第10話 小村激闘録(後編)
いよいよドーナとの決戦を迎えた朝。突き抜ける様な青空の下、新兵器となる弓矢を携えた俺達は、村長の考察の結果に従い村の東側の山へと出発した。マルルの目覚めにも僅かに期待したが、あの命懸けの治療の代償は思いの外大きく、結局俺達は彼女を外した四人のメンバーで討伐に挑む事になった。
村の東側の山、そこの麓に小学校のグラウンド位の広場があり、柵で囲まれたそのスペースの中に、前世の世界のそれとは若干見た目の異なる羊や山羊等の家畜が十数匹程飼育されていた。その広場のすぐ隣がドーナの住み家と思われる山の入り口になっており、鬱蒼とした木々の群れが人の立ち入り難い玄関となって、俺達に悠然とした構えを見せ付けていた。
ドーナとの一戦を優位に進める為には、動きの制限される山の中ではなく、比較的障害物の少ない広場を主戦場にする必要がある。かといって村の近くで戦闘を行うのは、周囲への被害を考慮して是非とも避けて置きたい。
「家畜を飼っている広場から、更に東に向かって進むと、草木の少ない少し開けた場所があります。ドーナと一戦を交えるのであれば、そこに誘い出すのが良いと思われます」
昨日村長からその様なアドバイスを受けた俺達は、言われた通りにその広場まで行き、そこでドーナとの決着を付けるプランを立てた。まずドーナをこの場所に誘き出す方法として、村の家畜の一匹に犠牲になってもらい、メンバーの一人がその屍を背負って森の中に入る。血の臭いでドーナを釣る作戦だ。その役目はサンディが受け持つ事になった。
「重くないか?いつも通りの動きは出来るか?」
スタンが血を滴らせた家畜の屍をサンディに背負わせながら、彼女に確認を問うと
「平気、平気!全然大丈夫だよ!」
と明るく返事をして軽く二、三回ジャンプをして見せた。
「重たかったら、半分に切ってもいいんだぞ」
グリージャが少し心配げに声を掛けたが
「大丈夫だってば!私を誰だと思ってんの?」
というサンディの冗談の混じった元気な返事を聞いて、このまま彼女に任せる気持ちを固めた様だった。
その後の流れはこうだ。ドーナを上手くこの広場に誘導する事に成功したら、俺とグリージャが協力して足止めをする。冷凍砲を脚部に集中させドーナの動きを止めたら、新兵器の石の矢尻を付けた矢を射ち込む。この役はスタンが担う事になった。
「今までの討伐で弓矢を使用する事は無かったが、国王軍時代に充分な経験を積んだから問題は無い。昨晩に何度か試し射ちもして、感覚もほぼ取り戻せた。もし俺に何かあったら、同じ経験者のグリージャに任せる。それと皆防御用のマスクをしっかりと装着するように」
ドーナの吐き出す毒ガスの対抗策として、村長が村で使われているマスクを貸してくれた。
「村人が農作業で粉状の肥料を畑に撒く際に使っている物です。ドーナの毒ガスに対してどこまで効果があるか分からないが、念の為に着けておいた方が良いでしょう」
「至れり尽くせりだな。有難い」グリージャがゴワゴワしたマスクを着けながら「あの化け物ガエル野郎にしっかりとお返ししてやろうぜ!たんまりとお釣りが来る位にな!」
と俺に力強く声を掛けた。俺もそれに答え
「あぁ、アイツに俺達の力をたっぷりと思い知らせてやろう!」
と山の中に入って行くサンディを見送りながら、あの夜のリベンジを誓い合った。
「とは言え」グリージャが少し考え込みながら「あくまであのドーナがこの山中に居たらの話だがな。今は村長さんの考察を信じるしかないが、その予想が外れたらただの徒労になってしまう。荷物を背負って歩き回るサンディにはチト気の毒だな」
ドーナが他の場所に潜んでいて、俺達が不在の時に村を襲う可能性も考慮し、村人達には少し離れた場所に避難して貰っているが、これが何日も続くとなると、肉体的負担や気苦労を増やしてしまう事になる。何としても早い段階で仕留めたい。
そう思っている間に陽は高く昇り、徐々に気温も上がって来た。本日も晴天。決戦を迎えた場所とは思えないのどかな風景が辺りに広がっていた。時々吹く風に揺らされる木々や草花が、環境音BGMに使えそうな心地良い音を奏でる。さえずる小鳥や山の生き物の鳴き声がそれに被さり、命を懸けた戦いを控えた俺達の緊張に満ちた脳内に、僅かながらも穏やかな安らぎを与えた。
