第8話 小村激闘録(前編)

 ハラシ村は三方を山に囲まれた人口百人程のこの世界では小規模クラスの農村だ。残りの一方は広々とした平地になっており、山から流れる川が緩やかな曲線を描いて、常時新鮮な水を提供している。村人達は農作業の他に小動物を狩って生計を立てていた。

 この吹けば飛んでしまう様な小さな村の近くに、次に倒すべき凶暴なドーナが巣を構えており、それをクリアするといよいよ最終ラウンドとして、ラスボス的存在のドーナと対戦する事になる。それにしても、そんな化け物が何故この無防備と言ってよい小さな村を蹂躙出来ずにいるのか?

「神の石のお陰です」顎髭を胸まで伸ばした貫禄を漂わせる初老の村長が、やや誇らしげに説明してくれた「ドーナの生命力を消す力を常に発しているので、さしものドーナもそれを恐れて中々この村を襲う事が出来ないでいるのです。この石がある限り、村の平和はほぼ永久的に保てるのです」

 その石がどういった経由で村にもたらされたのか、細かい事情を知る機会には恵まれなかったが、切れ切れに入って来た情報から察するに、元々ドーナが生態的に苦手にしている物質がこの村の近辺に存在していて、それが長年の月日を経て石化したのを村人が何らかの形で発見し、その効力に気付いて御守りとして村に設置した、というのが大まかな成り行きらしい。

 所で前々から個人的に気になっていた事があった。この世界の人達はドーナが突如巨大化凶暴化して攻撃を仕掛けて来た事をどの様に受け止めているのだろうか?俺は白神様の説明を聞いたので真実を知っているが、パーティーの仲間も邪神に魔力を注入されたのが原因である事は知らない筈だ。

「俺も細かい事はよく分からん。外敵として襲って来たので対抗して討伐しているだけだ」スタンに尋ねても明確な返答は返って来なかった「でも、これだけの事態を引き起こすのは、やはり悪い神か何かのせいなのか、と思ったりはするけどな。まぁ、神様自体見た事も無いから勝手な解釈になるけどな。原因は何であれ、今はドーナを倒して行くしかないから、そこは深く考えていないよ」

 他のパーティーの仲間や村人に聞いても答えはほぼ変わらなかった。元いた近代日本とは価値観も宗教観も文化も違い、科学的な検証が出来ない世界だから、奇特な事態は殆どが神のなす事という考えでほぼ一致している様だった。

 それはそうと、外敵と戦う概念が0に近い小村に物々しい剣を携えたパーティーが訪れたという事で、俺達は好奇の目とちょっとした賑わいに包まれる事になった。出迎えた村長にスタンが挨拶をし交渉を始める。

「ドーナ討伐には極力村人の皆様を巻き込まぬ様に努めます。最低寝泊まりと食事を取れる場所を提供して頂ければ、後は大丈夫です」

 そんなスタンの周りにも村の子供達が集まり、一番見栄えの良い彼の聖剣を物珍しげに眺めたりペタペタ手で触ったりしていた。そんな子供達の中に、六、七才程の黒髪で瞳の大きな愛くるしい顔立ちの女の子がいた。聞くところによると村長の孫娘さんらしく、あどけなさの中にも何処となく育ちの良さを漂わせていた。

「マルルの妹みたいだね」

 サンディが微笑ましそうに言うと

「そうですか?似てますか?」

 とマルルが若干照れ気味にそれでも少し嬉しそうに答えた。

 そしてこの幼い娘を抱きかかえ、相好を崩し捲る男の姿が、俺の視界に強引に入り込んで来た。

「可愛いねー」「名前はぁ?へーえ、ミンちゃんっていうのー!」「いくつー?七才なのー?」「お母さん、素敵なお子さんですねー。少しの間だけ遊び相手をさせて貰っても、よろしいですかー?」

 何だ、コイツは ! ?

 ドン引きってレベルじゃねぇっ!これがついさっきまで

「何だよ、何も無いのか。シケた村だな」

 って毒突いていた男の言う台詞か?ただでさえ好ましい性格とは言えないこの転生糞課長にロリ愛好家要素まで加わったのかよ ! ? マジで引くわ!

