第9話 小村激闘録(中編)

 ドーナの襲撃から逃れ、辛うじて村に戻る事が出来た俺達だったが、その際ドーナの毒ガスの犠牲になったサンディとミンちゃんに村人達は動揺を隠せない様子だった。特に村長の孫娘の安否に関しては、村人全員の無事を祈る思いが計りきれない位に屋敷内に溢れかえっているのが感じられた。

「サンディの様子は?」

 グリージャの先程の謎の言葉を気にしつつも、俺はスタンに質問した。

「彼女も厳しい状態だが、今は村長の孫娘さんを優先せざるを得ない。マルルがあの子を治療し終わるまで、懸命の処置を施しているが、時間がかかると間に合わない可能性もある…」

 スタンが悲観的な見解を顔を伏せ気味にしながら話した。それを聞いていても立ってもいられなくなった俺は、兎も角も屋敷に戻る声にした。

 広間に入ると、中央に布団が敷かれ、気の毒な孫娘さんが仰向けに寝かされていた。その顔色は悪く、苦しそうな呼吸を繰り返していた。そして彼女の傍らに座ったマルルが、患者の小さな胸元に掌を当て必死に治療を施していた。ミンちゃんを挟んでマルルの反対側には御両親が生死を彷徨う娘の手を握り、涙を浮かべながら神への懇願を繰り返していた。その横に立って険しい表情で成り行きを見守っている村長の隣で、グリージャが今まで見た事の無い様な悲愴感を滲ませた泣かんばかりの顔をして、何とか感情の制御を保とうとしていた。その周りを囲む村人達も一様に暗い雰囲気を漂わせていた。

「あぁ…、ゲイルさん…」近付いた俺に気付いたマルルが額の汗を拭いながら「思った以上にガスの毒素が強くて、それが肺一杯に広がっているので私一人では限界が…。申し訳無いのですが、力を貸して頂けませんか…?」

 俺は頷くとマルルの後ろに立ち、彼女の小さな両肩の上に左右の手を置いた。フと向かいのグリージャと目が合った。日頃の彼からは想像も出来ない様な、心からの願いを込めた視線で俺を見ていた。俺は任せておけ、という気持ちを軽い笑みで彼に伝えた。

「準備は出来たぞ」

「有難うございます。では…行きます…」

 青いオーロラ状の気体がマルルの掌から放射され、瀕死のミンちゃんの体の上に柔らかく被せられていく。

「ゲイルさん、もう少し気を注いで貰ってよろしいですか…?」

「スマン、さっきドーナに火炎砲を連発して体力が低下している…。大丈夫だ。気合を入れ直すから…」

「無理させて済みません…。お願いします…」

 俺は体の底から力を込めて、マルルに注ぎ込んだ。青い光の霧が濃度を増し、ミンちゃんの体だけでなく布団全体をもブルーに染め、更に周囲の人達の不安気な顔までも丹青に塗り潰して行った。

 目を閉じて歯を食いしばり力を込め続ける。そんな状態が何分続いただろう。

「ゲイルさん、終了です…」

 マルルの声で目を開けると、既に辺りは青一色から普通の色彩に戻っていた。固唾を飲んだ人々の視線が、ミンちゃんのあどけない小顔に集中する。血の気を失っていた顔色に徐々に赤みが戻って来ると同時に、乱れの無い呼吸が小さな口から漏れ始めた。数々の溜息と感嘆の声。マルルが布団を挟んで正面に座る御両親に向かい

