第2話 転生

 意識が戻った俺の目の前には果てしなく白い世界が広がっていた。

 上を見ても周りを見渡しても全て白一色。霧とも何ともつかない白い気体が立ちこめ周囲の世界を形成している。下を見ると白いスモーク状の気体が膝下辺りまで漂っている。

 そして正面には白いジジィが立っていた。

 白色のゆったりとした丈の長い着物。額からてっぺんまで禿げ上がった頭部を囲う様に生える白髪。口を隠す程伸びた鼻髭。胸元まで垂れ下がる顎髭。肌以外全てが漂白された様な白さだ。そんな白一色のジイさんが穏やかな表情で正面から俺を見つめている。共に無言。奇妙なニラめっこが暫く続いたが、聞きたい事が山程ある俺の口の方が先に言葉を発した。

「ここ、どこ?アンタは…誰…?」

 我ながら何とギコちない質問。それに対し白いジイさんは笑う事なく静かな口調で答えた。

「ここは霊界。ただし、其方の居た世界ではなく別の世界の霊界になる」

「?」

 余計に分からなくなった。戸惑う俺に対し、白一色のジイさんは更に話を続ける。

「私はその別の世界を統治する神である。其方にとある協力をして貰う為に、本来は来る筈ではないこちらの世界に呼び出した。其方には今から私の言う通りの第二の人生を歩んで貰いたい。色々思う事はあるだろうが、先ずは話を聞いて欲しい」

 さっぱり要領の掴めない俺に喋る暇も与えず、白いジイさん─別の世界の神様─はこの状況を迎えるに至った経緯をゆっくりと話し出した。


「これから其方に行って貰う別の世界、つまり異世界だが、少し前までその世界の全人類の奴隷化を目論む悪の神─邪神─の勢力と、それを阻止する私を中心とした善の神の連合軍が天上界で激しい戦いを繰り広げた。そして最後は我々善の神々が邪神勢力に勝利し、その壊滅に成功した」

 だが、辛うじて生き残った僅かな数の邪神が瀕死の状態で下界に逃亡。そこに生息するドーナという巨大な爬虫類に己の魔力を注入し、全世界のドーナを怪物化させると、そこで力尽き果てた、らしい。

「ドーナは人を除く下界の生態系の頂点に君臨する大型のトカゲの形をした肉食性の凶暴な生物で、下界のほぼ全域に生息し、人間に対しても度々被害を与えていた。元々人類にとって多少厄介な存在だったのだが、邪神の魔力注入により更に巨大化、凶暴化し、攻撃能力も段違いに上がった。そして異世界の人類に対し一斉に攻撃を開始した。世界中がドーナの猛威に曝され多くの人間が犠牲になった。だが人間側も必死の反撃に転じ、形勢は徐々に逆転していった。

 ここまでの話、理解出来たかな?」

 その人類側の反撃の原動力となったのが、各地に配属されている王国の保持する軍隊─国王軍─と、超常能力を武器に戦う数々の討伐隊(パーティー)だった。

「超常能力?何ですか、それ?」

「この世界の人間が生まれながらに持つ特殊な力の事だ。各人によって持つ能力は違う。知能的な物、肉体的な物等様々な能力があるが、その中の一つに攻撃に特化した能力があり、その種類は多様に分かれている。炎や波動を放ったり、超人的な身体力を活かしたり、常人には扱えない武器を使いこなしたりする事が出来る。ただし生まれた時点での能力は微々たる物に過ぎず、その力を伸ばすには各々の鍛練が必要となる。同じ能力でも鍛練を積んだ者とそうでない者とでは大きな差が出る。討伐隊パーティーのメンバーは殆どの者がこの鍛練し向上された攻撃能力を備えている。そして…」

 数々あるパーティーの中でも、特に著しい成果を上げている一団があるらしい。数万人に一人と言われる複数の超常能力を併せ持つ人間の集まりで、ドーナの中でもボス格に匹敵する強力な大物の討伐に後一歩と迫っているという。

「そのボス格のドーナの体内には邪神の魔力の源とも言える魔石が埋め込まれている。そのドーナを倒せば魔石の力も弱まって世界中のドーナにも影響が及び、連中の勢力は一気に縮小される。そして完全駆除に大きく繋がる事になるだろう。しかしな…」

 穏やかな表情をほぼ変えずに話していた白い神様─以降は白神様と勝手に呼ばせて貰う事にするが─の目付きがここでやや険しくなった。

「そのパーティーの内の一人が不幸に見舞われてしまってな。とある討伐でメンバーが散り散りになり、彼だけが深い森に迷い込んでしまったのだ…」

 森の中で完全に迷ってしまい、何日も彷徨い歩く内に体力を失い、飢えと疲労で倒れてそのまま絶命してしまったらしい。

「彼はパーティーの中でも中心戦力となる存在で、彼を失うとそのパーティーはほぼ機能しなくなってしまう。何としても彼に蘇ってパーティーに復帰して貰いたいのだが…」

 困惑気味の白神様に対し当惑気味の俺は

「そんな事言っても死んでしまっては…。…ん…?」

 ここで白神様の先程の言葉が頭の中をよぎった。其方には第二の人生を歩んで貰う…。

「転生という言葉を知っているか?」

 白神様との間の距離位置が気のせいか少し縮まった様に感じた。

「其方は元の世界で階段から落ちて死んだ。本来ならそのまま元いた世界の天国に昇る事になる。だが今回最強パーティーの復活の為に、其方には亡くなったメンバーに転生して欲しいのだ」

 漸く状況を理解しつつあった所にいきなりこんな言葉を投げられた時の心境の表現は、どう言った文字に変えれば最も相応しいものになるのだろうか?