 そんな俺の呆れと侮蔑の視線の中、ミンちゃんを肩車したグリージャは、ウキウキ気分全開で村の中に消えて行った。

 色々疲れ果てた気持ちでそれを見送ると、俺は一足先に村長に紹介された宿に向かい仮眠を取る事にした。連夜のダブルインパクトの影響で一睡も出来なかった上に、この村まで来るのにかなり歩いた。スタンからも

「フラついているけど、大丈夫か?」

 と気に掛けられていたので、兎に角心身ともに休みたかった。

 村には宿屋が無かったので、村長が自分の屋敷の一室を宛がってくれた。俺は案内された大屋敷にお邪魔し、家の人達に挨拶を済ませると、中々に広いその部屋の隅に横になり、束の間の眠りを取らせて貰う事にした。

 何時間か後に目を覚ますと、外は夕暮れになりかけていた。屋敷の人(村長の親族の方々)に聞くと、他のメンバーは各々村の各地に散って時間を潰しているらしい。スタンは村長と諸々の話し合いだろう。サンディとマルルはこの辺の地理の下調べも兼ねての散策でもしているに違いない。グリージャは…考えたくもねぇっ!俺は疲れも少し取れたので、屋敷の周りを歩いてみる事にした。

 村長の屋敷は村の奥にあり、すぐ背後には山が控え鬱蒼とした森が広がっている。大きな建築の屋敷の周囲には小さな倉庫が幾つかあり、その中の一つに祭りや祝い事に使う神具の数々が収納されていた。勝手知れたる人々ばかりの平和な村の中で目立つ様な悪事を働く者もいないのだろう。施錠もされておらず、扉は簡単に開いた。

 中を見ると祭り用の様々な道具が身動きし難い位にビッシリと陳列され、綺麗に並べられていた。その奥には白く大きな台座が備え付けられ、その上に紫のラグビーボールの様な形状をした物体が、金色の小型の深々とした座布団の上に、妖しい光を放ちながら配置されていた。ひょっとしてコレがドーナを寄せ付けない神の石?村の存亡に関わる宝物なのに、随分と無防備に置かれているな…。そう思いながら暫く見ていると

「ミンちゃん、ココは何かなー?」

「ココはね、神様の部屋なの」

「へぇー、スゴいねー」

 と村長の愛孫を抱っこしたロリコン糞課長が倉庫の入り口に姿を見せた。俺が振り向くと

「何だ、オマエ、居たのかよ」

 と瞬時にして本性を見せたが、ミンちゃんが

「ココにね、神様が居るの」

 と言って奥にある紫の石を指差すと

「へぇ、どれ?あー、あの石かー。スゴいねー、キレイだねー」

 とアッという間にロリコン親爺に逆戻りした。ミンちゃんが降りたいという素振りをしたので、グリージャがソッと地面に降ろすと

「あの石ね、触ったら光るんだよ!」

 と可愛げにはしゃいで俺の横をすり抜け、並べられた祭り道具の林の中をくぐりながら、神の石が置かれた台座の方に駆け寄って行った。

「あーあー、ミンちゃん、走ったら危ないよー!」

 グリージャが猫撫で声で注意する間もなく、小さな体が立て掛けてある祭事用の槍に派手にぶつかった。大きく揺れた槍が隣のバスケットボール大の玉に当たり、それによってバランスを崩したその球体がミンちゃんの頭上にゴロンと落下した。

「危ない!」

 俺とグリージャが同時に飛び出し、先ず俺が落下する巨球をミンちゃんの頭上スレスレの所で間一髪で弾き飛ばした。グリージャはミンちゃんを庇い、その小さな体の上に自らの身を覆い被せた、と同時にに勢い余って俺の体に激しくぶつかった。大きくよろけた俺は、背中からすぐ側の台座の足元に倒れ込んだ。台座がグラッと揺らぎ、不安定な形で置かれていた神の石が台座から床に転がり落ちる。俺は反射的に両手を伸ばし、上から落ちて来た石を辛うじて受け止めた。ホッと安堵して大きくタメ息をつく。と、その両手からスルリと抜け落ちた石がそのまま床に落下した。

 ガシャーン!!