陽射しがかなり強くなって来た頃
「思った以上に時間が掛かるもんだな」しゃがんだ体勢で森を見つめたまま、スタンが呟く様に言った「サンディに異変が無ければいいが…」
「まさかドーナの奇襲に遭ったりしてないだろうな」
グリージャの表情も少し不安げな感じに変わって来た。
「あの娘の運動神経は半端じゃない。そう簡単にやられはしないよ」
俺は敢えて声に張りを出したが、掴み所の無い事態の進展に、若干当初の意気込んだ気持ちが下降気味になって来た事を、正直認めざるを得なくなっていた。
だがその思いは杞憂に終わった。
突如森の木々から鳥の群れが慌ただしく飛び立ち、平和を謳歌する様に鳴き合っていた生き物や虫達が一斉に黙り込んだ。一転して辺りに緊張が走り、俺達は密集する樹木に対し、身を構えて鋭い視線を向けた。
巨大な生き物が動き回る様子を思い起こさせる激しい木々のざわめきが、遥か森の奥から最初は微かな音量で聞こえて来た。その音は徐々に大きくなり、やがてボリュームがMAXになった時、立ち並ぶ草木をなぎ倒して、あの巨大カエル型の化け物が逃げるサンディを追って、再びその忌まわしい姿を、今度は陽の光の中に現した。
「待ち侘びたぜ、この野郎!」
グリージャがすかさず冷凍砲の構えを見せながら叫んだ。
「ゲイルは左側から火炎砲を当てろ!俺は右側から攻撃して奴の気を散らす!」
スタンが素早く俺に指示を飛ばすと、聖剣を抜いてドーナの右サイドに回った。俺は言われた通りにドーナの左側に走ると火炎砲の構えに入った。左右からの攻撃にドーナが振り回される間に、グリージャが正面から敵の足元目掛けて冷凍砲を放ち、ドーナの下半身を氷付けにして動きを止める。そのままこの作戦を続ければ、最後にスタンが新兵器の弓矢で倒すシナリオに着実に結び付ける事が出来る。
実際、最初の内は作戦は順調に進んでいた。最初の内は…。
「サンディ、君は後ろからドーナの頭を狙って攻撃を加えてくれ!」
「分かったわ!」
スタンが背負っていた家畜の死骸を外して身軽になったサンディに指示を出し、それに答えた彼女が高々とジャンプしてドーナの後頭部目掛けて引き抜いた剣を振り下ろそうとしたその時だった。
バシュゥッ!
まさに一瞬の出来事だった。突如首を180度回して真後ろに顔を向けたドーナの口から、赤い鞭の様な細く長い舌が勢い良く飛び出し、空中に居たサンディのふっくらとした二の腕にアッという間に巻き付いた。
「あぁっ…。し、しまった…!」
焦りの色を顔に浮かべたサンディの体は次の瞬間、一気にドーナの頭上まで持ち上げられて、そのまま宙に晒される形になった。
「あの糞カエル、どれだけ隠し武器を持ってやがるんだ ! ?」
グリージャが驚愕と怒りの混じった声で怒鳴った。巨大な顔面をこちらに向けたドーナは、伸ばした舌を器用に動かして、俺達に誇示するかの様に、吊り下げたサンディを左右に激しく振り回した。もがきながらもサンディは、必死に自らの腕に巻き付く舌に剣を振り下ろし脱出を試みたが、見た目以上に強靱でネバネバした唾液に塗れているドーナの舌は、切り傷一つ負わす事すら許してくれなかった。
「クソッ、あの野郎!まるで俺達に攻撃してみろ、と言わんばかりの態度だ!」
グリージャが歯軋りをしてドーナを睨み付けた。
「スタン、これじゃあ迂闊に飛び道具を使えないぞ。奴の舌の動く範囲はよく分からんが、結構自在に動かせそうだ」
俺の言葉に対しスタンは無言のままでいたが、苦渋の表情で作戦の変更を必死に考えているのが察せられた。
「どうするんだ ! ? このままじゃ、ラチがあかんぞ!」
グリージャが苛立ちながらスタンに指示を仰いだ。
「落ち着け、グリージャ!スタンだけに頼らないで、俺達も最善の策を考えるんだ!」
そう言いながら俺も中々打開策を思いつけずにいた。その直後、嫌な膠着状態に変化が起こった。舌を出したままのドーナの大きく広げた口から、黄色く濁った毒ガスが猛烈な勢いで吹き出された。
ブフォォーッ!!
