第12話 別れ

 ラスボスドーナを倒し、悲願の魔石を手に入れた俺達は、翌朝、充分な休養を取り体も清めた後、村の外れにある小さな神殿へと向かった。

 この世界には神社という物が存在しない代わりに、各村ごとにその規模に合わせた神殿が建てられ、そこにこの世界で信仰されている神様の像が祀られている。昨日やっと手に入れた念願の魔石。この石に願いを叶えて貰う為には、神殿に設置された貢ぎ物を捧げる台の上に石を置いて、祈りをかけなければいけない、とスタンに教えてもらった。

「神殿は決められた村の物でなければいけない、とかそういう決まりは無いらしい」一行の先頭を歩きながらスタンが言った「あくまでも聞いた話だから絶対間違いないとは言い切れないが…。まぁ、やるだけやってみよう」

 相変わらず祈願成就に固執していないスタンが取り敢えず感を出しながら、辿り着いた神殿の扉を押し開ける。すぐ後に続いたグリージャが

「オイオイ、ここまで来て、やり方が分からなくて失敗しました、なんてのはやめてくれよ」

 と不安に満ちた顔を見せた。

 いよいよ願いを叶える瞬間がやって来た。だが俺はまだ内心に不安定な思いを抱え続けていた。転生された当初は違う世界に移して貰える期待を持ちながら、ドーナとの戦いを開始した。途中前世よりも恵まれた境遇に置かれた事で一時的な迷いが生じたが、それを吹き飛ばす転生課長が登場した事によって、再び別の世界への脱出を実現させる思いが再燃した。しかし全ての問題が無事収束し、この世界に身を置く事に対して一切の不満が無くなり、其れ処か自分を大切にしてくれる人達の存在を身に染みて感じる事で、そこまで再転生にこだわる必要があるのだろうか、という思いが再度心の中に生まれて来ていた。

 顔を横に向けると、サンディと目が合った。ニッコリと幸せそうな笑みを俺に見せてくれるこの女性と、どうしても別れなければいけない理由があるのか?最後の最後に来て、本来の願い事がここまで朧気になってしまうとは…。何の迷いも無いグリージャが羨ましい…。

 そう思いながら見ていると、スタンが祭壇の前に進み中央にある小さな台の上に、これまでの苦労の結晶とも言える緑の魔石を設置した。そして数歩後退し俺達の前に戻って来てから、無言でこちらを向いて頷いた後、改めて祭壇の方に体を向けた。台に置かれた魔石を前に、スタンを中心にした残りの四人が横一列に並ぶ形になった。

 俺達の視線が石に集中する事数分…。

 突然緑の魔石が同色の眩い光を放ち出した。その光がみるみる強まっていき、周りの空間が緑色の輝きに満たされた時、それを上回る激しい閃光が走って俺達の目を一斉に眩ました。思わず閉じた目を、光が収まった気配を感じながらソロソロと開けると…。

「ア、アンタ…!」

 グリージャが周りに響き渡る素っ頓狂な声を上げた。俺も思わず目を皿の様にして、前方の光景に見入った。

 祭壇の手前に一人の男の老人が姿を現し、厳かな雰囲気を漂わせて悠然とした態度でこちらを見つめていた。全身を纏うゆったりとした白い衣。胸元まで下がる白い顎髭。禿げた頭部を囲う様に生える白髪…。お久しぶりですね。まさかここで再会するとは。

「何でアンタがここに… ! ? 」

 グリージャが俺の代弁を兼ねて、その老人─白神様─に尋ねた。それを見ていたスタンが、余程呆気に取られていたのだろう、普段の合理的な物言いからは程遠い、間の抜けた様な言葉でグリージャに問い掛けた。

「…知り合いの方か…?」

 俺とグリージャ以外の三人は、理解が追い付かない、と言った表情を見せて呆然としている。俺達が幽霊や宇宙人の類いを実際に目の当たりにしたら、こんなリアクションになるのだろうか?そんなスタン達に構わず、グリージャが白神様に質問を浴びせた。