「ご安心下さい。もう大丈夫です」

 と聖母の様な笑顔で伝えた。

 喜びと安堵で顔をくしゃくしゃにした母親が、泣きながら死の淵より生還した娘を抱き締める。村長が深々と頭を下げると、マルルに感謝の握手を求めた。

「有難うございます。でもまだ私にはやる事が…」マルルはそう言ってフラフラと立ち上がると「…隊長…、サンディの所へ…、お願いします…」

 スタンがマルルの体を支えながら不安気に

「大丈夫か?かなり疲弊しているじゃないか。少し休んでからにした方が…」

 マルルは軽く笑みを返したが、すぐに固い決意を秘めた表情に変わり

「悠長にしている暇はありません。一分でも早く始めないとサンディを救えなくなります」

「無理し過ぎると君の命にも関わるぞ。本当に大丈夫なのか?サンディも大事だが、君も…」

 気遣うスタンに対し、マルルの静かな、しかし今までに無い強い意志の込められた言葉が発せられた。

「私にも戦わせて下さい!」

 マルルの顔は最早死も恐れぬ決意に満ちた聖女のそれに変わっていた。

「皆さんが命を掛けてドーナと戦うのなら、私も命を掛けて皆さんを守り抜くつもりでいます!これは私にとっての戦いです!パーティーの為なら命を捨ててでも構わない覚悟で私は常に…」

 マルルが言い終わらぬ内にスタンは彼女の細い体をこれ以上ない力で抱き締め目を閉じて優しく、しかし力強く言い聞かせる様に語った。

「分かっているよ。君の意志は充分に理解している。君が立派な戦士である事は誰もが理解している。有難う。サンディを宜しく頼んだぞ!力の限り…戦ってくれ…!」

 マルルも瞳を閉じ微かな笑みを浮かべてから、ソッとスタンから離れた。

「急ぎましょう、ゲイルさん。引き続き協力をお願いします」

 サンディは広間から少し離れた小部屋のベッドの上に寝かされていた。脂汗を全身に浮かべ、苦しそうに喘ぎながら乱れた息遣いを続けているその姿は、一刻の猶予も無い状態である事を俺達に伝えていた。マルルはフラつきながらベッドの横に置かれた椅子に腰掛けると、掌をサンディの豊かな胸の上に当て、静かに息を吐き俺に顔を向けた。

「ゲイルさん…」

 俺は先程同様マルルの後ろに立ち気を溜めながらスタンバイした。それを察知したマルルが瀕死の仲間に静かに開始を告げた。

「行きますよ、サンディ…」

 青の放射、立ち昇る光の霧が部屋に広がる。だが二、三分もしない内にその光の範囲が縮み始め、それが完全に消えてしまうとマルルがガックリとベッドに突っ伏してしまった。

「…ダメ…です…。これでは力が…これ以上込められ…ませ…ん…」

 マルルはそう言ってヨロけながら立ち上がると、仰向けのサンディの体の上に抱き着く様な形で被さった。

「…ゲイル…さん…、思い切り背中に…触れて下さ…い…」

 俺も力が殆ど残っていなかったが、気力を振り絞ってマルルの背中に両掌を当てる形で体を被せた。マルルには重いかも知れないが、俺もこうしないと残りの全ての気の力を注ぎ込めない。俺のフォローを確認したマルルは掌ではなく全身から青の光を放射させ、サンディに抱き着いたまま、彼女の体をその光で包み込んだ。

 もう力を注ぐという感覚さえ意識出来ていない。頭の中ではひたすら奇跡が起こる事を祈るだけだった。頼む、成功してくれ!上手く行ってくれ!救ってくれ!お願いだ…!

 後日、見守っていたスタンに聞くと、マルルから放射された光の霧が青から紫色に変化し、ゴゴゴという音が湧き起こった直後、部屋全体に目が眩む程の眩しい光が溢れかえったという。それが収まると部屋は全てが無かったかの様な静寂に支配され、ベッドの上では力を使い果たした俺とマルルが、仰向けのサンディの上にうつ伏せ状態で重なり合っていたらしい。

「大丈夫か ! ? しっかりしろ!」

 スタンに揺り動かされて意識を戻した俺は、頭の中のぼんやりとした感覚が取れぬまま上体をゆっくりと起こし、暫らくの間は虚脱感を払えずに、ベッドの上に座り込んでいた。続いてスタンはぐったりとしたマルルの体を起こし、ベッドの横の椅子に座らせると、すぐさまサンディの体調の確認に入った。苦しそうに喘ぎながら呼吸をしていたサンディの青ざめた顔に赤みが差し、表情も徐々に穏やかな様子に変わっていった。大きく膨らんだ胸がゆっくりと上下に動き出し、美しい腹筋と小さなヘソが露出された腹部もリズムを刻む様に波打ち始めた。