 絶望的な破壊音が倉庫内に響き渡った。グリージャがミンちゃんに被さったままの状態で、茫然とした顔をしながらこちらを見ている。

 倒れ込んだままの俺が床に視線を移すと、妖しく光っていた紫の石が粉々になって辺り一面に散らばっていた。


 その夜、屋敷の広間に集まった村人達は、鬼検事が凶悪犯を断罪するが如く、激しい口調で俺達を糾弾した。

「何という事をしてくれたんだ!」

「俺達を殺すつもりか ! ?」

「人でなし!出て行け!」

 喧々囂々

「本当に申し訳ありません…」スタンが沈痛な表情で「この責任は我々が必ず取ります。ドーナを必ず倒して皆様を守りますので…」

「何言ってんだ!」

「ドーナを必ず倒せる保障はあるのか!」

「そう言ってここから体裁良く逃げるつもりなんだろう!」

「ロクデナシ!バカ野郎!」

 喧々囂々

「皆、一旦落ち着こうではないか!」村長が険しい顔をしながらも、殺意に満ちた村人達を懸命に制した「今更どうこう言っても壊れた石が元に戻る訳ではない。ここはこの客人達の言葉を信じてドーナを倒してくれる事を願うしかない。そして我々もそれが成功する様に、出来る限り協力する事が今は一番重要だ」

「何だと…?」

「何で俺達まで関わらなくちゃいけないんだ?」

 ザワザワ…

 村人達のざわめきを流して村長がスタンに

「隊長さん、討伐はいつ行うつもりかな?」

「準備が整い次第、今すぐにでも…」

 スタンの答えに村長は少し考えた後

「土地感の分からぬまま暗がりの中行動するのは賢明ではない。早朝の方が良いだろう。ただし、今夜は万が一ドーナが襲って来た時の事を考えて、貴方達に随時村を見張っていて貰いたい」

 ここまで言うと騒ぎが収まらない村人達に向かって

「取り敢えず今夜は皆個人宅ではなく、大きい家にまとまって過ごしてくれ。私が割り当て表を作ったから、これに沿って四、五家族で寄り集まって欲しい。そして必ず武器になりそうな物を身近に置いておく事。家の周りに灯りをたいて、いざという時に敏速に行動出来る様に。何かあったらこの屋敷に避難する事!」

 村人達はまだ納得しかねない雰囲気だったが、それでもブツブツ言いながらも解散し始めた事で、俺達はやっと針のムシロから解放された。と思ったら、まだ俺を許していない男がいた。

「全く、前回の番ドーナの件といい、お前が関わるとロクな事にならん!よくもまぁ、そうやって周りに迷惑ばかり掛けられるもんだな、元主戦力さんよ!」

 ロリコン面を仕舞い込んだ変態転生課長が俺に毒突いて来た。

「二人がぶつかったのが原因なんでしょ?ゲイル一人のせいにするのは止めなさいよ!」

 サンディが俺を庇うと、グリージャは彼女を睨みつけ

「ハァ ! ? その場にいた訳でも無いクセに知ったかぶった口きくなよ!そんなにコイツが気の毒なら、そのデカパイに挟んで慰めてやったらどうだ ! ?」

 と、ブラック企業で磨き上げたセクハラ混じりの毒舌で応戦した。

「なっ…、何ですってぇぇぇっ ! ?」

 サンディの声が今までに無い位にヒステリックになった。恒例となった二人の口論が始まった所に、更に悪い知らせが飛び込んで来た。ミンちゃんの母親が青ざめた表情で、広間に残った村長と俺達に駆け寄って来た。