瞬時にして視界が黄色の闇に塞がれる。マスクのおかげで呼吸の困難や胸の苦しさは軽減出来るが、ドーナの立ち位置は勿論、隣に居る筈のスタンやグリージャの姿さえも全く確認出来なくなった。
「ゲイル、俺が見えるか ! ? 」
スタンの声が黄色い霧の中から聞こえて来た。
「全然駄目だ!」
「声の位置からして、君は俺の右側の一、二メートル先に居る筈だ。手探りで来てくれ!」
声が聞こえる方に向かい、両手をかき分ける様に動かして進むと、すぐにスタンの体に触れる事が出来た。
「閃いたよ」スタンが背中に背負った矢筒から、三本ある矢の内の一本を引き抜いて「俺の聖剣でこのガスを払うから、ドーナの姿を確認したら突進して、この矢を奴に突き刺してくれ」
スタンの聖剣が何でも真っ二つに斬り分ける事が出来るのは知っていたが、それなら俺が特攻するよりも、グリージャに矢を射って貰う方が良いのでは?
そんな俺の問いにスタンは
「サンディが人質にされている内は、リスクを負う行動を極力避けたい。グリージャに弓矢を射たせるより、接近戦法の方がドーナに矢を突き刺せる確率は高い」
と答えて矢を俺に渡すと、聖剣を抜いて上段に構え目を閉じながら
「頼んだぞ。奴の姿が一瞬でも見えたら、迷わず突っ込んでくれ!」
スタンの頭上に構えた剣が光を発すると、数秒の間に剣全体が白い発光体に変化していった。その光がこれ以上ない程の眩い輝きに達した時、カッと目を見開いたスタンが、力の限りに聖剣を振り下ろした。
ビュウゥゥゥッ!
目の前に立ち籠めていた黄色の煙幕が二つにぶった斬られ、まるでカーテンが開いたかの様に、キレイに左右に分けられた。そして、約七、八メートル先に巨大なカエル型の化け物の姿を確認出来た。
「今だ!行け ! ! 」
スタンの号令と共に、持たされた矢を腹の辺りに構えた俺は、匕首で標的の土手っ腹を狙う裏社会のヒットマンの如く、猛ダッシュで巨大な的目掛けて突進した。
数メートルの距離が何キロメートルにも感じられた。無我夢中の突撃。そしてドスンという衝撃と同時に、構えた矢がブスリと深く刺さる手応えを感じた。直後に頭上から不気味な響きの大絶叫が轟いた。
やったか、と思った時、俺の背中にドサッとそこそこの重さの物体が落下した。一瞬息が詰まる。グェッ!
「ゲイル、あ、ありがとう…。だ、大丈夫…?」
俺の背中の上に、サンディの大きなお尻が乗っかっていた。救出成功だ!呼吸が止まりかけたが、そんな事気にしている場合ではない。
「怪我は無いか ! ? 」
「ウ、ウン!ゴメンね…」
俺はサンディの手を取ると、振り返らずに夢中でスタン達の元に駆け戻った。その間にもスタンが聖剣を振り回し、ガスを払い続けていた。俺とサンディが戻った頃には、ほぼスタンとグリージャの全身を確認する事が出来た。
「サンディ、大丈夫か ! ? 」
スタンが庇う様に、サンディの肩に手をかけた。
「ゴメンなさい。ホントにゴメン!」
必死に謝るサンディにグリージャが
「気にするな。あんなとんでもない舌が伸びて来るなんて予想出来るもんか!全く、可愛げのないカエルさんだぜ!」
と言って彼女を擁護しつつ、ドーナに対して悪態をついた。その可愛げのないカエルに視線を向けると、突き刺さった矢のダメージが予想以上に効いているのか、目を見開き裂けた様な口から“とんでもない舌”を垂らしたまま、前屈み気味に立ち尽くしていた。小さな矢尻でこれだけのダメージを与えるのだから、あの石のドーナに対する殺傷力はかなりのモノである事を改めて実感させられた。
その様子を見たスタンが
「思ったより楽にトドメを刺せそうだ」
と言って、二本目の矢を弓にセットし、思い切り弦を引き絞って、ドーナに狙いを定めた。これで決まりか、と思った時、棒立ちのドーナがしぶとく抵抗の意思を見せた。
ブフォォーッ!