「…成功…で…す…。良かっ…た…」

 か細い声を発したマルルを見ると、まるで数週間の断食でも敢行したかの如くヤツれ果てていた。頬がゲッソリと痩けて目の下にクマを作り、呼吸だけ辛うじて続けている様な状態だった。

「…ゲイルさ…ん…、ご協力…有難うござ…い…ます…」

 何とか言葉を繋いだ後、更に細くなった感のマルルの体が脱力した様にズルリと床に崩れ落ちた。慌ててスタンが彼女を抱き起こし、脈を調べた。

「かなり弱い鼓動だが命に別状は無さそうだ。別の部屋で寝かせて休ませる」そして俺の方を見ながら労る様に「君もすぐに休め。もしドーナが襲って来たら、俺とグリージャで何とかするから」

 俺は微かに頷くと、おぼつかない足取りで部屋を出ようとした。ここで初めて部屋の入り口の近くでグリージャが見守っていた事に気付いた。

「大丈夫か?」珍しく気遣う様な口調だった「ミンちゃんの方は順調に回復に向かっている様だ。そっちの方は心配いらない…」

 それを聞いた俺は安心した顔を作って

「そうか、良かった…。お前の怪我の方は?大丈夫なのか…?」

「俺は平気だ。気にしなくていい」

 そう言うと彼は何か言いたい気持ちを抑える様に少し横を向いた。俺は軽く笑みを浮かべて、そのまま彼の前を横切り寝室に歩を向けた。そのすれ違う際にグリージャが顔を向け、ボソッとした、しかしハッキリと俺の耳に入る大きさの声で言った。

「…色々…、スマンかったな…」

 その声にはあの傲岸不遜を思わせる様な響きが全く感じられなかった。俺が思わず振り向いて彼の顔を見ると、あの不快な課長の面影が消え、複雑ながらも感謝を込めた様な表情を湛えて、じっと俺を見つめていた。

 それを見て何故か気分が軽くなった俺は、いいって事よ、と言った感じで、軽く手を上げ無言の返事をすると、寝室にフラつきながら歩き出した。頭の中は、疲労感と共に安堵や僅かな不安、その他諸々な思いでギュウギュウになっていた。


 翌日、目を覚ますと既に陽が昇り切り、窓から眩しい光が部屋一杯に入り込んでいた。時間からして昼近くだろか。多少の疲れを感じながらもぶらりと外に出ると、昨日の大中小様々な出来事の洪水が嘘であったかの様に、穏やかな光景が俺の目の前に当たり前と言った感じで広がっていた。屋敷の手前の左側に太い丸太が何本か転がっていて、徒然なるままにそこに腰を下ろし健康的な陽の光を浴びていると

「ここにいたのか」

と屋敷の方から声がした。顔を向けるとグリージャが姿を見せ、こちらの方にゆっくりと歩いて来た。そのまま、俺の横に何か言いたげな顔をしながら腰掛けた。

「あのな…」多少バツが悪そうに話し出した「自分の無力さを思い知らされたよ…」自嘲気味に少し笑った「自惚れていたんだ。このパーティーでは自分の力が一番上だと信じ込んでいた。元国王軍というプライドもあってな。スタンは、まぁ、隊長だから一応別扱いとして、他の面々はハッキリ言って見下していたんだ。お前に関しては正直眼中に無かった。サンディなんか生意気でウルサイだけの小娘と思っていたし、マルルさえも…」一旦詰まる様に言葉を切ったが「戦闘に一切加担してなくてハッキリ言って不要な存在だとまで思っていたんだ。でも昨晩、大切な人が命を落としかけているというのに、俺は何も出来ずにただ祈って見守るしか出来なかった。もどかしいなんてもんじゃない。お前は肝心な時に何も出来ないのか、とひたすら自分を責め続けていた…」ここでゆっくりと俺に顔を向けた「でもお前達は自らの身を削りながら尊い命を救うべく全力を尽くし、そして見事に救って見せた。何つうかな…、もう、俺とは次元の違う存在の様に見えたんだな…」