「ミンの姿が見えないんです。屋敷の中も外もくまなく探したんですけど、何処にも居なくて…」

 それを聞いた村長の顔色がみるみる曇り出した。

「倉庫の中は?全部探したのか?」

「えぇ。村の友達の家に居ないか、一通り聞いて回ったんですけど、誰も知らない、と…」

 何人か残っていた村人の一人が近寄って来て、不安を煽る様な情報を提供した。

「そう言えば、さっき農具の倉庫の周りで娘さんが遊んでいたのを見ました。目を離すとすぐ居なくなってしまいましたが…」

 それを聞いた村長の顔色も真っ青になった。

「農具の倉庫の後ろはすぐ森になっている。そのままフラフラと森の中に入り込んだ可能性もある」

 それを聞いた母親は両目を見開き

「そんな!ドーナがいつ襲って来るか分からないというのに…!」

 とこれ以上のない不安に駆られた表情で叫ぶ様な声を発した。

「俺が探して来ます!」この会話を聞いたグリージャが、間髪を入れずに立ち上がって申し出た「絶対に見つけて来ますから!スタン、後は村を頼む!」

 俺は勇み込むグリージャの袖を引っ張った。

「イヤ、ここは俺に行かせてくれ。ドーナが来るかも知れないから、他の皆は村を…」

 グリージャが凄い目付きで俺を睨んだ。

「何を言ってやがるんだ ! ? お前みたいな奴に行かせたら、またロクでも無い事になるんだよ!これ以上足を引っ張るな!俺が行く!お前は引っ込んでろ!」

 俺は立ち上がってグリージャを真っ正面に見ながら言った。

「こんな状況になったからこそ俺に行かせて欲しい。責任は全て俺にある。君が危険な目に遭う必要はない」

 グリージャは聞く耳持たずと言った素振りで更に声を荒げて

「カッコ付けた事抜かしてんじゃねぇよ!オイ、スタン!コイツには村の見張りでもやらせろ!俺に任せた方が絶対に上手くいく!」

 そんな俺達のやりとりを見ていた村長が、スタンに代わって決断を下した。

「君は村に残った方が良い。そちらの…ゲイルといったな。君に頼もう。村人二人を案内役に付けるから、協力して探し出して欲しい」

 それを聞いたグリージャは信じられないといった顔をして村長に食ってかかった。

「なっ、何でだ ! ? 村長、コイツは大切な石を壊したんだぞ!こんな奴に任せるなんて、気でも狂ったのか ! ?」

「今の君には村に留まって貰った方が良い」村長はグリージャの目を正面から見つめて「君は少し興奮して冷静さを失っている。こういう時こそ落ち着いて行動出来る人間に任せた方が良い。今の君にしっかりした探索は難しい。ミンの事を思ってくれる気持ちは有難いが、その分村人の案内を聞かずに、遮二無二動き回って細かい場所を見落とす可能性がある!」

「なっ…く…、こっ…このジジイ…」

「グリージャ、ここはゲイルを信じろ」スタンがグリージャの肩に手を掛けて諭す様に言った「ゲイルも責任を感じて、何とかしようと必死になっている。今回は運悪く不祥事につながってしまったが、だからと言って彼の行動を全否定するのは、パーティーメンバーとして絶対やってはいけない事だ!」

 二人のリーダーに言い聞かされたグリージャは、無念さを隠し切れずに拳を握り締めて唇を噛んだ。

「…くっ…。ち…畜生…」

 グリージャの諦めを確認したスタンが俺達の方を見て

「サンディも同行してくれ。万が一ドーナに遭遇した時に、ゲイル一人では対処し切れないだろう。村の方は俺とグリージャで何とかする」

「丁度案内の二人も来た様だ」村長は俺の手を握り「彼等に道を聞いて、くまなく探して貰いたい。ミンの事はよろしくお願いした。無事を祈る」


「立派な村長さんね」暗い森の中を進みながらサンディが俺に言った「村が大変な事になって内心穏やかじゃないのに、冷静にテキパキ対応して。あのグリージャを説き伏せる所なんか痛快だったわね」

「色々と気を使ってくれて助かるよ」俺は前を行く村人達に聞こえないトーンでサンディに言った「前の案内役の二人も、殆どの村人が殺気立つ中比較的冷静に俺達を見ていた。もし案内役を他の村人に任せたら、険悪な状態になって探索も順調に進まないだろう。村長がそこをしっかり見極めて人選してくれたんだな」

 鬱蒼と生い茂る木々や草むらが、辺りの暗闇を益々色濃く仕立て上げている。何処からともなく聞こえて来る野鳥の鳴き声。数多の虫や正体不明の生き物がこの声に合わせてハーモニーを奏でる事で、森全体がより一層不気味な空気に支配されている様に感じた。先頭を進む二人の村人の持つ松明の灯りも、ともすればこの漆黒の闇に吸い込まれてしまいそうだった。

 森に入って十分程経った頃

「ここら辺までがミンちゃんの森の中での行動範囲と聞いています」と村人の一人が立ち止まり俺達に振り向いて言った「この辺を中心に探して行くのが良いかと…」

「分かりました。では二手に分かれましょう。君は僕と。君は彼女と一緒に」

 松明の灯りを頼りに各々探索に入ったが、草の丈がかなり高く俺の胸元辺りまで伸びている場所もある。小さい子なら一寸先も見えない霧の中を進む様なモノだ。更に暗闇に包まれているとなると、絶望感しか湧いて来ないだろう。

 悪戦苦闘しながら草むらをかき分け、探し回り続けて何分程経過しただろう。気が付けば俺達の組からかなり離れた場所に移動していたサンディが、こちらに声を掛けて来た。

「ゲイル、ちょっと来て!」

「どうした?」

 パートナーの村人と共に彼女に近寄ると、唇に人差し指を当て沈黙のゼスチャーをして

「聞こえて来ない?ほら…」

 耳を澄ますと、森のざわめきに混じって女の子の泣き声らしき音が微かに聞こえて来た。それを頼りに草をかき分けながら進んで行くと

「ミンちゃん ! ?」

 深々と茂る草むらの中に座り込んで泣きじゃくるミンちゃんの姿がそこにあった。サンディがすぐに抱き上げ、しっかりと胸に抱え込んだ。全員の顔に安堵の表情が浮かんだ。

「さぁ、急いで戻ろう!」

 俺がそう言った直後だった。

 ガバッ…!

