第4話 事件簿『真夜中の人形劇』・二

 車の窓越しに眺める都会の街並みは、いつもと変わらない、至極平和なものだった。怪異なんてものが実在するなんてことが信じられないくらいに、何の存在も感じない。


「勉強は終わりかい、志田助手」

「ちょっと休憩してただけですぅ」


 手元にあるノートには、びっしりと、端から端まで文字が綴られている。荒切さんが合間合間に作ってくれた、『怪異・怪物に関する基礎知識』のノートだ。


 浅見さんの依頼を受けた私たちは、3日後、彼女のもとを訪ねることにした。しかし、彼女の家までは車で片道3時間半。その間、何もしていないのは勿体無いだろうと、荒切さんがせっせこせっせこと教材を作ってくれたのだ。


 これを読めば怪異の全てが分かる……とまでは言わないけれど、少なくとも、何の知識もない今よりはマシになるだろう。


「でも……よく分かんないですね、怪異って」

「何が?」


 運転をしながら、荒切さんは一瞬、こちらに視線を向けた。念の為に取っておいた自動車免許がこんなところで役に立つとは思わなかった。


「この……『行動本能』ってやつですか? 怪異の元となった『澱み』によって、怪異が獲得する本能は異なるっていうのがよく分かんないです」


 赤ペンでノートをペシペシと叩きながら言うと、荒切さんは小さな声で唸った。他に分かりやすい表現を探しているようだ。


「言い換えれば、怪異の『欲望』ってことさ。人間たちの澱みが元となって産まれた怪異は、その澱みの影響を強く受ける。強すぎる承認欲求だとか、過度な物欲だとか……それが怪異の『行動本能』として現れるんだ」

「具体的には?」

「ふむ……今言った、過度な物欲から産まれた怪異とはよく遭遇するんだ。人間の澱み……人間そのものの『欲望』としては単純なものだからね。まあ、奴らの行動本能はとてもシンプルなものだよ。ありとあらゆるものを欲しがるから、奪っていくんだ。目についたもの全てをね」


 あの日——初めて荒切さんと出会ったあの日も、どうやらそのタイプの怪異を祓った帰りだったらしい。『何かを欲する』という欲望は最もありふれたものだそうだ。


 まあ、言われてみれば確かに……私たち人間が抱いている欲望の中で、単純且つ割合が大きなものと言えば、物欲だろう。金なり物なり、人は常に何かしらを欲しがっているものだ。


「じゃあ……夜中に徘徊する人形の行動本能って、何なんでしょう?」


 ふと疑問に思い、荒切さんに問いかける。彼は真っ直ぐと前を見つめたまま、ほんの少し首を傾げた。


「……さあ、何だろう。志田助手は何だと思う?」

「えっと……徘徊っていうくらいですし、何かを探してるのかも。物か、人……」


 『徘徊』というのも、あくまで浅見さんからそういう風に聞いているだけで、実際のところどのような動きをするのかは分からない。ただ、パッと考えて思いつくのはこの辺りだ。


 荒切さんは満足げに頷き、ちらりとこちらを見た。


「良い考えだ。まあ、実際は現場を見てみないことには分からないが……それより、志田助手」

「はい?」


 ノートを閉じ、荒切さんの方を見る。彼は何やら、フロントガラスの向こう側を指差していた。


 そこには何もない。ただの交差点と、そこを行き交う人たち。あるのはそれくらいのものだ。それ以外には『何も』見えない。ただ、平和な街並みが広がっているだけだった。


「怪異は、見えないか?」


 見えない。何も。荒切さんは何やら有名な陰陽師の子孫だとかで、怪異を見ることのできる特別な目を持っているとのことだったけれど……そんな彼の肉体に入った今の私には、そんなものを見る能力はない。


「……うーん、やっぱり見えませんね。澱みとかそういうのすら見えないです。荒切さんの予想が当たってたんじゃないですか?」


 荒切さんは言っていた。怪異だとか、怪異に変化する前の澱みは、色のついたモヤのように見えると。そして、怪異はともかく、澱みは当たり前のようにその辺りを漂っているものだと。


 それが何も見えない。とすれば、彼の持っていた特別な目は失われたと考えるべきだ。


 肉体が入れ替わってしまった後、彼は言っていた。こういう特別な能力は『魂』と『肉体』、そのどちらにも宿るものだと。だから、怪異を見ることのできる『目』と、怪異を祓うための道具を作る力は、私たちの肉体が入れ替わった時点で失われた……正確には、『発動しなくなった』かもしれないと。


「『魂と肉体の不一致』か……厄介だな」

「ですね。見えないのはもちろん、祓うための道具がほとんど機能しなくなりますからね。お札くらいでは?」


 ヘッドレストに掛けてあった鞄から、小さな包みを取り出す。その中には、あの時私の中の怪異を祓うたまに使ったお札が入っていた。


 どうやらこのお札、全部荒切さんの手書きだそうで。達筆すぎてなんと書いてあるかは読めないけれど、このお札に関しては『誰が使っても効果がある』らしい。怪異に悩まされている人に、時々こっそり手渡したりするみたいだ。


 そして、事務所には他にも怪異を祓うための道具が色々と用意されていたものの……それらはお札とは違って、荒切さんが使わなければ効果を発揮しない。つまり、今の私たちでは意味がない可能性が高い。


「この間大量に作っておいて良かったよ。それが無くなれば、本格的に終わりってことだが」

「そうですね。元の体に戻るために、怪物を祓わないといけませんし……あまり、無駄遣いはできませんね」


 少し、暗い空気が流れる。苦手な空気だ。何か気が紛れるようにと、携帯を車に繋いで、プレイリストから音楽を流す。今流行りのアイドルの歌だ。


 ちゃららたりら、と、軽快な音が鳴った途端に、運転する荒切さんが顔を顰めた。


「おいおい、志田助手。一応は探偵なんだからもう少し渋い曲をだな……」

「いいじゃないですか。そんなこと言ってるから老化が加速するんですよ。この体、本当にやばいですよ」

「……そんなに?」


 今度は、違う意味で顔を顰めた。


「もっと流行りのもの取り入れていかないと。この体、元に戻るまでに健康にしておくんで、感謝してくださいね」

「くっ……何とも言い返せないことを言う助手め……」


 思わず笑って、渋い声で鼻歌を歌う。元の体に戻ったら、まずはカラオケに行こうと密かに心に決めた。





——そうして、気づけば荒切さんも交えての車内カラオケ大会が開催されてから3時間半後。ようやく、私たちは依頼者である浅見さん宅に到着した。


 まるで、お屋敷だ。地主か何かと思うくらいに大きな邸宅だ。『自宅の蔵』にある『先祖代々受け継がれてきた』『日本人形』なんて話を聞いた時点で予想はしていたものの、やはり、大きい。



「遠路はるばる、ようこそお越しいただきました、荒切先生、志田さん」

「どうも、こんにちは。早速で申し訳ないですが、中を見させてもらっても?」

「ええ、どうぞ。こちらです」



 出迎えたくれた浅見さんに続いて、足を踏み入れる。これが、『荒切玲』になってしまった私の、初めての怪異探偵としての仕事となる。

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怪異探偵『荒切玲』 お茶漬け @shiona99

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