 彼の言葉を聞きながら、何故ミンちゃんにそこまで想いを寄せるのか、少し疑問に思いつつも傍聴を続ける事にした。

 陽射しが若干和らぎ、落ち着いた風が静かに吹き抜けた。グリージャの話しが続く。

「そして休む間もなく仲間の救済に入った。あの時のマルルの訴えに多少ながらショックを受けたよ。それまではただメンバーの怪我の治療を事務的にこなしているだけ、と思っていた。でも彼女の言葉を聞いて、何故か知らんが兎に角応援したくて無意識の内に後を付けて部屋の入り口近くで中の様子を見ていたんだが…」視線を前に向け思いを込める感じで「正直言って、俺にはあんな事出来んよ…。自分の命を危険に曝してまで、力を出し切って仲間を助けるなんて…。俺だったら、これ以上治療を続けると自分の命が危なくなると思った時点で能力の発動を止めて、全力を尽くしたけど及ばなかった、と言って止めてしまうだろうな。もうな、あの時何でか知らんが、必死に見守りながら祈ってたんだ。頼むから死なずに成功してくれってな…」少し視線を下に向けて真剣な眼差しで語り続ける「治療が終わってからな、何かこう…、お前達には敵わないって気分になったよ…。ただ単に能力云々だけじゃなくお前達パーティーの絆っていうか、ポッと出の俺なんかには到底理解出来ない位の深い結び付きっていうのかな。今まで成功や失敗を繰り返して、その度に助け合ったり庇い合ったりして作り上げて来た絆…。それがあるから、あそこまで仲間の為に命を懸ける事ができる。そんな一枚岩のお前達の中に入り込んだ俺が、パーティーにとって一体どれだけの力になれたんだ?自分の力を過信して、他の面々を罵倒して勝手に突っ走り捲って…。もうな…」ここで深く頭(こうべ)を垂れる。ひたすら自嘲気味に「自分の存在ってこのパーティーにとって害悪にしかなってないんじゃないかってな…。もう自分が嫌になったよ。昨日は殆ど眠れなかった。こんな俺がこの先引き続きパーティーのメンバーとしてやって行けるのか…」

 顔を上げて遠くを見る様に視線を暫し泳がせたグリージャに対し、俺は以前の様な嫌悪に満ちた思いを抱けなくなっていた。自然と励ます様な言葉が口から出て来た。

「それだけ思ってくれたら十分だよ」俺は彼の肩に手を掛けて言った「お前を心底憎んでいるメンバーなんていないよ。考えを改めてくれればいいな、位に思っていただけだから。そうやって解ってくれたなら、もう何も問題はないさ。良かったよ。これで改めてパーティーにとって心強い仲間が増えたんだ。皆喜ぶさ」

 俺の言葉を聞いたグリージャは少し照れくさそうに軽く頬を掻いた。そんな二人の目の前を白い蝶が一羽、ゆっくりと横切って行く。それを見送ったグリージャが思い詰めた様に俺の方を向いて

「…実はな…、最後まで誰にも言わないつもりだったんだが…」

 と覚悟を決めた様な顔で語り出した。

「何だかずっと隠しているのが窮屈に思える様になって来てな。この際お前にだけ先に話しておこうと思ったんだ。正直な所…」急に苦笑いしながら俯いて「こんな話をしても誰も信じないと思う。お前もコイツ何言ってんだ、と思うに違いないが…」

 彼が何を言わんとしているのか、俺には何となく予想出来た。でも取り敢えずここは無知を装って聞き手に成り切る事にした。覚悟を決めたかの様にグリージャが語り出す。

「俺はな…、実は本物のグリージャではないんだ。イヤ、体はグリージャそのものなんだが、中身が…、つまり人格、要は別の人間が彼の体を乗っ取っている、という事になるんだな…」

