第二階層 嫌われ者が愛した人

「龍真さん、私専属の料理番になっていただけませんか。それならば私の食事を作るのも、もしかして許されるんじゃないかしら!」

 彼女はキラキラした目で俺を見つめてくる。懐かれるのは結構だがここまでとは。

「紫さん、流石にそれはどうだろうか」

 家の使用人に疎まれるだろうと思っていたが、龍真の腕前に舌を巻いたようで、お義母様に内密で調理場への裏口の鍵を手に入れるという思わぬ収穫があった。

「こうやって悪いことをしたのは初めてなの。その相手が貴女でよかったわ」

 まただ、眩しいほどの微笑みを向けてくる。何かが彼女の琴線に触れていることは確かだった。

「紫さん、我々はただの共犯者にすぎません。あまり私に付け入る隙を見せすぎぬ方が身の為。瞬きの合間をついて、私が毒を盛らぬとも限りませんよ?」

「あらそうかしら。龍真さんがあの様な狼藉を働くとはどうしても思えないわ。あんなに美味しくて温もりに溢れた料理を作ることができる方が、悪人の筈がありませんもの」

 他意のないガラス玉のように透き通った「好意」にどう対処すれば良いのか、今の龍真には理解できなかった。たが、悪い気はしなかったという。

「⋯⋯お戯を、買い被りすぎるのは危険です」

 そう返した龍真の耳は赤くなっていた。

 同じ家のもとでの生活を続けていたせいか、不思議と絆は深まっていた。互いを名前で呼び合うほどにまで育まれた協力者としての繋がりは、段々と代え難いものへと変容し始めていた。


 だが、状況は一変する。3代目である意抜噛のゴットマザー、紫の祖母である操(みさお)が危篤状態に陥り、一家が集められた豪邸の中央にある和室にて、往生の直前、遺言状が読み上げられた。


「意抜噛の遺産は、全て序列第一位者、すなわち現在は紫が相続し分配すること。以上」


 3代目は意抜噛を巨大にさせた張本人で、家族に対しても苛烈であり親族からは恨まれていた。その祖母が唯一心を開いていたのは、紫その人であったのだ。

 紛糾し、罵詈雑言の嵐。その中に颯爽と現れた通りすがりの名探偵、 百合塚 周。彼女は祖母が何者かによって殺害された可能性があることを瞬時に見破ってみせた。

 事件解決まで意抜噛邸に留まり続ける百合塚。その中で起きる第二第三の殺人は、意抜噛の闇を照らし出す。祖母が苛烈であったのは、彼女の生きた時代、女性が成り上がるためには、合法非合法問わない商売、堅気でない者達、裏工作に取引、黒い世界に身を置くしかなかったのである。その原動力は家族、親族に自分のように苦労をさせたくないという脅迫概念によるものだったのだ。

 紫は時代の犠牲者であった祖母に哀れみを感じていた。自らの生活があったのも、祖母が血の滲むような思いで生きてきた結果である。

 その終わりが、利己的であったとはいえ、曲がりなりにも守ろうとしていた家族からの裏切りによるもので訪れたと言うのは、何という皮肉であろうか。

「私が、全ての秘密を、意抜噛の行ってきた悪業を吐き出し、この家の罪を清算しなければ」

 紫の中には強い決意が漲っていた。

「困るんだよそんなことされちゃあ!」

「邪魔させるもんですか⋯⋯!」

「遺産は私たちが手に入れてやるってんだよ!」

 百合塚が警察に通報しようとしたその時だった。容疑者全員の怒号を皮切りに、轟音と共にカラクリが作動する。疑り深かった祖母が建築家に作らせた仕掛けが動き出す。

 紫さんの母親は目を伏せて顔を手で覆っていた。

「紫、ごめんなさい⋯⋯」

 分裂した紫と龍真の組、そして百合塚と親族。探偵が大きく息を吸いゆっくりと吐き出して彼女が語り出した事件の真相、それは、虐げられてきた親族全員の仕掛けた復讐であった。

 真相に勘づかれた者達が、隠滅のため百合塚に襲いかかる。だがしかし彼女は、あらゆる事件を導いてきた名探偵が暴力に屈することはない。何と世界一のもう一人の名探偵シャーロック・ホームズが用いた戦闘術「バリツ」の継承者だったのである。