「願い事って…。アンタが叶えるという事なのか ! ? 」

 白神様は厳かな雰囲気を崩さず

「私ではない。前に言った通りその石が願いを叶えてくれる」

 俺も質問に加わった。

「じゃあ、何故貴方がここに?何の用で?」

「まぁ、取り敢えず落ち着きなさい」白神様が俺とグリージャを一旦なだめる様に制してから「そちらの三人にまず色々と説明しなければいけない」と言って呆然としているスタン達の方を向き「御三方、多少長くはなるが、大事な話だからしっかり聞いて理解を示して欲しい」

 そう前置きをしてから、まだ気持ちの整理がつかないと言った様子のスタン、サンディ、マルルに対し、ゆっくりとした話し方で、長い説明に入って行った。

 天界における神々の戦争の話から始まった白神様の説明は、邪神によるドーナの怪物化、階段から転げ落ちた俺がこの世界に転生した事等を経て、魔石の効果、それによる俺とグリージャの再転生の話に至るまで、事細かく解説しながら淡々とした口調で進んで行った。その間の三人の表情が不思議なお伽話を聞かされている様な感じで、まだ完全に内容を理解し切れていないのが、何となく見て取れた。

 白神様の長い説明が終わると、グリージャが当初からの疑問をぶつけた。

「んで、アンタがここに来た理由は何なんだ?石の力で願い事が叶うのなら、アンタは何をする為に現れたんだ?」

 グリージャの質問に対し白神様は

「まぁ、言うなれば審査をする役割の為に来た、という事になる」

 グリージャが何だそりゃ、と言った顔をして

「審査って…、何だよ?」

 と問うと、白神様は

 「其方達の願いが実現可能な内容か否か、私が審査をして、問題無ければ実行、不可な場合は却下する」

 と初耳となる情報を伝えた。

「願い事を叶えるのに制限があるって事 ! ? 」俺は思わず白神様の顔を凝視した「全ての願いが叶う訳では無いのか ! ? 」

「オイ!フザけんなよ、テメェ!」グリージャの口調が一気に荒くなった「何でも叶えてくれるみたいな事を言っておいて、いざ実行するって時になったら、実は制限がありますって、バカにしてんのか ! ? 詐欺じゃねぇか、そんなの!どういう事だよ ! ? 」

 荒れ狂うグリージャに対し、白神様は

「続きがある。落ち着いて聞きなさい」と冷静になだめてから「基本願い事の実現に対する細かな制限は無い。だが、場合によっては、実現させたら多大な問題が生じる様な願いが出てくる恐れもある。例えば、自分が絶対的な存在となってこの世界を支配したい、とか、全ての女性を自分の物にして誰にも干渉されないハーレムを作りたい、とか、欲しい物があったら他人の所有物でも問答無用で手に入れれる力が欲しい、とか、己の願望に全振りして、世界を狂わす様な内容の願い事には待ったを掛ける、という意味だ」

 そう言って五人の顔をサッと見渡した。

「其方二人の願いは問題無く実現出来る。ただ他の三人の願いに関しては一応審査する必要がある。まぁ、見た限り特別変な願いは持っていないとは思うが…。内容に問題が無ければ、私がこの石の力を発動させる。そんなに危惧しなくてもいい」

 白神様の一通りの説明が終わると、黙り込んでいたスタンが俺達二人の方を見て、信じられない、と言った感じで独り言の様に呟いた。

「てっきり本物のゲイルだと思っていた…。本人と少しも変わらない…。驚きだ…」

 白神様の一連の説明で全てが曝かれてしまった。もう、これ以上ゲイルさんを演じていてもしょうがない。俺は三人に向かって深く頭を下げた。

「今まで隠していて済みません。でも本当の事を言わない方が良いと思ったんです。三人を混乱させて、パーティーとしての活動に支障を来たしては行けないと思って…」

 ここまで言ってから、半ば呆然とした状態のサンディと目が合った。急に申し訳ない気持ちが頭の中全体に溢れ渡った。気が付けば彼女に向かって無意識の内に土下座をしていた。

