第1話 魔女 アリッサ

 聖法暦一九六三年。梯梧でいごの月。



「ご主人様ー、そちらはいかがでしょうかー?」



 寂れた家のリビングで可憐な女性の声が響き渡る。


 随分、長い間人の手入れがなかったのか、その室内は雑貨類や食器の類、果てはスツールやチェスト等の家具までもが乱雑に放り出されている。

 しかし、その散らかり具合とは反比例に食べ物や金目の物がない。過去に物盗りが入っていたのだと容易に推測できた。



先程の声の主はというと背の高い本棚の上段やリビング内を何かを探している様であった。


 彼女について印象的なところと言えば、不可思議な力で宙に浮き、自由に動いているという事だろう。


ただそれとは更に特徴的なのが、その姿型が可愛らしい四十センチ程度の人形だという事だ。

 まるで幼い少女がおままごとで使うような人形で、フリルの付いた衣装を身に纏っているのが印象的だ。


 「いかがってリリー、貴女ね…。貴女こそそんな俯瞰視点で貴女の腕を直す為の糸なんて小さい物、見つけられると思う?」


 ご主人様と呼ばれた背丈の低い少女が別の部屋から姿を現した。


 魔導士のような薄汚れたローブを羽織った彼女、アリッサは片手に木製の小箱を抱えて人形の元へと歩いていく。

 そして、真面目に探しなさいよね、と呟きながら隣に座った。



「苦労かけて申し訳ございません…、ただ片手じゃ物探すのも難しくって…」


「全く…。ゴブリンなんかにいちいち自分を盾にしないでいいわよ」


「いえ、そういうわけには。それにご主人様は自分の身を粗末にする節がございますので」


 アリッサは小さな声でまだぶつぶつと文句を垂れているが、リリーはそれに関しては関知しない。


 しかし、よく見れば確かに人形の左肩の付け根が解れ、リリーが動く度にぐらぐらと振り子のように左腕が揺れている。


 最早、いつ外れてもおかしくない状況であった。



 対して光の加減で紫とも黒とも言える綺麗なストレートの長髪をしているアリッサは気にせずに小箱の中を物色し始めている。

 だが、小さな木箱の中を探るのにはそう時間を要さなかったのか、程なくして彼女は手を止め、一つ、ふーと息を吐くように溜息を溢した。



「ない。この家、男の一人暮らしだったのかしら。糸も針もありはしないわよ」


「そうですか…。隣の家行きます?」


「そうするしかないわね」


 言うが早いがアリッサはすくっと立ち上がり、出口の方へスタスタと歩き出す。


 彼女の進行方向に椅子やテーブル、そして等、様々な障害物が散見するも、アリッサはお構いなしにと言うように眼前で左手を横に払う仕草をする。


 すると、その仕草に呼応するかのように木の床の表面が黒く波打つように揺れて、みるみる間にそれらの障害物が全て波打ち際に流れ着く漂流物が如く片付けられた。


 もしその場に居合わせたのならば、その超常的な現象に驚きのあまりつい目を疑ってしまう光景だったであろう。


 しかし、アリッサも、そして宙に浮かぶ人形のリリーも冷静さを崩す事なく、そのまま民家を後にする。

 それは彼女らにとって、この光景が当たり前の日常だと言う事を意味していた。


「ん…」


「大丈夫ですか?」


「ええ。ただこの日差しが鬱陶しいわね…。早く家の中に入りましょう」


 家のドアを開け、不意に目を突き刺す陽光に、アリッサはその天気とは裏腹に陰鬱とした気分になる。


 アリッサ達が住んでいるこの星、ステェーバは善神と悪神という二柱の神々が二つの世界昼と夜をそれぞれ管轄している。

 善神が昼、悪神が夜を各々の支配する眷属に持ち回らせており、アリッサは悪神の眷属である『魔女』いう種族の為、日光に対して忌避感を持つ。


 ただし、陽の光を浴びたからといって痛みを感じる等、そういった強い悪状態バッドステータスに陥るわけではなく、ただなんとなく陽光を嫌い、逆に暗がりを好むというだけである。


 現在の正確な時刻は分からないが、太陽の位置から察するに正午を三時間程過ぎた辺りだろうか。


 日は角度が付き始めたとはいえ、まだまだ上に位置している。アリッサ達がいるこの集落跡は森の中を一部、拓いた場所に作られていた為に、あと一、二時間もすれば周りの木々に阻まれて、鬱陶しい陽の光など目に入らなくなるだろう。



 そんな事を考えながらアリッサは舗装されていない地面を歩いて隣の民家へ向かう。

 リリーの腕の素材収集の為に立ち寄ったこの集落跡であったが、荒れ具合から察するに人が去ってから決して短くない月日が経っているのであろう。


 樹海の中に隠れ潜むようにして存在するこの集落跡だが、今ではすっかり獣の類や魔素を持つ動物、所謂いわゆる魔物と呼ばれる悪神の眷属らの住処すみかとなっているようであった。

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