第3話 事件簿『真夜中の人形劇』・一

 ひび割れた狭い階段を、大きな段ボール箱を抱えて、何度も往復する。それほど暑い時期ではなくて良かった。真夏にこんなことをすれば、多分、干からびて死んでいたと思う。


「ふっ……はっ……」


 足腰が痛い。あと、肩も痛い。ほんのりと頭も痛い。なんなんだ、この体。あまりにも不調が過ぎる。


「というか……」


 段ボールを床に置き、壁に手をついて息を整える。


「荒切さんも少しは運んでくださいよっ! 何をコーヒー飲んで寛いでるんですかっ!」

「ん?」


 事務所のソファで寛ぎながら、優雅にコーヒーを飲む荒切さん。手伝う気配など、一切ない。


「何を言うか。昨日、志田助手が『私の体で重いものとか運ばないでください! 爪が割れたらどうするんですか!』と言ったんじゃないか」

「ぬぐっ……」


 確かに、言った。資料の整理をしている荒切さんに向かって。図星を突かれ、何も言い返せない。


 しかも物真似が下手だ。私の体と私の声そのもののはずなのに、私本人の物真似が下手だ。寄せる気配すら見せない。


「わ、私が悪かったですよ……ちょっと、軽いものだけでも……」


 『持ってください』。そう言おうとして、階下から響く足音に気がつく。どうやら、ここの階段を登ってきているらしい。


 このビルの2階には何やら設備関係の部屋があるだけで、実質的な施設は3階、つまりこの事務所から上だけ。5階まであるものの、4階には現在私が住んでいて、5階は空き部屋。故に、このビルにやってきた時点で、目的は探偵事務所だ。


「あらぎ……んんっ。志田助手、お客が来たみたいだよ」

「ははっ。相変わらず下手な物真似だ」

「荒切さんに言われたくないんですけど!」


 そうこう言っているうちに、足音は2階から3階へ。現れたのは、長い黒髪の似合う、30代前半くらいのお姉さんだった。


 彼女は事務所の前で休む私の姿を認めると、小さく頭を下げる。私もまた、それに倣って頭を下げた。


「あの……怪異探偵の荒切玲さん……ですか?」

「ええ。ご依頼ですか」

「はい、その……チラシを見て、相談したいことが……」


 彼女が持っていたのは、あのよく分からないイラストの描かれたチラシだった。あのチラシ、効果があったのか。意外だ。


「どうぞ、中へ」

「は、はい……」


 先に事務所の中へ入ると、追いかけるように、彼女もやってきた。背中には何やら痛い視線が刺さり続けている。気持ちは分かる。『胡散臭い何か』を見るときの視線だ、これは。私もそうだったから、よく分かる。


 事務所の中では、私の姿の荒切さんが既に諸々の準備を済ませていた。あとはコーヒーを淹れるくらいだろうか。


「ソファへどうぞ。コーヒーは飲めますか」

「あ、はい。いただきます……」


 私が座っていたのと同じ、来客用のソファに彼女を座らせ、私はコーヒーを淹れる。荒切さんは自分で淹れたがるものの、コーヒーメーカーなんて同じ豆を使えば誰が淹れても味は同じである。


「どうも、初めまして。探偵助手の志田です。お名前を伺っても?」

浅見遥香あさみはるかと申します。よろしくお願いします」


 荒切さんはここぞとばかりに無駄に高い演技力を発揮し、私になりきっている。いや、発音等諸々は荒切さんのままなので、あくまでも『私のフリをしている荒切さん』という感じではあるけれど。


 私はカップを2つ持って、1つを彼女——浅見さんの前に置く。そして、新調した小さな丸テーブルにコーヒーを置き、またまた新調した1人用の椅子に座る。


 あくまで、依頼者の対応は荒切さんがする。それが、ボロを出さないために考えた苦肉の策。荒切さんはともかく、私は怪異や怪物といったものへの知識も皆無で、探偵としての経験もない。ボロを出すとするなら私……ということで、この案が採用された。


 まあ、ドラマでも助手が話を聞いて手続きをして、探偵は横槍を入れるだけ……っていう場面は見たことがあるから、そこまで不自然な光景でもないだろう。


「……先生、私のコーヒーのおかわりは……」

「先生の手は2つしかないんだ。残念だね」


 恨めしそうに私のことを見る荒切さん。依頼者の前では私が探偵で、荒切さんが助手なのだ。あまりへこへこしすぎても不自然だ。別に、助手としての仕事を放棄しているわけではない。荷物を持ってくれなかったことへの、ささやかな嫌がらせだ。