半開きのドーナの口から、再び大量のガスが吐かれ、みるみる内に黄色の噴煙が辺りを覆い尽くした。
「往生際の悪い野郎だな!畜生!」
姿の見えないグリージャの罵声だけが耳に入って来る。困惑しているとスタンとグリージャの会話が聞こえて来た。
「グリージャ、また俺がガスを払うから、今度は君が矢を射ってくれ!」
「オウ、任せな!あの野郎、一発であの世に送ってやる!」
こちらからは確認出来ないが、どうやら二人の間で連係が取れて、作戦が決まった様だ。暫しの静寂の後、再び白い光が煙幕を押しのける様に輝き、ビュッという空気を斬る音と共に先程の黄色のカーテン開きが再現され、約数メートル先にドーナが再び姿を現した。
グリージャがギリギリと弦を引いた弓を向けながら、狙いを定める。今度こそ!しかし何というしぶとさか!
ビュウゥゥゥッ!バシーン!
ドーナの口からだらしなく垂れ下がっていた舌が、急に息を吹き返し、弓矢を構えたグリージャに激しい勢いでブチ当たった。不意を突かれたグリージャは怪我こそ負わなかったものの、弓矢を大きく弾き飛ばされてしまった。
「ヤバっ!クソ、何処に行った ! ? 」
俺達が辺りを見回していると
ブフォォーッ!
追い打ちをかける様に、またしても毒ガスが噴射され、三たび回りの景色が真っ黄色に塗り替えられた。
俺は地面にかがみ込んで、必死に飛ばされた弓矢を探し回った。気のせいか、息が詰まり呼吸が乱れて来る。今まで何とか役目を果たして来たマスクの防御もそろそろ限界に来ている様だ。気ばかり焦る中、懸命に地面を触っていると…。
あった!この形は弓!更にその周辺に手を伸ばすと矢も発見出来た。俺は辺りを見回しながら叫んだ。
「見つけたぞ!弓も矢も両方ある!」
するとスタンの声が聞こえて来た。
「近くにグリージャは居るか ! ? 」
「駄目だ!全然見えない!」
「じゃあ、ゲイル、君が弓矢を射て!これ以上時間は掛けられない!」
スタンのまさかの指示に俺は思わず聞き返した。
「俺に任せて大丈夫なのか ! ? ドーナの息も絶え絶えだし、もう少しガスが晴れるのを待ってからグリージャに射たせた方が…」
「仕留めるなら早い方がいい」スタンの口調から首を横に振っているのが分かった「奴が大分弱っているとは言え、これ以上ガスを吐かないという保障は無い。それにマスクの耐久度も低下して来ている。俺の聖剣の効力も今の体力から見て後一、二回が限度だ。ドーナの回復力で形勢を逆転される危険性だってある。ここで仕留めないと、事態が悪い方に傾いてしまうかも知れない!」
スタンの見解を理解しつつも、急な大役を任された俺は即答にためらっていた。すると
「この状況だとお前しかいない。頼む!」スタンの声の反対方向からグリージャの激励が聞こえた「難しくない!この距離と的のデカさなら、落ち着いて狙えば必ず当たる!自信を持て!」
彼の言葉に加えて、ここで迷っても仕方ない、という気持ちが俺の決意を後押しした。今現状を打開出来るポジションに居るのは俺しかいない。もうこうなったら俺がやるしかない!覚悟を決めた俺は、弓矢を構えると思い切り弦を引いた。近くからサンディの声が聞こえた。
「頑張ってね、ゲイル!絶対に上手く行くから!」
ありがとう、と心の中で返事をした俺は、姿の見えないスタンに準備完了の合図をした。
「いいぞ、スタン!ガスを払ってくれ!」
三度目の光、三度目の聖剣を振り降ろす音、三度目のカーテン開放。そして三度目のドーナ御対面。
気持ちだけで矢を放った。今思い出しても、気と心と精神力という言葉しか思い浮かばない。巨大なカエルの姿が見えたと同時に、頭の中の雑念が吹き飛び、気が付いた時には、俺の射った矢は光を思わせる速さで、ドーナの喉元に命中していた。
ギィェウェェェェーッ!!
