素晴らしき日常

第一話 守りたい人

 私にはずっと好きな子がいる。小学校からの友人の美雪という。すらりと長い足に白い肌、バランスの取れた体に高潔な精神を持っている女性だ。

 彼女のことが好きになったのは小学生の頃。所謂一目惚れというやつで、出会った時のときめきは今でも忘れられない。

 彼女は誰に対しても誠実で優しく、クラスの学級委員だけではなく学級委員長を兼務している。何でも引き受けすぎだと言ったら「困っている人達の役に立てるのだからこのくらい大したことじゃないわ」だから心配しないでって爽やかに笑ってみせた。

 そんな彼女が男子に取り囲まれ言い寄られていた。どうやらいじめの現場に遭遇し、静止に向かったことで言い争いに発展し、胸ぐらを掴まれていた。怖くて助けに行けずに先生を呼ぶことしかできなかった。先生達にあいつらが連れて行かれた後、美雪が抱きついて来た。

 「怖かった⋯⋯」

 震える彼女に誓った。強くなると。

 私は柔道を始め、それと同時に武道ではなく戦闘術を学ぼうと思った。彼女を守りたいというその一心で必死に努力した。

 戦闘術の師範がいつも言っていたことは、力を振るうのは最後の選択肢だということ。真の勝利は戦わずして勝つことだという教えだった。

 中学で美雪と離れ離れにはなったが、友人にも恵まれ、大きな問題はなく美雪とも深く友情を育むことができたが、その時間に比例するように美雪に持っている感情が大きくなっていった。

 これが恋であると確信した。夏休みには近所のお祭りにも行ったし、彼女の浴衣姿に目を奪われて言葉数が減ったせいで、楽しめていないのかしらと伏し目がちに聞いてくるものだから、気遣いが愛おしくなって人目も憚らず抱きしめてしまったこともあった。

 冬にはイルミネーションを見に都心までわざわざ電車まで使って、有名なデートスポットへとたどり着いた。移動中の電車内で嫌なことがあった。少し離れた場所にいたサラリーマンがヒソヒソとみゆきについて話していたのを聞いてしまった。

 やれ足が細くてそそるとか、モデルみたいだよなお尻もちっちゃいしだの、聞きたくもないことが聞こえてしまった。こんなにも美雪は男女問わずに魅力的に映ったのかを思い知ってしまった。

 意中の人を見ているだけで良いのかと自らに問いかけた。もし彼女に私以外に好きな人ができてしまったら、祝福できるか分からなかった。

 その瞬間に、彼女に振り向いてもらえるように努力をしようと決めた。彼女が好いてくれるような人間になろうと考えた。

「美雪⋯⋯好きだよ⋯⋯」

 私の呟きが部屋の中の暗闇に消えていった。


 進路を選ぶときになっても、彼女と離れるということを考えることすらなく、同じ高校へ進学すると決めた。受験勉強のために通話しながらたくさん話したっけ。

 たまにデートと称して気分転換に出かけることも多かった。周りにいるカップルが羨ましいと思ってしまった。心の奥にずきりと痛みが走り、少しだけ顔を顰めてしまった。

 「美雪が恋人だったらよかったのに」

 「どうしたのいきなり」

 つい口を滑らせてしまった。

 「見た目だけなら結構良い線いってない?っていうか美雪は綺麗だし、優しいし、面倒見が良くて、人のために怒れる人で、そんな子いたら、私だったらほっとかないのに」

 「な、何馬鹿なこと言ってるのよ⋯⋯」

 彼女の耳は赤くなっていた。少しは私のことを意識してくれただろうかと勝手に期待している自分もいて、心というのは難儀なものだと思った。

 感情だけに振り回されてはいけないと、戦闘術の師匠にも何度も言われているのに、やはりまだまだ鍛錬が足りないなと自分の未熟さに不甲斐ない気持ちで一杯になった。

 もっと強くなりたいと思う。肉体的なものだけではなく、人としてもっと大きい心と、美雪のように理不尽に厳然と戦うような気高さに憧れていた。


 受験期の終盤には集中するためにお互いに合わなくなった。毎日通話しながら、互いの合格を願いながら勉学に大いに励んだ。


 その頃、全力の本気ではないにしろ、マスターとのスパーリングで初めてナイフを奪い、有効打を叩き込むことが出来たのである。

 まぁ、その後は一番弟子である人物にひたすらボコボコにされた。勝てたことで調子に乗り慢心するなということなんだろう。

 より実践的な練習も開始され、道具(マスターがいうには、より強力な攻撃をするために作られた、怪我をさせずに相手を無力化する暗器であるらしい)を使った鍛錬を始めた。彼女のためにしてきた努力が何らかの有用なものとして形になるのは純粋に嬉しかった。

 無事に合格発表の日を迎え、二人揃って合格しているのが見えて、いつも静かな美雪が私の名前を見つけたときに何も言わずに泣き出した時はびっくりした。

 自分のことのように嬉しいと言ってくれたのが、私も本当に嬉しかったし、何より彼女に想ってもらえたことが最上の喜びだった。他に何もいらないとさえ思っていた。

 「良かった⋯⋯本当に嬉しい。ぐすっ、おめでとう、涼ちゃん」

 「いやぁ、そこまで言ってもらっちゃうと、涙って引っ込むもんなんだねぇ」

 「もう、またそんなこと言って揶揄うなんてひどいわ」

 「ごめんごめん。ありがとうね美雪」

 この時がしあわせの頂気だったのかもしれない。美雪の様子がおかしくなり始めたのは私達が入学して半年経った頃だった。

 彼女はまた生徒会委員長になり学校の為にと奔走していたのだが、それが気に食わないグループも当然存在していて、目に余るほどのことを仕掛けてこない限りは自分が介入することもないだろうと考えていた。それが悪手だったのかもしれない。

 ある日、昼休みだったので様子を見に行ったら美雪がいない。クラスメイトに聞いてみても見当がつかないという。学校中を探したら、購買に並んでいたのを見つけた。

 「美雪、こんなところにいた。あれ、今日は、お弁当は?今朝渡したよね」

 答えることなく目の前から走り去ってしまった。この日を境に彼女から避けられるようになってしまったのである。

 一緒に登校する事もなくなったしメッセージを送っても返信すらなくなったし、授業の間に様子を見に行って手を振っても無視される。

 それとは対照的に、美雪はというと例の集団と親しくなっていっているように見えた。だが妙にぎこちないと言う印象がどうしても払拭できなかった。 

 不安を払しょくするために、生徒会メンバーと深雪のクラスメイトの運動部の面々とは親交を深めておいたので、彼女らに美雪がどんな様子なのか調べてもらう協力を仰いだ。

 調査が始まってやっと分かったことは、美雪が脅迫を受けていると言う可能性だった。弁当を作らされていると言う声と、金銭の要求だとしたら教師に密告すれば済むことで可能性としては低い。

 途方に暮れてしまい、彼女が何か言ってくれるのを待っていることしかできなかった。何故なら、無理強いだけはしたくなかったからだ。

 彼女の意思を尊重したいし、守ってあげたいと言うのは先回りして世話をするのとは違うわけで、美雪はそんな甘えを受け入れるような女性ではない。

 その高潔さを私は愛している。だが、何もせずに放置した。


 それは間違いだった。


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