 やはり予想した内容の話だった。まぁ、彼が俺と同じ経緯を経て今ここにいるのは、あの晩俺を絶望の底に突き落とした彼のカミングアウトに近い呟きで察する事が出来ていた。そんな思いを隠し素っとぼけながら、話を促す様に表面上は不思議そうな表情をして彼の話を聞き続けた。

「本物のグリージャはもうこの世にはいない。こことは違う別の世界から来た俺が彼の体を借りている状態なんだ。転生─というヤツだな。フフ…、信じらられんだろ?」

 彼の苦笑いに合わせて、俺も何とも言えないと言った感じの表情を作って微笑んだ。それでも表面だけは彼の話に驚き興味を持った態度を装い、質問を挟んでみた。

「元の世界にいた時はどうしていたんだ?」

「とある会社…って、この世界では何て言えば良いのかな…。大勢の人間が集まって一つの商売をする団体みたいな物とでも言えば通じるかな、その団体の中の一人として働いていて、一定数の部下も管理していた。飛び切り幸せでもなく不幸でもない、と言った生活を送っていた。妻子もいてな、一人娘で美緒と言って七歳の、俺にとっては目の中に入れても痛くない心の癒しみたいな子だったんだけどな…」ここまで話したグリージャの顔が急に険しくなった「数週間前、その美緒に重度の疾患が見つかってな。早急に手術を施さないと命に関わる、と医者に言われて…。でも手術代がかなりの額で、勤めている会社から支給される金だけじゃ間に合わない位の金額だった。借金とか色々手を尽くして動き回っている内に車に…、この世界にはないデカい乗り物なんだが、それに轢かれて人生が終わっちまったんだ」

 その後の流れは大方俺と同じだった。白神様にこの世界の話を色々聞かされ、強制的に性格からアレルギーまで瓜二つの人間に転生させられて、ドーナ討伐を押し付けられた。

「最初は巫山戯るな、と思ったよ。でも神様の話によれば、最後にドーナの親玉みたいな奴をやっつけると、何でも願いが叶う石が手に入るというじゃないか。あの時は元の世界に残して来た娘の事が気になって仕方なかった。俺が居なくなって今頃どうしているのか。誰かに助けて貰っているのだろうか?あんな大金を払ってまで面倒を見てくれている人がいるのだろうか?兎に角それに関する事で頭の中が一杯だった。だからもし、その魔石とやらが手に入る事で願い事を叶えて貰えるのなら、すぐに元の世界に戻って娘を救ってやりたい。事故に遭う前の自分に戻って、事故を回避して何とか娘に手術を受けさせてやりたい。そう思ったから、転生してこのグリージャという男の体に入る事に同意した。しかも話を聞くに、魔石を持つドーナを倒す一番近い位置にいるパーティーが、すぐ近くまで来ているというじゃないか。だから転生したらすぐそのパーティーに合流して、一刻も早くドーナ討伐と魔石獲得を成し遂げて元の世界に帰る。そう思っていたんだ…」

 最初にグリージャに会った時に、彼が妙に魔石を早く手に入れたがっていた事や、その理由を聞かれて何故か口篭もっていた事も、今の話で漸く理解出来た。ひとえに元の世界に残して来た重病の娘さんを救いたいが故の言動だったのだ。当然パーティーのメンバーに言える様な内容の話ではない。

 俺がそう思っていると、グリージャが屋敷の方に目をやり

「だからこの村に来てミンちゃんを見た時に正直驚いたんだ。顔付きから何から美緒にそっくりだったんだよ。もう他人の子とは思えなかった。気が付いた時には夢中になって溺愛していたんだ」恥ずかしそうに頭を掻いた「だから、そんなミンちゃんが昨晩死にそうになっていた時、俺は本当に全ての神様に縋りたい思いになっていた。その事もあって、余計に何も出来ない自分を不甲斐なく思っていたんだ…」

 謎に思っていた、美緒だけじゃなくミンちゃんまで…、という昨晩のグリージャの呟きは、下手したら愛する人を両方失い兼ねない、という彼の悲痛な思いが込められていた台詞だったのか…、と俺はここで漸く理解する事が出来た。

