二号室 幽霊と人の愛

 ゆっくりと目を開けると、明音が誰かにに抱きついていた。年齢は少し上で、真っ白な肌に180cmを超えるような身長と、垂れ目で左目の下には泣きぼくろ、そして、腰まで伸びる艶やかな黒髪は美しくサラサラで良い匂いがする。お日様の匂いかも。


「明音ちゃんの好みに合わせたんだけど、どうかなぁ⋯⋯」

「めっちゃくちゃタイプです!好きです!霊華さんに会えて嬉しいです!」

「私も、やっと明音ちゃんにも逢えて、触れ合えて嬉しいな⋯⋯♡」

「エヘヘヘヘ!」


 翠は信じられないものを見ているようで呆然としている。私は腰が抜けていて立ち上がることができないでいる。目の前で起きたのは、おそらくそれなりに格の高い霊魂が、あの色ボケ幼馴染と触れ合う為だけにここまでやってきたと言うことだけは理解できた。

 そのくらいしか分からない。

「あ、あの、ビックリさせちゃったよね、だからその、弁明するために、事情と起きたことを説明させてもらっても良いかな⋯⋯?」

 申し訳なさそうに霊華さんが話しかけてきた。よくよく話を聞いてみると、彼女は明音が認識したおかげで意思のない浮遊霊から生まれ変わって、人の心と感情が生まれたという。

「それにね、とっても大好きな「女の子」から、わ、私のこと可愛いとか素敵だ、とかタイプだとか言われたことないまま病気で死んで幽霊になったものだから、舞い上がっちゃったのは認めるわ。でも騙す気だけはなかったの」

「こんな出会いだったけど、私は明音ちゃんのこと本気で愛してるのだけは間違いないわ」

「だから、二人で同居するのを許して欲しいの」

 一体、賃貸の契約はどうするだとか、無粋なことを聞くのはやめておこう。

「混乱しているけど、言いたいことは分かりました。蒼ちゃんも私も貴女のことを信じます」

「明音はちょっと変なやつだし迷惑かけると思うんですけど、本当に優しくて裏表のない、気の良いやつなんです。幼馴染の私が保証します。だからこいつの事よろしくお願いします」

 明音は恥ずかしそうに鼻をかいている。

「照れるな、いつもそんなこと言ってくれないのに」

「言ったら調子に乗るから言わないだけ」

 こいつは高校生の時の失恋を引きずってた。細かいことを言うと、告白すらできずに終わった密かな恋だったが、なんとかして吹っ切って欲しいとずっと思ってた。

 確かにこの人は人間じゃないけれど、あったかい心を持っているはずだ。明音と同じように。だから任せても大丈夫だと思うんだ。

「良かった⋯⋯本当にありがとうね、碧ちゃん、翠さん」

 緊張が少し緩んだようだった。

「明音ちゃん、貴女には本当に良い親友がいるわね。ちょっぴり羨ましいな、私は病気がちで学校にはあまり行けなくてお友達もいなかったから思い出もなかったし⋯⋯」

 物悲しく微笑む霊華の手を取る明音。

「それなら心配ご無用です。運のいいことに、これからの新しい思い出は作り放題ですから!」

 これこれ、こうじゃなきゃ。流石、史上最強のポジティブ人間だよ。嬉しくなってきて、つい笑みが溢れた。こうして、霊華さんの誕生と、1組のカップルの始まりの日は終わった。

 大きい霊華さんと対比すると小さく見えてしまう明音の二人が、夕食のコンビニ弁当を分け合う姿は幸せそうだった。


 時間も遅かったが、二人の時間を邪魔しても悪いので帰らせてもらうことにした。


「⋯⋯おうち帰ったら私に構って欲しいんだけどいいかな」

 帰った理由はもう一つある。私の相方、もとい彼女の翠はとても嫉妬深いのだ。表には出さないが私だけには察知することができる。

 明音にべったりだったし、翠にあまり注意を向けていなかったと言う自覚はあったので、家に着いたら存分に甘やかさなくては。そういうところも可愛くて好きだよ。

「どうして欲しい?」

「そばに居てくれればそれでいいかな」

「本当に?」

「⋯⋯」

 耳まで赤くしているのは見なくても分かる。

 それじゃ満たされる訳ないよね。

 ずっと明音ばっかり気にしていたからって彼女のことはちゃんとしてなかった訳じゃないんだけど、やっと憂慮してたことが無事に解決したから、今は翠だけに愛を注いであげられる。

