第2-5話

 クレイズは焦燥感と緊張感に襲われていた。


 カワードジャングルエイプという小型のエイプ種の群れに奇襲を受けていたからというのが理由の一つでもあるが、それとは別に彼女の心を乱す原因があった。


 それは主に索敵を行っていたクレイズの索敵範囲外から突然、一斉に投擲物が飛来して、その一つが弟の頭部を直撃したからだ。


 皮膚を切ったのかクレイトンの後頭部から髪に紛れて多量に出血しているのが彼女から見える。

 気を失わなかったのが不幸中の幸いではあるが、ダメージが深刻なのか彼の動きにいつものキレがないとクレイズは感じた。なんにせよこのまま何も手当てしない状態が続くと、出血多量で命が危ぶまれるだろう。


「ねえ!もう無理しないで逃げよう!?」


 クレイズがクレイトンに大声で呼びかける。あ、ああ、とクレイトンは虚ろに応える。

 彼のその姿を見て、クレイズは思う。しまった、クレイトンはもう冷静な判断ができない状態だ、と。


(あの時、魔の滝口トーテムなんか出さずに、さっさと逃げればよかった…!いや、今は後悔より行動!)


 彼女はウエストポーチから青いピルケースを取り出す。そのピルケースの小さな口を開いて振ると、中から青い錠剤を二個出てくる。魔素薬マナポーションだ。


「にが…!」


 彼女はそれを飲み込むと、退路に向かって杖を掲げ、呪文を唱えた。


ウォール!!」


 すると、一枚の薄く、そして身の丈より倍程ある土壁が、退路へずっと続くようにクレイズの呪文と共に地面からせり上がってきた。


「っ、はぁっ…!」


 クレイズは土壁の魔術を発動させた途端、眩暈で立ち眩みを起こし、つい杖で身体を支える。

 魔素薬マナポーションを事前に接種したとて、そこまで強い即効性があるわけではない。彼女が気を失わずに立っていられるのも、弟を守らなければという強靭な精神力と日頃の魔素管理の賜物だ。


「ほら…!逃げるよ!!ちゃんと立って!!」


 クレイズは膝を付いて息絶え絶えになっている弟に発破をかける。そして彼の腕を引っ張るように無理やり身体を起こし、土壁を右にして走り始めた。


 一枚だけとはいえ、ほぼ全方位から狙われていた先程までの状況とは違い、今は退路までしっかり右手側に壁が守ってくれている。

 逆に言えば猿達はそれ以外の角度から攻撃してくるはずだが、。これを機にと姉弟は逃走を進める。



「ね、姉ちゃん…。俺、もう…」


「気弱な事言わないで!大丈夫だから!あともう少しだよ!」


 クレイズはクレイトンに肩を貸しながら必死に励ます。クレイトンの左肩に回したクレイズの左腕に彼の血が滴って、弟の出血の深刻さを再認識させられた。


 するとクレイトンの足が脱力したかのように膝抜けした。ふいに左側にかかる重量が増えた事によって、バランスが崩れるクレイズ。


 寸でのところで土壁に凭れ掛かるように背を預ける事で、なんとか地面に倒れずに済んだ。だが、どうやらクレイトンはついに気を失ってしまったようだ。

 そのままずるずると力なく地面まで、臀部をくっ付けるようにしてしゃがみ込む姉弟。クレイズの気力も、限界を迎えようとしていた。

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