「……おほん。それで、浅見さん。本日はどのようなご用件で?」

「はい。その……これ、なんですけど」


 浅見さんは肩からかけていた小さな鞄を開け、中から一枚の写真を取り出した。カップを持ったまま立ち上がり、横から覗き込むと、写真にはおよそ中学生くらいの大きさの古びた日本人形が写っていた。指の作りなどを見るに、恐らく、関節なんかを動かしてポーズを変えられるものだろう。


 和服を着せられ、よく手入れされているように見える。ただ、失礼な話ではあるけれど、どことなく——不気味な雰囲気を感じる。


「これは?」

「うちの蔵に、昔から眠っている日本人形なんです。代々手入れをしながら管理してきたそうで、先月、父が亡くなってからは私が管理を」

「それは……お悔やみ申し上げます」


 浅見さんは俯いたまま、『痛み入ります』と遠慮がちに言うと、何故だか気まずそうに指を弄り始めた。


「それで、この人形……その、信じてもらえるかは分かりませんが……」


 言葉が途切れる。この感じには覚えがある。前の会社にいた時のことを荒切さんに話す時の、私と同じだ。


「どうぞ、仰ってください。先生は、不可解な現象ばかり目にしておられる方ですから」

「ええ。専門ですから」


 それっぽい横槍を入れると、『演技が下手だな』とでも言いたいのか、荒切さんが睨んできた。仕方ないだろう。探偵なんて初めてなんだから。


 しかし、その演技はどうやら浅見さんには効いたようで、彼女は意を決したように言葉を紡いだ。


「その……動くんです。夜中になると」

「動く?」


 彼女はこくりと、首を縦に振った。


「はい。今は、私と母と、それから夫と息子が暮らしているんですが、皆が口を揃えて言うんです。夜中に、『人形が徘徊しているところを見た』と」

「ふむ……」


 荒切さんは顎に手をやり、考え込んでいる様子だった。


 夜中になると人形が動き出す。以前までの私なら、そんなオカルト話には耳も貸さなかったけれど……怪異だとか怪物だとか、そんな存在を知ってしまった今なら分かる。


 これは、怪異の仕業だ。


 怪異なら、人形に取り憑いて怪物となったあと、夜中に徘徊することだって容易だろう。それくらいの力はあるはずだ。


「まさかそんなことがあるはずがない、と私も思っていたんですが……確かに、手入れをするたびに人形の姿勢が変わっていて、それに気付いた途端に恐ろしくなり……」


 浅見さんは青ざめた顔で、写真から目を逸らす。


 家族全員が目撃している以上、見間違いという線も薄い。ちらりと荒切さんの様子を伺うと、私の顔を見て、何やら意味深に頷いた。


(……えっと、確か、『怪異絡みだから仕事を受ける』時の合図……)


 事前に決めていた合図通りなら、荒切さんも、この時間は怪異絡みだと判断したのだろう。


「それで、チラシを見て来られたわけですね」


 私がそう聞くと、彼女は頷いた。


「はい。『怪奇現象にお心当たりのある方はぜひご相談を』、とありましたので……」

(何回聴いても酷いフレーズだな……)


 今時、除霊師だとかそのような類でも使わない謳い文句だ。まあ、それで実際に依頼者が来ているのだから、一定数の効果はあるんだろうけれど。きっと、『藁にもすがる』というやつなのだろう。


 この仕事を受けることを既に決めていた荒切さんは、一つ、小さな咳払いをした。


「分かりました。では、我々の方で調査をしてみましょう。いいですよね、先生」

「ああ」


 急にこちらに話題を振られ、返事だけすると、浅見さんの顔色が明るくなる。勢い良く立ち上がると、腰が折れそうな勢いで頭を下げる。


「……! あ、ありがとうございますっ……!」

「いえいえ。では、早速契約のお話なのですが……」


 そこから、荒切さんは慣れた手付きで書類を用意し、浅見さんと契約を結んでいった。流石、1人でここを切り盛りしていただけはある。仕事は早いのだ。少し雑で面倒臭がりなだけで。


 そういうわけで、新生・荒切探偵事務所としての初仕事は、『徘徊する人形』の調査となった。まさか、人形に取り憑く怪異を払うだけだと思っていたこの仕事が、あそこまで混沌としたものになるなんて……この時の私たちは、想像もしていなかった。

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