「自分は本物のゲイルではありません。色々と気を尽くしてくれたのに、貴女に中々本当の事を言えなくて…」もう何を言っても許してくれないだろうが、必死になって額を床に擦りつけた「こんな形で騙し続けて本当に申し訳ない!下手に二人の関係に夢を持たせてしまって…。謝って済む事ではないけど、本当に…、本当に…」

 ただひたすらに謝罪を続ける俺の肩に、誰かの手が優しく置かれた。頭を上げると、優しく労る様なスタンの顔があった。

「そんなに自分を責めてはいけない。むしろこちらが礼を言いたい。全く違う世界から来て戸惑いもあったと思うが、既に命を落としたゲイルを蘇らせて、ここまで精一杯戦ってくれた。そして立派にドーナを倒す事が出来たじゃないですか!こうして討伐を成し遂げる事が出来たのは、貴方達の頑張りがあったからです。本当に有難う!驚きはしましたが、貴方達に対する不満は一切ありませんよ!」

 そう言って、座り込んでいる俺の腕を取ると、優しく引っ張って立ち上がらせた。マルルも穏やかな笑みを浮かべて俺の前に進み出た。

「私も御二方には感謝の言葉しかありません。貴方達は立派なパーティーの一員だと思っていますよ。それに元の世界で険悪な関係だったのに、こちらに来てそれを改善してドーナを倒す為に力を合わせてくれた。とても素晴らしい事だと思います。不満なんてこれっぽっちもありませんよ。隊長と同じく私も御礼を言いたいです。本当にありがとうございます」

 そう言うと、深く御辞儀をした。そんな彼女に、俺の後ろからグリージャが

「俺達のしがらみが消えたのは、マルルさん、貴女のおかげです」と言って、あの夜の事を話し「貴女と会えて本当に良かったと思っています。出来ればもっとお話ししたかった」

 スタンとマルルの言葉を聞いている内に、俺は自然と目が潤んで来て、底知れない程の感謝の気持ちが湧いて来るのを感じた。気が付けば微量の涙でぼやけた視界にサンディの姿が映っていた。いつの間にか俺の目の前に歩み寄って来ていた。

「私、少しも怒ってなんかいないし、騙されたとも思って無いよ。逆に私がドーナにやられそうになった時に必死になって助けてくれて…。本当にアリガトね!古井さんと真木さんが転生してくれて本当に良かったと思っているよ!」両手を後ろに回してニコニコしながら「神様の説明だと、古井さんとゲイルは性格も人格も同じなんだってね。じゃあ、古井さんも凄い素敵な人に決まってる!ゲイルだけじゃなく、古井さんも大好きだよ!」

 冗談抜きでサンディが天使に思えた。あぁ、もう…。涙よ、止まってくれ…。

 そんな俺の顔にサンディが人差し指を伸ばして、頬を流れる一筋の雫をソッと拭った。そして白神様に向かって何歩か近づいて言った。

「あの、神様…。聞きたい事があるんだけど…。古井さんと真木さんがこの世界から居なくなったら、ゲイルとグリージャの体はどうなるの?まさか…、死…?」

 サンディの問いに白神様は淡々とした喋りで

「元々ゲイル達が死んでいる所に二人の命を入れた訳だから、彼等が別の世界に移ればゲイル、グリージャとも再び元の死体に戻る事になる」

 その説明を聞いたサンディは

「じゃあ、私の願いを聞いてくれる?」と一歩白神様に近づいて言った「古井さんと真木さんが抜けた後のゲイルとグリージャに、新しい命を与えて欲しいの!せっかく平和になったんだから、この後もずっと五人そのままでいたい!」熱く願いを語ってから、控え目に白神様を見た。「ダメ…かナ…?」

 すると、少し考え込んでいたスタンが白神様に尋ねた。

「神様、俺からも質問があります。古井さん達が元の世界に戻って、この世界に来るきっかけとなった事故を回避するとなると、今までの歴史は変わる事になりますよね。二人の転生は無くなって、古井さんのゲイルと真木さんのグリージャは存在しないし、そもそも今の状況も実現しないという事になる。そうなるとサンディの二人の再転生が済んだ後にゲイルとグリージャに新しい命を与えるという願いは無効になりませんか?」