 赤信号でシフトから手を離して彼女の体に触れる。太腿は相変わらず心配になるくらい細いけれど、暖かくて確かに生きている鼓動が聞こえる。

 スカートの中に入り込んでいくと、翠の肺から気道を通って上がってきた生暖かい吐息が、ゆっくりと押し出される。


「家に着くまで、我慢、できる?」


 信号が青信号へ変わった。

「偉いね、良い子にはご褒美をうんと多くあげるからね」

 月極の駐車場に入り車を停める。長い付き合いだから、どうしたいか、どう思っているかなんて言わなくても分かり切っている。部屋に戻るまで言葉を交わす必要もない。

 ドアを閉めて鍵を上下にかけるとお互いに服を脱ぎながら寝室へ向かう。

 良い年になったって、翠の体は無限に私を惹きつけ、翠の声が私の名前を呼ぶたびに愛おしさといじらしさが指数関数的に上がってゆく。

 彼女の全てに私は取り憑かれているんだと思う。

 いつでも翠のことばかり考えているのに、尽きることなく愛の言葉を囁くことができる。

 死というものと直接触れたからだろうか、時間の許す限りの愛を注いであげ続けていきたいと言う思いはより強くなっている。

 一生をかけてそれをやっていくつもりだ。

 やっと腹が決まった。

 死ぬ間際に悔いがないと言えるよう生きていたいだけ。

 ちょっとキザすぎるかな。

「寂しくさせてごめん、これからその分の埋め合わせをさせて欲しい」

「⋯⋯分かった。じゃあ、私の体に、私が誰のものなのか教えてあげて?」

 たまに彼女が恐ろしくなる。そんな人に今日も溺れていく。いつか死が二人を別つとしても、その時までずっと、変わらず愛し続けるだろう。塵となって消えようと、私たちの想いは無駄ではない。

 

 定めの日までの長い旅は、13階段までの長い寄り道。おかしく楽しく元気よく、永い寄り道を。


「愛してるよ、翠⋯⋯」


 彼女の芯は、私の帰りを待っている。今日も、彼女を愛そう。文字通り死んじゃうぐらいに、ね。


 ────  


 明音のその後について記しておこうと思う。

 あの後二人はというと、新居へと移り住むことになった。いわゆる事故物件ロンダリングが行われていた部屋だったらしく、無事だったとはいえ受けた被害はかなりのものだった。

 部屋の修繕費を払う代わりに、退居費用は免除してもらったらしい。 霊華さんは見事なほどに現代になじみ、料理、洗濯、出迎え、独り身の人間にとって最もありがたいことを率先してやってくれるという。ネットを完全に使いこなしているようだ。

 そして生前やっていた趣味が小説の執筆だったことが発覚し、せっかく二度目の人生だしと執筆を再開してみたのだそうだ。

 自分の浮遊霊であった頃の記憶を元に書かれた「憑依論─幽霊はどうやって人間に取り憑くのか─」と言うフェイクリアル小説を、小説投稿サイトに投稿したところ大ヒット。

 霊華さんが明音と結ばれるまでの13日を描いたこの作品が大手出版書の目を惹き、コンテストの大賞を受賞。書籍化に向けて動き出しているのだそうだ。

 小説サイトのロイヤルティプログラムの参加資格も得られ来月から収入として家計に入ってくることが決まったらしい。

 絶対に取り憑かれないというある意味では最強の体質を有効活用し、次の作品に向けての構想を練るため各地に取材に行くらしく、霊華さんとの出会い以降、一切そう言ったものを感じることがなくなったらしく、明音は冬休みについていくそうだ。

 出発の日のことは今でも良い思い出だ。


 私たちはその冬休みの間に、パートナーシップ制度によりパートナーとなった。



4626日目

 


 私たちはというと、どんな運命のイタズラか「あの日」からちょうど10年後に、日本で一例目の同性婚カップルとなった。結婚式は明日執り行われる。この後結婚予定の霊華明音婦妻を呼んで。


「蒼ちゃーん!準備できたよ!」

 そろそろ時間だ。じゃあ、もう行かなきゃ。最後に私達夫婦から締めの一言を。

 

「「この世界の、生きとし生ける全ての女性同士のカップル達に、良き終わりを」」






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