 先程俺達の前を横切った白い蝶が再び舞い戻って来て、ゆっくりと目の前を通過して行った。一通りの話を終えたグリージャが丸太から立ち上がり、二、三歩前に進んでから振り返り、俺に熱い目をして語った。

「お前達には本当に感謝している。昨日のあの場面で最悪の事態になっていたら、俺は正気を保つ事が出来なかったかも知れない。正直想像したくもないけどな…」

 目の前に立っているのは、最早嫌味な糞課長ではなく、新たに深い絆で結ばれる事になったパーティーの仲間だった。俺も立ち上がって彼の元に歩み寄って言った。

「その感謝の気持ちをすぐに皆に伝えた方がいい。俺はもう充分理解したよ。今の君はパーティーの中で最も頼りになる存在なんだから!今の君の気持ちを皆にも話したら、とても喜んでくれると思う。ま、俺は今までの事は一切気にしていないから。これからもヨロシク!一緒にドーナを倒すまで頑張ろう!」

「あぁ…」俺の言葉を聞いたグリージャは、控え目ながらも嬉しそうに笑ったが、その後に少し不安な表情を見せた「実はな、これはさっきスタンにも話したんだが、俺の冷凍能力が若干落ちてしまっているんだ」そう言うと、例の腕輪を見せてくれた「昨日森の中でドーナに吹っ飛ばされて木にぶつかった際に、腕輪の一部が欠損してな。これに仕込んである冷凍力物質の効果が、思う様に発揮出来なくなってしまったんだ」

「どれ位力が落ちているんだ?」

「今までの七から八割位の力しか出す事が出来ない…。全く、こんな大事な時に…」

 そう言ってグリージャは心の底から無念そうな表情を浮かべたが、今は悲観していてもしょうがない。俺は敢えて声に力を込めて

「大丈夫だ!皆で補って行けば、必ず上手く行く!俺達を信じろ。今までだって色々あったけど、何とかここまで乗り切って来たんだ。お前一人に責任は負わせないから、そんなに気にする事はないさ」

 その言葉を聞いたグリージャは─何かさっきから次々と今まで見せた事の無い表情を俺に披露して来たが、ここでも純粋に感謝を込めた顔付きを見せると、最後に力強く頷き

「じゃあ、もう少しで昼食らしいから俺は先に屋敷に戻るよ。その後作戦会議があるらしいから、お前も遅れないで早めに合流してくれ」

 と言って、憑き物が取れたかの様な爽やかな軽い足取りで、屋敷の中に消えて行った。

 ゆっくりと流れる微風が、気のせいか更に柔らかく優しく吹いている様に思えた。ここ数日間の心の中に淀んでいたモヤモヤした気体を、その心地よい風が全て吹き流してくれている感じがした。上手く表現出来ないが、何かとてもスッキリとした気分になった。心の重荷が取れた様な思いで、俺は相変わらず照りつける陽の光の中に暫くの間身を預けていた。

 と、急に背後から何者かに強く抱き着かれた。一瞬ビクッとしたが、その正体が誰であるかを察するのに、そう時間はかからなかった。豊かで柔らかいぬくもりが衣服越しにも充分に伝わって来る。そしてほんのりと漂って来る色香…。

「ゲイル、ありがとう…」囁き語り掛ける様な甘みのある声「私の命の恩人だよ…。本当にアリガト…。大好きだよ…」

 こちらはこちらで、今まで聞いた事の無い純心な乙女の声だ。先程のグリージャと合わせて、別の意味でのダブルインパクト。俺は多少戸惑いながら、別人の様な背後のサンディに声を掛けた。

「お、俺だけの力じゃない。それよりもマルルの方を気遣ってやれ。命を落とすギリギリの所まで自分を追い込んで君を助けたんだ」

「今までずっとマルルの側に居たんだよ」サンディの囁く様な甘い声が続く「手を握ってずっと見守ってたよ。そしたらスタンが、ここはもういいからゲイルにも感謝の気持ちを伝えてこい、彼も君の命の為に力尽きるまでやり通したんだから、って…。その言葉を聞いたら急にゲイルの側に行きたくなって、もう夢中になって走って来たんだ」