世にも醜い断末魔が辺り一面に響き渡った。
煙幕が薄れていく中、裂けた様に広がる口の両側から、ガスの色と同じ濁った黄色の液体をダラダラとこぼしながら、巨大なカエルの化け物がゆっくりと後方に傾いていくのが見えた。数秒後に地響きを立てながら、仰向けに倒れたその怪物は最早ピクリとも動く気配を見せなかった。
この光景を見届けたスタンが、まだ矢を射た直後の体勢で固まったままの俺の肩をポンと叩くと、ほぼ絶命しているドーナの傍にゆっくりと歩み寄って行った。そして背中の矢筒から最後の一本を引き抜くと
「これでトドメだ!」
と言って、その矢を仰向けのドーナの左胸にブスリと突き刺した。
次の瞬間、ドーナの全身から黄色い水蒸気が一斉に吹き出し、みるみる内にその醜い巨体から水分が消え去っていった。数分後には、干からびて完全に再生不能な遺骸に成り果てたカエル型モンスターの姿がそこにあった。
その様を見てドーナの最期を確信したメンバーの顔が、漸く安堵の表情に変わっていった。そして全てが終わった事を俺達に伝えるかの様に、あの忌まわしい黄色のガスが晴れ始めると、やがて明るい陽射しが再び地上に照り付け出した。
大きく息を吐いて徐にマスクを外すグリージャ。剣を収めながらホッとした表情で天を仰ぐサンディ。ドーナの死骸に一瞥をくれてからゆっくりこちらに戻って来るスタン。そして俺は─。
「もう終わったぞ。ご苦労さん。よくやったな!」
とスタンに再び肩を叩かれるまで、自分が依然として矢を放った時のポーズを維持している事に全く気付いていなかった。それをやっと自覚出来た途端、急激に全身から緊張と体の力が抜けていった。大役を果たせた事を改めて実感した俺は、両膝に手をつき大きく深呼吸をした。そしてそんな自分にメンバーの労いの込もった暖かい視線が降り注いでいる事を背中で感じ取り、秘かな充実感に暫くの間浸り続けていた。
翌朝、ハラシ村を出発する事になった俺達は、見送りに集まった村人達と別れの挨拶を交わした。グリージャが眠りから醒めないマルルを、任せておけと言った感じで軽々と背負い、次の村まで運ぶ役割を引き受けた。
「大丈夫?グリージャ。重くない?疲れたら交代して貰った方がいいよ」
気遣うサンディに対し、グリージャは多少意地悪っぽい笑みを見せながら
「これ位平気だよ。それよりアンタだってかなり疲れが溜まっているんだろ?愛するゲイルさんに負ぶって運んで貰った方がいいんじゃないか?イヤ、抱っこされた方がいいかな?」
それを聞いたサンディは瞬時に顔が真っ赤になった。
「なっ…、何言ってんのよ、バカ!そんな…事…。ゲイルだって、嫌でしょ?重たいだろうし…」
伺う様にこちらを見たサンディに、俺は両手を頭の後ろに組みながら、こちらも意地悪っぽく笑った。
「そうだなぁ。最近サンディ、少し太ったみたいだからなー。正直背負うと重いかも知れんなぁー」
一瞬呆気に取られた様な顔になったサンディだが、たちまちキィーッと言わんばかりの表情になり
「ナッ…、何よぉっ!ゲッ、ゲイルまでぇっ!バカバカァッ!もうっ、知らないっ ! ! 」
と勢い良く湯気を立て、思い切りフクれてそっぽを向いた。それを見た俺とグリージャは、クラスの女子をからかって怒らせた時の悪ガキの様に、互いに顔を合わせニッカリと声を出さずに笑い合った。
そんな茶番が繰り広げられている横では、スタンと村長が敬意を込めた熱い握手を交わしていた。
「色々と迷惑を掛けてしまいましたが、村の方々の協力のおかげで、何とかドーナを倒す事が出来ました。本当に感謝しています。有難うございました」
