうに良いの? もう今更だけど、私、ユウちゃんを困らせたいとか、同情して欲しいとか、そういうつもりじゃなかったんだよ」


「ううん、大丈夫。よく考えたら私も、友達いないから。シンパシーってやつかな」


 もちろんそんな理由ではなかった。私が意見を変えた理由は、言ってしまえば彼女の言う通り同情のようなものなのだろう。ただ純粋に彼女のことを放っておけなかった。


 もちろん彼女は変わらず未知の襲撃者である。ただかわいそうという感情だけで手をさしのべるにはメリットがなさすぎた。それでも私が決断をしたのは、やはり彼女にあの日のあなたの面影が重なったから。力になれたらと思ったから。


 きっと『過去』の私は、そうとうなお人よしだったんだろうな、と思った。あなたが私を部屋に留めおきたがる理由も、そのあたりにあるのかもしれない。なんだかすこし、眉間のあたりがずきりと傷んだ。


 あなたに全てをさらけ出すか、あるいは隠し通すかは、これから考えれば良かった。どちらにせよ気分が重くなることに変わりはないけれど。


「うおおおおおお! やったー!」とナナちゃんがバンザイをして喜ぶ。乗った枝がわさわさと揺れてひやひやした。


「じゃあよろしくねユウちゃん! これから毎日遊びに来るね! あ、お弁当もここで食べて良い!?」


「え、あ、うん。毎日は、やめて欲しいかな……」


 それからナナちゃんはひとしきりはしゃいだ後、やはり休み時間に抜け出していたらしく、「あ、授業がヤバい! アデユー!」と叫んで去っていった。まるで嵐が去ったかのような静寂に私だけが取り残された。


 なんだかいつもの生活に戻る気にならなくて、私は窓べりに体を預け、ふたたび街路樹の合間の海をながめた。あなたが介在しない他者との関係性。それが私に……いや、ふたりの生活にどんな影響を及ぼすのかは未知数だった。


 さっきまでのナナちゃんとの会話を回想する。ふと、ひとつの言葉がひっかかる。


『おじさんが実は誘拐犯で、女の子はおじさんが勢い余って殺しちゃった、被害者の幽霊だって!』


 私は自分の足元に視線をむける。右の足首にまかれた黒いベルトの足枷。そこから伸びる、鏡みたいにぴかぴかな銀色の鎖。


 彼女に見られないよう注意しないとな、と私は思う。

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