 サンディの体温を感じながら、俺は冷静を装いつつ、質問した。

「体の具合はどうだ?もう完全に回復出来たのか?」

「勿論だよ!」抱き着く力が更に強くなった。溢れんばかりの肉感がダイレクトに背中から伝わって来る「ゲイルとマルルがくれた命だもん!元気にならない訳ないよ!私一人だけの命じゃない。とても大事な…、大好きな人と大切な仲間の分も一緒になっている命だもん!」

 大好きな人…か。そうなってしまうのか、結局…。白神様もゲイルさんはサンディに愛されている、と一言転生前に教えてくれれば良かったのに。この娘は心底俺といつまでも人生を共にする気でいるんだろうな…。ゴメンよ、俺はいつかはこの世界からオサラバする身なんだ…。

 でも…、と自分の心の中にある迷いが生じている事を、俺はここに来て何となく感じる様になって来た。別の世界に移ったからといって、必ずそこで幸せになれるとは限らない。課長の様な絶対に戻らなければならない理由がある訳でもない。それよりか、この世界に残って絆を深めた仲間達と一緒に生活を続けた方が、俺にとって有意義な人生を送れる事になるのではないか?何よりこの俺を愛し必要としている人がここにいる。元の世界で恋人居ない歴二十年以上の俺からして見れば、こんな気立てもルックスも体つきもこの上なく最高の女性を生涯の伴侶に出来る人生なんて、想像も出来なかった筈。このままこの世界に残れば、前世では絶対手に入らなかった幸せを得る事が出来る…。

「ゲイル、本当にありがとう」

 心の籠もったサンディの声が、俺の内心の葛藤に一旦ストップを掛けた。いつの間にか俺の正面に立って、澄んだ瞳に感謝の念を湛えている。

「もうゲイルの居ない人生なんて考えられないよ…。今こんな事言うのは少し早いかも知れないけど、皆で頑張ってドーナを倒したら、私達いつまでも…」

「あぁ…」俺は返事というには微妙な声を出してサンディの熱いメッセージを遮った「今はここのドーナを倒す事に集中しよう。話す機会はこの後幾らでもあるから…。グリージャともさっき話しをして、パーティーの雰囲気も良くなって来たし…」

 俺がそう言うと

「そうそう、それ!」とサンディが急に可笑しくて堪らないといった顔になって「さっき広間に行ったらグリージャが居てね、体は大丈夫かって聞いて来るの。私がウンって返事したら、真面目な顔になって、今までアンタに言って来た事は全部取り消すから忘れてくれって言うの!そして、これからはアンタとは何事も無くやって行きたいから宜しく頼むって、握手して来たんだよ!私ビックリして思わず、何か変な物でも食べたの?って本気で聞いちゃった!」

 そう言って屈託の無い笑顔でアハハと笑った。俺も軽く笑ってから

「彼は色々な誤解を捨てて、俺達を理解して心からこのパーティーの一員として役に立ちたいと思っているんだ。これからは頼もしい相棒として力を合わせて行かないとな。君とは色々喧嘩もしていたけど、全て水に流して仲良くやって欲しいよ」

「私は全然大丈夫ヨ!」俺のお願いにサンディは問題無し、とばかりに片目をつむって「私、自分で言うのも何だけど単純な性格だから。喧嘩しやすいけど、仲直りするのも早いからネ。それに彼、よく見たら結構男前だしね。ハハハ…」

 そう言って無邪気に笑うサンディを見ながら、俺は心の中に安堵と不安の両方の気持ちを抱えていた。やっとパーティーが一つに結束したという安堵の気持ち。そして目の前の純心な女性に、今後どう対応して行けば良いのかという不安の気持ち。この二つが頭の中に居座り、暫くの間俺を悩ませていた。


 俺とサンディが屋敷に戻ると、広間では一同が会しての作戦会議が終盤に入った所だった。スタンとグリージャと村長を中心に、村の中の中心人物が何人か加わり、議論を交わしていた。

