2猫が来る日
サビ猫というのは茶色と黒のまだら模様の猫のことである。後で知ったことだが、サビ猫はその模様から、一般的には不人気な猫らしい。実際にウミもこの保護猫カフェでは古株だったようだ。その模様からぞうきん猫という心無い呼び方をする人もいるという。しかし私は英語のトーティシェルキャット、べっ甲猫という名前こそこの猫にふさわしいと思うのだ。夕日を浴びて体毛が輝く様は、まさにべっ甲のような美しさである。
その後、下の事務所で説明を受け、私は譲渡の書類にサインをした。店員さんから受けた説明によると、いきなり譲渡という訳ではなくまずは2週間のトライアル(お試し)期間があり、実際に猫と一緒に暮らしてみて、最終的に今後も生活を続けるか猫カフェに返すかを決定するらしい。
店員さんと話し合ってトライアルは2週間後に決まった。それからというもの、私はあわただしくウミを迎え入れる準備を始めた。ホームセンターのペットコーナーやネット通販で、キャットフード、餌皿、水皿、トイレ、キャットタワー、おもちゃ、ペット用カメラ等、必要と思われるものから、必要かどうか分からないものまで、ありとあらゆるものを買った。買ってきたキャットタワーとトイレを置いたら、私の部屋は少し狭くなった。でもきっと、これで良かったのだ。
そして私はこの部屋でウミと生活をすることを想像した。家に帰ると私を出迎えてくれるウミ。私を出迎えてくれるウミをなでる私。ご飯を食べるウミ。遊んでとねだるウミ。ウミと遊ぶ私。眠るウミ。ウミと一緒に眠る私。私の想像には果てがなかった。けれどそれはどれも素晴らしいものだった。そしてそうなる日はもう目の前に迫っているのだ。
そして2週間後の日曜日、ついにウミが我が家にやって来た。
呼び鈴の音で家の扉を開けると、そこには猫用のキャリーを抱えた店員さんが立っていた。早速私は店員さんをリビングに案内した。店員さんはリビングの床にキャリーを置くと、鞄から書類を取り出し始めた。キャリーを覗き込むと、ウミは奥の方で小さくなって震えていた。
「今朝キャリーに入れようとしたら、結構暴れて抵抗したんですよ」
店員さんの手を見ると、新しい傷が増えていた。きっとウミが抵抗した時に付いたのだろう。
「先に書類をお渡ししますね」
そう言って店員さんは譲渡の書類の説明を始めた。譲渡証の記録によると、ウミが保護されたのは去年の4月頃で、そこから1年半をウミはカフェで過ごしたようだ。病歴や予防接種の記録には、避妊手術済み、猫エイズは感染なし、次の予防接種は来年の4月と端的だが必要の情報が記載されていた。
猫は自分で自分の健康を管理することは出来ない。健康管理は飼い主の役目なのだ。そして今日からその飼い主とは、他でもないこの私だ。私は改めて、一つの命をあずかることの大変さを思った。もはや私の体は私一人のものではないのだ。もしも私が怪我や病気で入院したら、ウミの世話をすることの出来る人間は誰もいなくなってしまう。私は健康でいなくてはならない。ウミといつまでも一緒に過ごすために。
書類の説明が終わり、いざ扉を開ける段になっても、ウミはキャリーの奥で震えていた。
「それでは扉を開けますね」
ゆっくりと開くキャリーの扉の前に、私はおずおずと手を差し出した。キャリーから出てくるウミを触ろうと思ったのだ。それはこの家での私とウミとのファーストコンタクトになるはずだった。少なくとも私の中の計画では。
ウミは私の手をすり抜けるやいなや、猛然と部屋の中を走り回り、カーテンの裏側に隠れてしまった。猫は環境の変化に敏感な生き物だということは、譲渡前の説明で聞いていたけれど、やはり私は少し不安になった。初日から頭を撫でたり、おもちゃで遊んだりは出来ないようだ。
「最初は不安でこうなる子が多いですよ。でも二週間もしたら慣れると思いますから。少しずつでいいので仲良くなっていって下さいね。何かあればお店に電話して下さい」
店員さんはそう言って帰っていった。本当に大丈夫だろうか。私はウミと仲良くなれるだろうか。それでも私はウミと仲良くなりたいと思った。少しずつでもいいんだ。
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