 近くの草むらが激しく揺れ、次の瞬間巨大な怪物が俺達の目の前に姿を現した。俺は思わず叫んだ。

「ドーナだ!」

 突如現れたそのドーナは、身の丈六、七メートルのトカゲというよりカエルに近い姿をしていた。辺りの暗さで細かい特徴までは掴めないが、全身が鈍い黄色の体色で、不気味な粘液で包まれている事だけは察知出来た。ミンちゃんを狙ってすぐ近くまで忍び寄って来ていたのだ。

 虚を突かれ身の固まった俺達に対して、カエル型ドーナは早速攻撃を仕掛けて来た。手始めと言わんばかりに、広く開いた口から謎の液体が俺達に向けて発射された。咄嗟に交わした俺達の頭上を通過したその液体は、後ろの大木に命中。みるみる内に大木が溶け始めた。

「ヒッ、ヒイィィィーッ!」

 悲鳴を上げながら、村人二人が松明を放り出して一目散に逃げ出した。神の石の効果で殆ど顔を会わせる事の無かった怪物といきなり近距離で対面したので、肝を潰したのだろう。その気持ちは分からんでも無い。だからと言って、ミンちゃんを抱えた俺達を置いてきぼりにされても困るのだが ! ?

「サンディ、ミンちゃんと先に逃げてくれ!俺は奴を食い止める!」

 俺は火炎砲の構えを取りながらサンディに指示を飛ばした。

「分かった!気を付けてね!」

 ミンちゃんを背負ったサンディが駆け出した瞬間

 ブオォォォーッ!

 ドーナの口から黄色く濁った気体が勢い良く吹き出された。アッという間に視界が塞がれると同時に、胸が苦しくなり呼吸が出来なくなる。

 コイツ、有毒ガスまで吐きやがるのか!

 俺は慌ててタオルを取り出し、口と鼻を覆って必死にガスの吸入を防いだが、ミンちゃんと彼女を背負って両手の自由が効かないサンディは、モロにそのガスを吸い込んでしまった。激しく咳き込んだサンディはミンちゃんを背中に乗せたまま、ヨロめいた後その場に倒れ込んだ。

「しっかりしろ!」

 俺は接近して来るドーナに火炎砲を浴びせ牽制すると、倒れた二人の元に慌てて駆け寄った。

「大丈夫か ! ? 動けるか ! ?」

「…大…丈…夫よ…。こ…これ…くら…い…」

 朦朧としながら辛うじて言葉を返すサンディだったが、最早体を動かす事が出来ず、ぐったりとしたまま苦しそうな呼吸を繰り返すだけだった。ミンちゃんは既に昏睡に近い常態だ。

 重症で動けない二人を抱え、目の前には襲い来るドーナ。最悪の状況だ。ドーナが襲撃の気配を見せる度に火炎砲で足止めをする。こんな事いつまでも続く訳がない。村人がいてくれたら倒れた二人を運んで貰って何とか逃げる事も出来たろうに…。イヤ、彼等も毒ガスの餌食になっていたかも知れない。絶望感しか湧いて来ない状態で、ひたすら火炎砲をドーナに向けて撃ち続ける。そんな俺の体力も限界に達しつつあった。クソ、こんな所で第二の人生が終わってしまうのか…?

 火炎砲の威力が衰えて来た事を認識したのか、ドーナが勝ち誇ったかの様に俺達に迫って来た。南無三…!

 その時!

 バシュウッ! ズバッ!