「と、言うよりな」白神様の顔がいつの間にか目の前へと迫って来ていた「これはもう決定事項なのだよ。先程其方の世界の神にお願いして話は付けて来た。其方の世界の神も納得していた。しがない社畜に過ぎなかった人間が、少しでも異世界救済の力になるのであれば、それは当人にとっても悪い事にはならないであろう、とな」

 オ、オ、オ、オ…

 オーマイガァァァーッ!!!

 ちょっと待ってくれよ!何勝手に死んだ人間のその後を弄くってんだよ!

 勝手にパーティーメンバーの一員に生まれ変わらせて、爬虫類の化け物と戦うという事を、当の本人に何の確認も了承も無く一方的に決めたというのか ! ?しかもこっちには断る権利が一切無いというのか ! ? 巫山戯るな ! ! 神様だからってやって良い事と悪い事があるぞ!転生して生き返っても、そのドーナとかいう化け物にやられて死んだらどーなるの ! ? 洒落なんか言ってねーよ ! !階段から落ちて死んだ男が生き返ったら、今度は化け物に喰われて死ぬとか何のギャグだよ ! ? それにさぁ、それにさぁ ! ! !

「俺、そんな超常能力なんか持ってないし、化け物相手に戦える訳ないじゃん!俺なんかより絶対他の人の方が良いって!そう…、格闘家の人とか!」

「心配ない。其方の意識を持ったままで、元のメンバーの身体特徴と超常能力、それに生前の記憶もそのまま受け継ぐ。異世界の生活にもすぐに対応出来る」

 そんな事くらいでは納得も安心も出来ない。俺は更に食い下がった。

「性格!性格!全然人が違ったらそのパーティーとやらの人達とも上手くやって行けないし…」

「いいか?ようく考えてくれ」白神様が両手で俺の両肩を押さえ諭す様に言った「数ある異世界人の中から何故其方が選ばれたか。死んだ彼の体に転生させて最も違和感の無い者として其方を選んだのだよ。性格から血液型、癖に口調、持病からアレルギーまで、全てリサーチ済みなのだよ。其方の世界の神もそれを承知したからこそ許可を出した。其方しかおらんのだ!」

 嗚呼、神様はなんて偉大。何から何まで存じておられる。所詮人間はどう足掻いても神様には逆らえないのか…。死んで悪魔と鬼のハーフからやっと解放されたと思ったら、今度は本当の魔物を相手にしなくちゃいけないのか、ヒドい…。

 嗚呼…俺は…俺は…。

 気が付けば年齢不相応な泣きベソ面になっていた。天国に…行きたかった…。

「一つ教えてやろう」白神様が俺の肩を正面から抱きながら、古くからの相棒みたいな口調で言った「ドーナのボス格の体内にある魔石。あれには人の願いを叶える力が秘められていて、討伐に成功したパーティーに所有権が与えられる。つまり其方達が獲得に最も近い位置にいる事になるのだよ」

 それって…。

「上手く行けば石の力で其方の行きたい世界に行く事も出来る。それにドーナとの戦いで100%死ぬ、と決まった訳ではあるまい。この世界で其方の子供の頃の夢を叶える事だって出来るのだ」

 一瞬心が揺らいだ俺の全てを見通している様な口調で白神様が畳みかけて来た。

「ヒーローになれるぞ。諦めていたあの頃の思い…。何もかも知っているぞ」

 嗚呼、神様は偉大なり。

 甘酸っぱいあの感情が遠い過去から頭の中に再び湧いて来るのが、ぼんやりと感じられた。特撮ヒーローごっこに興じていた子供の頃の思い出が、走馬灯の様に脳内を駆け巡った。

「其方の人生をこの世界の為に捧げてくれないか?」


 その時の感情は未だに上手く説明出来ない。でも必死の拒絶から転生を受け入れる心境に変化していった事だけは確かだった。天国への未練は気が付けば完全ではないがほぼ回収されていた。自分に前の世界では持てなかった力が与えられたのなら、それを使ってやれる限りやってみるのも悪くないかも知れない。それに願いを叶えてくれる魔石が手に入れば、自分の理想とする別の世界に行ける事も出来る。悲観材料ばかりではない。希望だって持てる。

 もうここまで来たら迷っても仕方ない。俺は踏ん切りをつける覚悟を決めた。もう前に進むしかない。どんなに断っても既に決定事項で変える事が出来ないと言うのなら、やるしか無いじゃないか!そしてドーナとやらを倒してこの世界を救い、ヒーローになってやる!

