第2-6話

 キー!!



「!!」


 すると猿の一匹が突然、目の前に降ってきた。弱った所を見てとうとう直接、攻撃に移ったかとクレイズは身を強張らせるも、地面に着地した猿の様子がおかしい事に気が付く。


 よくよく見てみると、その猿は着地というよりも落下という表現が適切であったのだった。何故ならば四肢が黒い手枷で団子状に縛られ、身動き出来ずにいたからである。



「!? な、なに!?」


 クレイズの頭には疑問符で埋め尽くされるが、これをじっくり観察している暇はない。

 だがしかし、その一方で金属鎧ではないとはいえ、革鎧と剣、盾を身に着けた、自分の身長より高い男を運び続けるのは困難でもある。


ウォールウォール!」


 クレイズは二回、壁の魔術を発動する。進行方向の逃げ道を小さく残して、それ以外を壁で塞いだのだ。

 二度、張られた壁は初めに大きく展開した壁を含めて、俯瞰して見ると三角形の形に見える。

 壁を上に行く程、内側に傾く様に生成する事によって、天井を塞ぎ、逃げ道だけを残して、効率良く二回の魔術発動で簡易的なシェルターを作る事に成功した。


 ただし、そのシェルター内は相当分に狭く、身動きも充分に取る事が出来ない。だが、今は安全を確保した上でクレイトンの手当てを優先しようと考えたのだ。


「あれ…?」


 クレイズがクレイトンの後頭部の出血点を確認しようとする。

 しかし、後頭部には既に黒い膜のような物が貼られており、これ以上の出血を阻止しているかのようだった。

 先刻から不可思議な現象が続いているが、ならまずはと彼女は止血を中止する。

 クレイズは手早く、中指程の大きさの硝子瓶で包まれた体力薬ライフポーションを取り出し、栓を開ける。

 その後、薬瓶を同時に取り出した鉄製のシリンジにセットする。そして、左手の静脈に穿刺し、注射した。


「いっ!!ね、ねえちゃ…」


「! 動かないで!」


 体力薬が刺激となったのか、クレイトンが目を覚ました。

 するとその弟の目覚めとほぼ同時に、何故だか止んでいたと思っていた猿の鳴き声が、また活性化され始めた。

 壁をドンドンと何かで打ち付けるような音も聞こえる。木の実や投石程度でこの壁を壊す事は無理だろうが、唯一残した出口に猿達が気が付けば、状況は更に悪くなってしまう。


「大丈夫か…?姉ちゃん…」


「それはこっちの台詞だし!あんたの方がよっぽど重症だよ!」


 目を開ける弟を見て張りつめていた緊張の糸が緩んだのか、クレイズは少し涙目になりながらもこれをなんとか堪える。

 そして、鼻をすすりながら、本当に大丈夫?と弟に聞いた。


「当たり前じゃん…」


「全然、大丈夫じゃなさそう…」


 クレイトンはおもむろにウエストポーチに手をやり、中をまさぐる。

 少し動くだけでも苦悶の表情を浮かべる弟を見て、クレイズが代わりに探そうとするも、当の本人はもう目当ての物を見つけた様子だ。その右手には小指程の長さ、そして太さの薬瓶が握られていた。


気付け薬エナジーポーション…?」


「ああ...。割れてなくて良かったぜ」


「気を付けてね?毒性が高いから…」


「背に腹は代えられねぇよ」


 姉の警告を無視してクレイトンは気付け薬エナジーポーションの栓を開け、中に入っている粉末を鼻から一度に吸いこんで接種する。



 体力薬ライフポーション魔素薬マナポーションは血液を生成する組織、骨髄を刺激して作用するのに対し、気付け薬エナジーポーションは脳に直接作用して、短期的な集中力と覚醒感。視聴覚の過敏性。そして鎮痛作用を得る事を目的としている。

 従って|気付け薬の場合は静脈注射による薬品接種よりも、脳に近い場所にある鼻腔内の粘膜から接種する方が最も効率的なのである。


 だがしかし、劇薬にはそれなりの代償が伴う。


 体力薬ライフポーションや、魔素薬マナポーションでさえ、連続投与は推奨されておらず、これを破ると脈拍異常や血圧低下等の副作用が挙げられる。


 気付け薬エナジーポーションは更に重篤な症状を引き起こす可能性が高く、嗅覚障害や依存症、中毒症状、光過敏症、精神病等、枚挙に暇がない。

 しかしながら冒険者の間でこういった劇薬が一般的とされているのは、それだけこの冒険者家業というものが危険と隣り合わせで、かつ、この劇薬を使わなければ乗り切れない場面があるほど厳しい世界だという事が窺い知れる。


 なので使用する機会は慎重に選ばなくてはならず、そして、クレイトンはそれを今が使い時と捉えていた。


 彼は気付け薬エナジーポーションを摂取した後、目を閉じて大きく深呼吸する。その深い呼吸を二、三度繰り返し、最後に目をすっとゆっくり開く。

 クレイトンの瞳孔は既に散大した状態になっており、この瞳のサインが覚醒状態の指標と言われている。


「姉ちゃん、俺、もう大丈夫だから」


「ほんとに?」


「姉ちゃんは?怪我してない?」


「う、うん」


 クレイトンはクレイズの肩を借りながら起き上がる。確かに先程のふらふらとした姿からは想像出来ない程の回復だ。

 一方でクレイズはその回復を気付け薬エナジーポーションのお陰だという事もあり、言いようがない胸騒ぎを覚えていた。


(これ以上、クレイトンに寿命の前借りみたいな真似させられない…!)


 クレイズも決意を新たにし、改めて作戦をクレイトンに伝える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る