 二本の鋭い槍状の物体が、立ち尽くす俺の背後から飛んで来て迫り来るドーナに命中し、その巨体に深々と突き刺さった。振り返ると

「こんなこったろうと思ったぜ!やっぱり俺に任せた方が良かったんだ!オイ、早く逃げるぞ!」

 後ろの草むらの中からグリージャと先程逃げた村人二人が姿を現し、倒れたままのサンディ達に駆け寄った。まさかの助っ人の出現に俺は息を大きく吐きながら尋ねた。

「何故ここに ! ?」

「お前らが出発した直後にこのドーナが村を襲って来たんだよ」心配そうにミンちゃんを抱き抱えながらグリージャが説明した「スタンと二人で何とか追い払って暫くしたらコイツらが」と村人達をアゴでしゃくって「お前らが入った森の中からヒイヒイ言いながら出て来やがった。どうやら逃げたドーナがお前らとハチ会わせになったらしい、という事で、コイツらにハッパを掛けてここまで案内させた。全く、平和ボケしている連中はお前と同じで、イザという時には全然頼りにならん!」

 グリージャがここまでまくし立てた時、彼が放った氷の槍を体から引っこ抜いたドーナが猛り狂いながら俺達に飛び掛かって来た。

「危ない!」

 俺はミンちゃんを抱いたグリージャに庇う様に体を預け、ドーナの突進を辛うじて交わした。目標を失ったドーナだが、すぐ様巨体を反転させて再度襲撃の構えを見せる。

「オイ、お前ら!この二人を担いで先に村まで逃げろ!」

 グリージャが怒鳴る様に、恐怖に震える村人二人に指示を飛ばした。

 彼等が重症の女性二人を背負い、慌ててその場から立ち去るのを見送ると、グリージャが

「この野郎に少しでも深手を負わしてやらんとな!」

 と言ってドーナに対し飛び道具の構えを見せた。

「気を付けろ!そいつは毒ガスを吐く!あの二人もそれにやられたんだ!」

 俺の忠告が終わらぬ内に、濁った黄色の毒ガスが凄まじい勢いでドーナの口から噴射された。瞬時にして視界が覆われ全く見えなくなった。

「深く吸い込むとやられるぞ!早く撤収しよう!」

「クソッ!こんなモノで…」

 グリージャが必死に煙幕を振り払いながら攻撃の構えに入ろうとしたが、その間にドーナはすぐ側まで迫って来ていた。

 バシーン!

 衝撃音と共にグリージャの体が吹っ飛ばされ、大木に叩きつけられた。木の根元で尻もちをついたまま、すぐに立ち上がれずにいる。軽い脳振盪を起こした様だ。必死に頭を振り、飛んだ意識を取り戻そうとしているグリージャに、狙いを定めたドーナがゆっくりと歩を詰めていく。漸く目の焦点が定まったグリージャが顔を上げると、今まさにドーナの広く裂けた口が彼を頭部から呑み込まんとしていた。死の恐怖に捕らわれた彼の顔が、絶望に染められ真っ青な色に変化していく。俺は有りっ丈の力を込めて、火炎砲をドーナの背中にブチ当てた。そして怯むドーナの横をすり抜けグリージャに駆け寄ると、座り込んだままの彼の手をグイッと引っ張り立ち上がらせた。

「大丈夫か ! ?」

「あ…ああ…。ス、スマン…」

 そのままグリージャに肩を貸すと、俺達は必死に村に向かって走った。火炎砲のダメージが予想以上にデカかったのか、ドーナが追撃して来る気配は無い。暗闇の中、生い茂る草を踏み倒しながら無我夢中で逃げていると、遠くから村人の呼ぶ声が聞こえ松明の灯りもチラチラと見え始めた。助かった、という気持ちと共に脱力感が全身を襲い、駆け付けた村人達と合流して何とか村に帰還した時は、立っているのもしんどい状態だった。

「二人共大丈夫か ! ? ドーナは ! ?」

 スタンが真っ先に俺達を出迎え声を掛けてくれた。俺は呼吸を整えながら、ドーナが襲って来る確率が低い事や、グリージャが軽傷を負った事等を手短に伝えた。

「そんな事よりミンちゃんは大丈夫なのか ! ? 命に別状は無いのか ! ?」

 俺の肩に寄り掛かった状態のグリージャが食い尽く様にスタンに聞いた。

「今マルルが懸命に治療しているが、予断を許さない状況だ」

 スタンが難しい顔をして答えると、グリージャがまるで泣き出しそうな悲痛な表情になった。そして聞き取るのがやっとの声で呟いた。

「美緒だけじゃなくミンちゃんまで…。…止めてくれよ…」

 その言葉の意味が俺にはその時全く理解出来なかった。訝しげな顔をした俺の腕を振り解く様に払うと、グリージャはよろめきながら屋敷の中に消えて行った。彼の口からその謎の台詞に関する説明を聞いたのは、この後の様々な出来事を経た翌日になってからの事だった。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る