 俺は顔を上げ、白神様の目を真っ正面から見据えた。

 決めたぞ、白神様!さぁ、後は焼くなり煮るなり、どうでも好きにしやがれ!


 目の前一杯に白い光が溢れて周りが見えなくなった。その光が消え視界が復活すると、俺は木々の生い茂る森の中に立っていた。

「その森を東に抜けると村がある。そこに小さな居酒屋があるから、中に入ってパーティーの仲間と合流してくれ。それでは以後の健闘を祈る」

白神様の最後の指示を思い出した俺は、その言葉通りに村のある方向に向かって歩き始めた。

 元の自分とは明らかに異なる身体の感覚。気が付けば腰に立派な剣もぶら下がっている。歩きながら体中を確認してみると、随分と逞しい体付きに変わっている。視線の高さから見て前より大柄な人間に転生した様だ。

 それにしても服の生地がガサガサして、着心地が悪く落ち着かない。革製のブーツも足にキツく快適な足取りには程遠い。これがこの世界の衣料品の基準なのだとしたら、恐らく生活水準は前の世界に比べてお世辞にも高くはないと思われる。

 と考えながら歩いていた時

 ガサガサッ……

 背後の草むらから何かが動いた様な音と気配が感じられた。思わず振り向くと

 ガバァッ!

 草むらから突如巨大な怪物が飛び出し、俺の目の前に立ち塞がった。転生して前の人の記憶は継承していた筈だが、その怪物の姿はまだこの世界に慣れてない身からしてみれば、初めて見る異形の化け物にしか見えなかった。

「これが…ドーナって奴なのか…」

 身の丈がおよそ3メートル以上はある二本足で立つトカゲに肉食恐竜の様なゴツさを加えた外見。凶気と狂気を兼ね揃えたかの如く不気味に光る赤い目。深く避けた口からは絶えず白濁色の液体が垂れ、鈍い光を放つ灰色の体全体も汗をかいた様にヌラヌラとした粘液で覆われている。その佇まいから、これから俺を採って食ってやろうという意志に満ち溢れている事だけは、容易に察せられた。

 転生早々バトルかよ!

 と思う間もなく、初対面のドーナの避けた口から、白濁液の大きな飛沫が複数滴俺に向かって放たれた。咄嗟に身をよけたが、細かな飛沫が数滴服に飛着すると、アッという間にゴワゴワの生地が溶け始めた。溶解液 ! ?

「とっ、とんでもないモン吐き出しやがる!」

 このままじゃ一方的にやられる。もう無意識の内に体が戦闘へと動いていた。体の力の入り方が元世界の自分とは明らかに違う。戦士として普通に戦えそうだ。なら、どう反撃する?

 超常能力も受け継いでいるが、慣れない体でいきなりポンポンとは出せないだろう。それでも記憶を頼りに体の中に力を溜める様に意識し、行けると判断したらその力を相手にぶつける様に放つ。俺はお相撲さんが張り手をかます感じで掌を広げ、腕を勢い良く突き出した。

 次の瞬間、俺の掌から真っ赤な炎が槍状の形となって発射され、化け物のドテッ腹に激しく命中した。

 グルルゥオゥッ!!

 化け物は苦しそうな唸り声を上げると高々とジャンプし、俺を押し潰す様に落下してきた。間一髪交わした俺は、地面に落ちるもすぐ立ち上がったドーナに再び炎の槍をブチ当てた。

 ギャウウ!

 怯んだ所に更にもう一発!命中を確認して追撃の一発!

 ギィエオゥゥッ!

 ドーナは絶叫すると巨体に似合わぬ素早さで、深々と繁る草藪の中へ飛び込む様に逃げ込んだ。暫く深い草むらがザワザワ揺れていたが、それもやがて動かなくなり、辺りに静寂が戻った頃にはドーナの気配も完全に消え失せていた。

「これが俺の力か…」

 まだ使い方によって様々な炎の攻撃が出来る、という白神様の言葉を思い出しながら、俺は心の中に得も知れぬ優越感が湧き出して来るのを感じ始めた。

「必殺ビームを出すヒーローも、こんな感じでやってたのかな…」

 多分その時の俺は、ヒーローらしからぬ不気味な笑みを満面にたたえていたのではないだろうか。しかも複数の超常能力を持った体だから、これ以外にも別の凄い力がまだ秘められているのだ。

 落ち着きを取り戻した森の中に、カン高い鳥の声が響き渡り、俺はハッと我に返った。そうだ、早く村に行って仲間に逢わなければ!

 辺りの景色が夕暮れに染まり始めていた。俺はこれから異世界という舞台で冒険生活を送る事に対する覚悟を決めると、期待と不安を心の中に押し込めつつ、村に繋がる細い坂道を一気に駆け下りていった。

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