 スタンの指摘を聞いたサンディの表情が一転して不安に包まれた。

「それって…。私のお願いはダメっていう事になるの?ゲイルとグリージャはずっと死んだままなの…?」

 白神様は腕組みをして暫く思慮に耽っていたが

「では、こうしよう。ゲイルとグリージャがそれぞれ命を落としたという時点で彼女の願いを叶える事にしよう。そして再びパーティーに加わるという流れにすれば、歴史が変わっても対応出来るだろう。勿論二人がこちらに転生してから今までに至る出来事とそれに関する記憶は全て消えてしまうが」

 するとマルルが落胆した様子で寂しそうに言った。

「そうなると、少し残念な気もしますね…。ここまで苦しい事もあったけど、五人で成し遂げた成果が全て無になって、またやり直しになるのは何か勿体ないですね…」

 これを聞いたスタンが

「神様、俺の願い事なんですけど」と白神様の真正面に立って「新しい歴史を作る事になっても、今までの記憶が俺達の中から消えない様にして欲しい。マルルの言った通り色々な事があったけど、正直それらの出来事を全て無かった事にされるのには抵抗がある。ここまでの様々な体験は自分に取って…、いや、他の四人に取っても他に代えられない大切な思い出になったと思う。そして新しいパーティーになって新しい戦いを迎える上でも、最高の勇気と知恵を与えてくれるはず」

 かつてなく熱い口調で話したスタンは、ここで俺達の方を向いて一人一人に問う様に語り掛けた。

「どうだろう?あくまでも俺個人の願い事だが、ここまでの記憶が皆の頭の中に残る事に、もし不満がある人がいたら、遠慮無く言ってくれ」

「私は賛成!」サンディが真っ先にスタンの考えに同意した「消したく無いよ!これまでの色々な思い出が跡形も無く消えるなんて、寂しいし嫌だもん!」

「私もサンディと同じ意見です」マルルも穏やかながら力強い口調で「再び戦いを始めて苦しい思いをする事があっても、ここまでの出来事を思い出せば必ず乗り切れると思います!」

 二人の意見に嬉しそうに頷いたスタンは、次に俺とグリージャの顔を見て

「君達はどうだろう?別の世界で生きながらこの世界の記憶を留める事になるが、もし不満があれば…」

 グリージャは文句無しと言った表情を見せ

「あのドーナと戦った記憶がいつまでも残るという事だな」俺の方を振り向いて満足そうに「俺も異論は無い。あんな凄い経験、元の世界では絶対に味わえないからな!」

 最後に俺の番が来たが答えは決まっている。

「自分も賛成です!貴方達との素晴らしい出会いは一生忘れたくない!」

 四人の意見を聞いたスタンは白神様の方に向き直り

「俺の願い事は以上です。何か全員の願いみたいになってしまったけど、代表して俺の願いという事でよろしくお願いします!」

 と言って頭を下げた。

「其方二人の願いは承知した」白神様が最後にマルルに向かって「其方の願いは何かな?」

 白神様に問われたマルルは困った様な顔をして

「私は特に…」と悩んだ後「あの…、ドーナを生き返らせる事は…、出来るでしょうか…?」

 全員が一斉に驚愕の色を浮かべて、マルルに視線を集中させた。

「ハァ ! ? 何て ! ? 」グリージャが大きな声で聞き返した「正気か ! ? せっかく皆で倒したアイツらをまた復活させるのか ! ? 」

 俺も戸惑いを隠さずマルルの横顔を見て言った。

「というか、あの居酒屋で俺と再開するまで時間が戻るのだから、願わなくても復活する事になりますよ…」

「いえ、それは分かっているのですが…」マルルが説明に困ったと言った感じで「これからまたドーナと戦って倒す事が出来たとしても、自分達の意志に反して邪神に利用され、人類の敵として一方的に滅ぼされる彼等が少し気の毒で…」憐れみを湛えた目で皆を見渡した「本来はこの世界の住人として、人間達と多少のいざこざはあっても、生態系の頂点に立って彼等なりに平和に過ごしていた筈です。怪物化されている内は無理でしょうけど、全て討伐が完了した後に、またこの世界の一生物として命を与えて欲しいのです」そう言って、少し上目遣い気味に申し訳無さそうに白神様を見て「あの…、駄目でしたら、私の願いは特に無し、という事で…。スミマセン…」

