第3-8話

 勿論、哨兵達からして見れば突然の魔物の襲来でパニックである。

 その上、小さく、素早く、更には病原菌の温床とも知られている鼠が数え切れない程、現れたのだ。

 兵士達は咄嗟に臨戦態勢を取り、迎撃しようとするものの、陽炎、稲妻、水の月のように翻弄されていた。


「くそ!全然、当たらねぇ!」

「気を付けろ!嚙まれると鼠咬症になるぞ!」

「離れてろ!弾丸バレットの連弾でぶっ飛ばしてやる!」


 魔術師の一人がそう言うと杖を前方に掲げ、呪文を唱えようとする。

 だが、そんな彼の足元を何匹もの鼠が通り抜ける。当然、集中して魔素を練る事など出来る筈もなかった。


「お、おい!誰か呪文唱えるまで守ってくれ!」

「こっちも手一杯なんだよ!自分でなんとかしてくれ!」


 弓兵達も足元に来た素早い鼠を避けるか、もしくは剣で払い斬るかの対応に追われていた。魔術師の願い虚しく、結局、呪文は諦め、杖を棍棒の様に振るうしかなかった。

 しかし、次第に周囲は黒い靄が掛かったように視界が悪くなり、その鼠の姿を捉える事すら難しくなっていく。


 誰かが畑の火をさっさと消せと怒張した声音で叫ぶ。女性的な声であったが、兵士達にとって今更そんな事などどうでも良い。女性が入隊していても不思議ではない。


 ただ誰かが発したその言葉に、小火の黒煙がこちらに流れているだと周囲の兵士達が気付くのは、そう難しい事ではなかった。農耕地の見張り共は何をやっているのだと彼らは怒りを覚えた。


 だがその時、大きな音で打ち鳴らされた耳をつんざく様な警鐘に、まずは目の前の状況を打開する術を見つけなければならないと兵士達は再確認する。

 このまま大勢の鼠達を街の中に入れてしまえば、街はパニックに陥るだろう。

 この混沌とした状況をこれ以上悪化させない為にも、城壁という最終防衛ラインでなんとか押し返すしかないのだ。


 幸い、深黒の鼠共は逃げ惑うように不規則な動きをするだけで、高い城壁を飛び降りようとはしない。

 攻撃性は低いと判断したのか、リーダー格の一人が声高にこう叫ぶ。


「一つ一つ冷静に潰していけ!魔術師は集中を切らすな!こいつらの攻撃性は低い!」



 リーダー格の声に呼応するかの様に、兵士達の士気が高まる。一時は混乱に見舞われたが、やはり城郭都市の守りを預かる精鋭達だ。鼠の姿が城壁から消えるのはそう遠くない未来だろう。






 警鐘鳴り響く、その数刻前。


 アリッサとリリーは未だ城壁の下にいた。

 アリッサは椅子の座面に足を乗せ、背もたれに腰かけるという大変行儀が悪い態勢を取っている。彼女の左手の五指はうねうねと不規則な動きを取っており、傍目から見れば手招きしているようにも見える。

 だがそれがアリッサ自身で生み出した鼠形のデコイを操作しているという事は、その場にいるリリーでさえ判らなかった。


 そして器用な事にアリッサは左手で魔術を使用しながらも、右手で大きく弧を描く様に上方へ一度振り、新たに別の魔術を発動する。


 発動した魔術は『暗所に紛れる魔術』。

 ただし、その対象者はアリッサやリリーではない。

 南西側の城壁の上部を、まるで調整して、発動したのだ。


「それではリリー、手筈通りにお願いね」


「はい、承知致しました」


 リリーは事前にアリッサから伝えられた指令を全うすべく、城壁を駆け上がる様にして昇る。そして鋸壁きょへきに身を隠しながら、こう叫んだ。


「おい!!畑の火をさっさと消せ!!」


 普段のリリーから想像できないような怒気を孕んだ口調で、周囲の人間に農耕地で起こった小火の存在を再認識させる。

 彼らの様子をアリッサ達からは窺い知る事は出来ないが、まず彼女達の企みは成功と言えよう。


 怒りなどのマイナス感情はこういった有事の際は特に増長しやすく、そして飛語は操作しやすい。

 アリッサは『暗所に紛れる魔術』で発生した黒い靄を、小火の黒煙だと誤認識させたのだ。



 リリーが大声を上げた事をアリッサが城壁の下で確認し、その後、右拳を勢い良く真上に突き上げる。するとアリッサが乗っている深黒の椅子の脚部が、天を衝く勢いで伸びた。


 急激な重力加速度にアリッサは姿勢を保持するだけで精一杯であったが、なんとか右手を伸ばしてリリーをキャッチし、胸元に引き寄せる。瞬間、椅子の急成長が急停止し、慣性の法則に従って、彼女達は天高く宙に投げ出された。

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