 一網打尽にし手錠をかけた。次は依頼を遂行せねばならない。


 「今のうちに脱出しましょう!ほらこっちよ!」

 百合塚の身を案じながら二人で突き進むと、やっと入り口に辿り着いた。外には百合塚の要請により待機している県警の機動隊が状況で見守っている。

 やっと脱出できると思った矢先、この出入り口から出るには誰か一人残らねばならないという衝撃の事実が告げられる。紫が最後の一人として残ると言うのだ。母親だけが必死になって止めようとするが、意志が揺らぐことはない。なんという気高い自己犠牲の心であろうか。

 「龍真さん、後は頼みましたよ」

 これから死ぬって言うのに、そんなふうに優しく笑うのか。

「⋯⋯嫌だね」

 呆気に取られている紫を突き飛ばすと、自分は降りてきた防弾ガラスの扉の内側に入り込み、こちらを見つめながら佇んでいた。秘密を封じ込めようと機構が動き出す。侵入できたとして、その強奪したモノを持ち帰ることなど出来にようにと拵えさせた死に誘う仕掛け。少しづつ空気が抜けて行き、いずれは真空の空間を作り出すようだ。

「紫を愛する者よ、貴様の心に秘めた真実を述べるがよい」

 操氏の朗々たる声が、館全体に響き渡る。


「俺は、アンタが好きだ。使用人でも礼節を持って親しく接するところが好きだ。飯をうまそうに食うところが好きだ。そういや料理を美味いと言ってくれたのは紫さんが初めてだったかもしれねぇ」

「生ぬるい幸せってもんに浸かりすぎちまったせいだろうな。もっと欲しい、この幸せをこの先も得たいなんて分不相応なものを強請だった報いなんだよ」


「あぁ、クソ、喋りすぎて頭が回らねぇ⋯⋯紫さん、俺は、確かにアンタを利用してやろうとしか思っていなかった、でも今はそうじゃ、ない⋯⋯俺は、アンタを、心から愛してる。紫さん、貴女と出会えて、良か、った⋯⋯」


 その後の顛末はこうだ。

 見事、今回も殺人事件の犯人を全員を見つけ出し、解決へと向かわせた。龍真は、すんでのところで百合塚がカラクリを停止させ扉が開き一命を取り留めた。

 百合塚は真犯人達を確実に炙り出すために二人を利用したことを詫びた。

 実は今回の依頼は、生前、祖母の操からのもので「唯一、心意気を引き継いでいるあの子だけは守ってほしい」と言ったものだった。

 しかしながら、紫も龍真も、名探偵を恨むことはなかった。

「紫さんのお婆様の無念を晴らせたんだ、それでおあいこだな探偵さん」

「龍真さんと、一緒に生きる道を作っていただきました。本当にありがとうございます」

 この意抜噛 操 殺人事件は大々的に報道され、意抜噛グループは一族が経営から退き、相談役になったようだ。紫の母親はお抱えの弁護士団によって無罪を勝ち取り、彼女の代わりに次期社長に収まる予定だと先日の記者会見で発表された。

 

龍真と紫は、事件の後に二人揃って「家」から独立し、都心から少し離れた郊外で、小さい洋食店をオープンさせた。店名は「陽だまりの家」だという。

 口コミで広がり予約の取れない名店として、テレビの取材を受けるほどの店になるのはまた別のお話。その店には、とある名探偵が出資しており、一番人気のカツレツを食べにやって来るとか。そして二人はいつまでも幸せに暮らしました、とさ⋯⋯。


────


「ふぅーん、百合塚くんこんなつまらない悪戯じゃあ、やはり本気になってくれなかったか。いやぁ、ふふふ、やっぱりそうでなきゃ。ホームズにはモリアーティ、明智小五郎には怪人二十面相のように、宿命のライバルが居るってことだよ」


「百合塚くんにそろそろご挨拶でもしようかな。僕が帰ってきたってね」

 稀代の建築家である恋人の、紀行茜が薄く笑う。

「あの時の続きをしようってね」

「楽しそうね⋯⋯」

 怪人はニンマリと笑う。

「君が隣にいれば尚更さ」

「ふふ⋯⋯

「あぁ、今の完璧な彼女との勝負は、この先も最高の趣味になりそうだ⋯⋯」



 遠くない未来、白い怪人と名探偵は激突し百合塚くんが勝利するのだが、それを語るのは「僕」の役目ではないと言っておこう。では失礼するよ────


 終


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