 如何にもマルルらしい願い事を聞いた白神様は、腕組みをしてどう判断を下すべきか迷っている様子だったが

「其方の願いは一旦保留という事にしておこう。其方達が新たなドーナの討伐に成功した後に、この世界の生態系に不都合な問題が起きる様な事があったら、慎重に検討してその上で実行するかどうか決める事にしよう」

 そう言うと、改めて俺達五人の顔にザッと目線を走らせた。

「其方達の願いは、ほぼ問題無しと判断した。これから石の効力を発動させるが、最後に言って置きたい事はあるかな?」

 後は、パーティーのメンバーに別れの挨拶をするだけだ。この神殿に来るまでは、今の世界に留まるか否かの迷いがあったが、想定外だった白神様の登場がその悩みを解消した。自分の正体をメンバーに知られた以上、ここに残っていても仕方ない。本物のゲイルさんも復活する事だし、もう俺がこの世界に残らなければいけない理由は無くなった。ではどうするか?

「古井、ちょっといいか?」こちらもグリージャの中に居る時間が残り僅かとなった真木課長が話し掛けて来た「お前は何処の世界のどの時代に移りたいんだ?元の世界だとどうしても駄目なのか?」

 スタンは俺が元の世界に戻ると思っているみたいだが、この場に及んで俺の思いはまだ固定されていなかった。

「特に嫌という訳では…。神様には元の会社以外の場所なら何処でもいいので、後はお任せするって言ってあるんですが…」

 俺のハッキリしない返答を聞いたグリージャは

「それなら俺と同じ願いにしないか?戻る場所は元の会社になってしまうが、俺に考えがあるんだ。多分悪い様にはならないと思うから」

 思わぬ提案を聞いた俺は一瞬戸惑ったが、神様任せの再転生よりはマシか、と思ったので

「分かりました。課長にお任せします」

 と返答すると、グリージャは大丈夫だ、と言った感じの笑みを見せて頷いた。


 いよいよこの世界、そしてメンバーとお別れする時が来た。祭壇に置かれた石の向こう側に白神様が立ち、俺とグリージャがそれに背を向けて、他の三人と向き合う形で横に並んだ。

 グリージャがまずスタンと握手を交わした。

「アンタがリーダーでホント助かったよ」力強く手を握りながら「迷惑掛け放題だった俺を助けてくれて本当に感謝している」そう言うと申し訳無さそうに頭を掻いて「俺達が戻るせいで、またドーナと戦わせる羽目になってしまった事については済まないと思っている。でもアンタ達なら必ずまたドーナを退治出来る!元の世界に戻っても、心の底から祈っているよ!」

 それに対しスタンは力強い笑顔で返して

「その事に関しては気にしなくていい。それより娘さんをしっかり守ってやれ。君達が元の世界で幸せになってくれるなら、俺達には何の不満も無い」グリージャの肩を叩きながら「こちらこそ今までドーナ討伐に協力してくれた事に深く感謝している。元の世界に帰ってからも頑張ってくれ」

