御祟神体行き三番口


 これは、私、天才建築家の不幸な人生における、最初で最後の救いの話。私は物心がついた時から、人には見えないものが見えていた。女というものが虐げられた時代、こんなことを言えば生きていけなかった。そして、私は女性が好きだった。


 両親は医者で教育水準も高く、大学までそこまでの苦労もなく進むことができた。建築を志したのは高校生からだった。親に決められた名門の建築学科を卒業し設計会社を立ち上げた。私が親からの強引なお願いで請け負った、大病院の令嬢の家のデザインが気に入られ表彰。

 一躍有名人になった。舞い込んでくるのはやりがいの無いものばかりだった。この頃だ。婚約者を決められたのは。両親は私が女性にしか好意を持てないことが理解できなかったのだろう。仕事と家族からのストレスでどうにかなると思った私は、アトリエの近辺にある神社に立ち寄った。


かいな神社」という聞いたことのない名だった。


 お賽銭をし一周ぐるっと回って神主にお話を伺った。祀ってあるのはこの辺りでカイナ様と呼ばれる珍しい狐の女性神だという。カイナ様にはそれは美しい女性を連れ添っており妻としていた。決して豊かではなかったが、二人は慎ましやかに、そして仲睦まじく暮らしていた。

 だがその幸せな生活は終わりを迎えた。カイナ様が里に降りて一週間ほど家を空けていた間に、美しい妻を連れているカイナ様を妬んでいたとある村の役人が、妻の女はこの山に災いを招く悪い狐憑きだと言いふらして回り、真に受けた村人に殺されてしまったのである。

 怒り狂ったカイナ様は三日三晩暴れ回り、天変地異を引き起こした。その怒りを沈めるため、この神社が建立されたという。

 今までに聞いたことがない逸話だったが、その物語を聞き、心が痛んだ。カイナ様の怒りがどれほどのものだったのかと、妻の女性の苦しみを想像すると、悲しみと怒りで、涙が頬を伝った。

 取材を終え帰宅しようと社を見上げると、この局面で見えてはいけないものを視認してしまった。

「あの話聞いて泣いた奴なんて初めてだ。お前さん、良い心を持っているな」

 屋根に人がいた。その人物からの声がはっきり聞こえてきた。

「ほう、お前も俺のように女を愛するのか、なるほど」

 不味い、見えてしまった。

「安い同情が癪に触ったのなら謝りますから許して⋯⋯」

 屋根から飛び降りたであろう着地音。そして笑い声がする。

「ははは、別に食いやしないさ。俺が怒りを向けてたのは阿呆どもだけだから安心しな」

「えっ⋯⋯」

「驚く事じゃないだろ。俺はあんたみたいな心が別嬪な女は食わんよ」

「いえ、そんなことは⋯⋯」

「嫁さんの為にも泣いてくれただろ、そんなのあんたが初めてだった。本当に、ありがとうな」

 頭を撫でられた。畏怖より先に大きな手の暖かさを感じた。その日以来、私は「カイナ様」に気に入られてしまったようで、神社に立ち寄るたびに話しかけてくるようになった。

 初めこそ鬱陶しいと思ってはいたが、日々の愚痴やたわいのない雑談までするようになる。あの暗黒の時代に、私のありのままを否定せずそれどころか肯定し、全てを受け入れてくれたのは、人ならざる彼女たった一人だけだったのだから。

 彼女はただ私の話に耳を傾けてくれる。相槌を打ちながらただ聞いているだけ。大袈裟に否定も肯定もしない。それがどんなに私の心を潤してくれたか。いつの間にか彼女が心の拠り所となっていた。


 私はその頃から、あの社のそばに終の住処を作ろうと決意した。


 あらゆるものを投じてついに建設した。そして家の和室に御神体を安置した。いつでも、彼女を感じることができた。ただそばに居られればそれで良かった。

 あの逸話のように現実は襲いかかってくる。私には立て続けに金銭の違法な要求や作品の権利侵害、おまけに婚約を断ってから付きまとうようになったストーカーの度がすぎる脅迫、さらには両親からの結婚の圧力に晒されたせいで、精神は限界を迎えていた。

 この密かな幸福さえ、私が自分に対して正直でいられるカイナさんとの時間さえ、力ずくで奪おうとあらゆる不幸がやってきた。私は心からの救済を乞うた。自分がありのままに生きることを認めない人間を消し去って欲しいと願ってしまった。


 私は束の間の平穏を手に入れた。


 お前のそんな願いは不相応だというが如く、その程度の幸福すら叶わなかった。急に家に訪ねてきたストーカーに、逃げようとした背中から包丁で刺された。

 滅多刺しだったと思う。途中で背中の重さが無くなった。奴の上半身が消し飛んでいた。

「美奈子!そんな⋯⋯こんなことが何故起きるんだ、俺の時代から何年経ったと思ってる⋯⋯ッ!」

 最後の力を振りしばって、唯一の理解者に、最愛の人の元へ行く。力なく彼女の御神体に抱きつく。

「い、いの⋯⋯カ、イナさ⋯⋯んといら、れただ、け、で⋯⋯もう、いい、の⋯⋯」

「俺は守れなかったのか、また⋯⋯」

「冥婚、しましょう」

「⋯⋯あぁ、浄土の妻が証人になってくれる筈だ。天上の妻よ、すまないな。俺は浄土に行けはしないだろから会えはしないだろうが見守っていてくれ」

 女性は私の手を握ってくれた。この人の事、頼みますね。頭の中で響いた。


 ────意識が戻った。


 これを読んでいる方がいるということは私はもう死んでいるのでしょう。世間には狂気の建築家と映っているとは思っていますが、それは違います。

 彼女は私のことを否定しない初めての存在でした。不器用ではありますが、私のことを尊重し、愛してくれたのです。私はどんな形であれあの方の役に立ちたかったのです。それほど心惹かれたのはある出来事がきっかけでした。

 大工は私の盗撮写真をネタに金を要求してきました。地元の議員は出資する代わりに今までの全ての作品の権利譲渡を迫ってきました。親によって勝手に決まった婚約者は、結婚してくれなければ殺すと言ってきました。そのような、私を害するものを彼女は殺してくれたんです。やってもらったことに報いたくなったのです。

 純粋に誰かを想うということが、こんなに愛おしいなんて知らなかった。この遺書を読んだあなただけはおぼえていて欲しい。怪異に惚れてしまった、物好きがいたことを。

 あぁ、やはり死ぬのは嫌だ、あなたを感じながら死にたかった。私は、この世界が嫌いだ。いっそ、全て壊れてしまえばいいのに。


 手紙はここで終わっていた。涙だろうか、文字が一部ふやけていた。

 違う。本当は、彼女も世界から愛されたかったんだ。だが、油断していた。真後ろに何かがいるのが本能で理解できた。死ってこんなに近くにあるものなんだ、とやけに冷静な自分がいた。

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