スタンの御礼に対し
「いいえ」と村長が更に力強く手を握り「我々がいかに不安定な平和の上に胡座をかいていたかという事を、今回の件で改めて理解する事が出来ました。偶然手に入れた魔石の効果にすがりきって、イザという時に自分達の身をどの様にして守るかという考えや行動を長年に渡って放棄していた。そのしっぺ返しが今回の騒動に繫がったと痛切に感じています。平和を手に入れそれを保つ為には、それ相応の覚悟と準備をしておかなければいけない。そう言った当たり前の意識すら持とうとせずに、何も起こらないのが当然であると考えていた我々の態度は、今思うと恥ずかしい位です。私も今回の件でつくづく身に染みました。これからは自分達の手で自分達の村を守る、という当たり前の事を、しっかりと実践して行きたいと思っています。貴方達には色々な面で感謝したい。本当に有難う!」
二人のリーダーはガッチリと抱擁し、お互いを称え合った。その横をチョコチョコと横切ったミンちゃんが、マルルを背負ったグリージャの元に駆け寄り、無邪気な笑顔で
「おじちゃん、さよなら!また会おうね!また一緒に遊ぼ!」
とすっかり元気を取り戻した声で別れの挨拶をした。そんなミンちゃんにグリージャは相好をメチャクチャに崩し、誰が見ても好感度満点の超善人と判断するであろう最高の笑顔を見せて
「ミンちゃんも元気でね!いい子にしてるんだぞ!お父さんやお母さんの言う事はちゃんと聞くんだよ!」
と言ってミンちゃんの頭を優しく撫でた。愛くるしい笑みを湛えて首を思い切り上下に振ったミンちゃんは、タタタと母親の元に戻るとその体に抱き着きながら、千切れんばかりにバイバイをした。その様子を見つめるグリージャの顔は、完全に父親のそれになっていた。前世で美緒ちゃんと接していた時も、こんな顔で我が子を見守っていたのだろう。大丈夫!後一息だ!必ず娘さんを助けられるさ!
「じゃあ、行こうか」
スタンに声を掛けられた俺達は、ハラシ村の人達に深く頭を下げると、彼の後に従い最後の決戦の地となる次の村へと歩き出した。泣いても笑っても次で終わりだ。力尽きるまで戦い抜いてやる。でも…。
目の前を進むパーティーメンバーの背中を見ながら、俺は彼等との別れの時が近付いている事に対し、未練の気持ちが湧き上がって来るのを感じ、何とも言えない寂しさに襲われた。同時にこの世界への転生を受け入れたそもそもの理由─魔石を手に入れて別の世界へ転移する─が、更に大きく揺らいでいる事も改めて感じていた。
俺はこの世界から本当に去るべきなのか…?
そんな事を考えながら、少しの間立ち止まっていると
「ゲイル、どうしたの?ボーッとしちゃって…」
いつの間にかサンディが俺の横に並んで声を掛けて来た。
「イヤ…。次で長かった戦いももう終わりか、と思ったら、何か色々考えてしまってな…」
俺は別れるとなったら一番未練を感じる存在になってしまうであろう彼女に顔を向けて、本心を隠しながら答えた。
「そうだね。もう次で最後だもんね…。でも、それが終わったら私達…」
と言葉を切って俺を見た時のサンディの笑顔が、もう輝かんばかりで何と眩しかった事か!
参った、本当に参った…。ここまで自分を想ってくれる人を置き去りにして、無慈悲に去る事が果たして俺に出来るのか…?
様々な思いを抱えてのドーナとの最終決戦。一体どうなってしまうのだろうか…?
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