 スタンが握手を解くと、サンディが明るい少しイジる様な口調で言葉を掛けた。

「いいお父さんになるんだヨ!向こうの世界でも元気でね!あ、後、女の人にはもう少し優しくするんだよ!その方がアンタも素敵に見えるからサ!」

 最初は言い争いばかりしていた二人が、最後に最高の笑顔を交わした。そしてマルルがいつもの優しい笑顔を見せ語り掛けた。

「ごきげんよう。娘さんと奥様にもよろしく言って下さい。古井さんともいつまでも仲良くして下さいね!」

 三人の言葉を聞いたグリージャは微笑みながら後ろに下がったが、何とも言えない寂しさを懸命に押し隠している様にも見えた。それを誤魔化す為か、俺をチラッと見て

「お前はいいのか?」

 と別れの挨拶を促した。

 言いたい事は山ほどあるが、中々思う様に言葉が出て来ない。そんな俺が迷いながら立ったままでいると、スタンが力一杯ハグして来た。

「もう何も言う事は無い。いつまでも達者でいてくれ。君の幸せを心から祈っている」顔を見ると今まで見た事の無い敬愛に満ちた顔で俺を見ていた「俺達の事、この世界で体験した事をいつまでも忘れないでいてくれればそれでいい。本当にありがとう。さようなら」

 スタンの挨拶が終わると、サンディが天使の様な笑みを見せ、俺の真っ正面に思い切り至近距離で近付いた。

「古井さんの事も大好きだから!いつまでも元気でね!お互いずっと忘れないでいようね!」

 アレ?俺ってこんなに涙腺脆かったっけ?この娘の明るい笑顔はもう見れない。苦しい時辛い時、色々励ましてくれた元気に溢れる快活な喋りももう聞く事は出来ない…。

「こちらこそ…、アリガト…」

 これだけ言うのが精一杯だった。こんな俺にサンディは最後まで優しかった。これまでで最高の笑顔を見せて

「古井さん、いい人だから、元の世界でも必ず素敵な女の人見つけられるよ!私なんかよりずっと素敵な娘!一緒になったら大事にしてあげるんだヨ!私達の事は心配しなくていいからね!ドーナなんか軽くやっつけちゃうから!」

 そう言うと俺にソッと抱き付き最後の温もりを伝えた。空耳か?グスッという音が聞こえた様な気がした。いや、やはり気のせいだろう。俺から離れたサンディの表情は、拝みたくなる程の笑顔と慈愛に溢れ返っていた。

 サンディが下がると入れ替わる様にマルルが俺の真っ正面に立った。そして一点の穢れも無い黒い瞳大きなで俺を見つめ

「ハラシ村で…、私に被さって必死に力を注いでくれた時の貴方の暖かさ…、死ぬまで忘れません。どうかいつまでもお元気で。さようなら…。愛しています…」

 俺はもう何も言葉を返せず、必死に悲しみに耐えながら、黙って俯く事しか出来なかった…。最後の最後で自分の気持ちを満足に伝えれないなんて…。情けねぇ…。

「そろそろ良いかな?」後方から白神様の声が聞こえた「あまり悲しい思いを長引かせたら、別れが余計に辛くなる。二人とも、そのまま下がって石に近付いてくれ」

 言われるままに三人と向き合いながら数歩後退すると、白神様が初めて聞く労る様な口調で俺達に言った。

「今までご苦労だった。命懸けの使命を果たしてくれて、感謝している。また縁があった時はよろしく頼む。くれぐれも達者でな」

 その言葉が終わると、何やら念じる様な低い独唱が聞こえて来た。それと同時に目の前に白い霧が立ち込め、みるみる内に視界を覆っていった。横を見ると、隣にいるグリージャの姿も霧に遮られ見えなくなっていった。彼の顔を拝めるのもこれで最後か…。

 そう思いながら前に視線を戻すと、一瞬だが霧の中に隙間が出来た。そしてその僅かな間から、パーティーの全員の姿が確認出来た。ほんの一瞬。それでも皆の姿形がハッキリと視界に映り込んだ。

 こちらを見ながら頼もしく力強く優しく微笑むスタン。

 満面の笑顔に寂しさを混じらせて精一杯に手を振るサンディ。

 聖母の様な穏やかな笑みを浮かべ名残惜しそうに見つめ続けるマルル。


 それが三人を見た最後の姿だった。

 

 


 

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恩讐は異世界の彼方に 紫葉瀬塚紀 @rcyo

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