「例の粉々になった石の事なんだが」席に加わった俺にスタンが話し掛けて来た「ドーナを遠ざける力は失ったが、欠片だけでもまだドーナにダメージ、上手く行けば致命傷を与える効力は残っているらしい。村長さんと話したんだが、それを討伐用の武器にするのが良いという事になってな」

「どんな武器にするんだ?」

「弓矢にするのが最も効果的という結論になりました」俺の問いに村長がスタンに代わって答えてくれた「石自体は粉々になった状態ですが、欠片によってはまだそこそこの大きさの物もあり、矢尻位の大きさになら加工して作り変える事が出来る。そうですな、三つから五つ位の矢尻が作れる筈です。それだけの数の矢を撃ち込めば、ドーナを倒す事も可能だと思います」

 確かに弓矢なら距離を置いても使えるし、対ドーナの武器としてはかなり有効な物になるだろう。

「ただ、問題があってな」スタンが腕組みしながら「矢尻を作るのは良いのだが、それを飛ばす弓の方だな。対ドーナ用として使うのに相応しい弓がこの村には無い」

「弓矢なら狩猟用のがあるだろう」

 と俺が言うとスタンが腕組みを解いて

「ここの村で使っている弓は、小動物を至近距離から仕留めるのに使う小型の弓なんだ。大型の化け物相手に離れた場所から射る事の出来る強力な弓は無い」

 何だよ。それなら折角矢尻を作っても意味が無いじゃないか。

「だから、自分達で作るしかないという事になったんだ」俺の不満顔を察したグリージャが説明をしてくれた「国王軍時代に武器の管理をしていた事があって、補修や一部加工にも携わっていたから、弓の制作も何とか出来る。スタンも同じ国王軍で経験済みだから、二人でやれば強力な弓を作れるだろう」

 グリージャの説明が終わるとスタンが

「武器に関しては一旦置いておくとして」と言って村周辺の地図を取り出して「ドーナが何処に潜んでいるかも考慮しないといけないから、村長さんに色々聞いてみたんだが、見ての通りこの村は三方を山に囲まれている。その中の東側の山中に身を隠している可能性が高いと言われましたね、村長さん?」

 と村長に話を振った。これを受けた村長が

「東側の方に村の家畜を飼育している広場があるので、獲物を狙うドーナとしてはここに近い方の山を根拠にすると思われます。更にこの山には川が通っているので、生物が身を置くのに相応しい環境になっている。背の高い木々も多いので、三つの山の中で確率的に一番高いのはこの山だと考えて良いですな」

 村長の説明を聞いたスタンは

「俺とグリージャで急いで弓と矢尻を作るから、もしその間にドーナの襲撃があったらゲイルとサンディで対処してくれ。防ぎ切れない時は俺らも助太刀に入る。弓矢が完成したら、明日早朝討伐を開始する」

 と座の面々に指示を出した。その他諸々の打ち合わせが終わり、会議終了後スタンとグリージャが早速弓矢の制作に取り掛かったが、その際にスタンが俺に少しこぼす様に言った。

「兎に角敵の情報が少ないんだ。ずっと例の石に守られて来たから仕方の無い面もあるが、村人とドーナの接触が皆無に近くて、敵の実態が中々掴めない。マルルが当分目を覚ましそうにないから、ドーナの位置を把握するのも村長の考察に頼る他ない。場合によってはここで少しの間足止めを食う事になるかも知れん。まぁ、その分弓矢を上手く使いこなせば、時間を掛けずにドーナを倒す事が出来るだろう」

 ドーナの襲撃に警戒しつつ、今回の討伐の鍵となる弓矢の制作は大きな問題も無く進み、夜が深くなる前には石を加工した矢尻を付けた矢が三本、そして大型で飛距離のある弓一本の完成に何とか漕ぎ着ける事が出来た。

 ドーナは結局この日は姿を見せなかった。何やらお互いに、明日の決戦に備えて鋭気を養っている様にも思えた。



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