第2話 スイッチ
「わ……私が取り憑かれてる……ですか!?」
あまりにも簡単に告げられた事実に、私は驚きを隠せなかった。彼は特別、悪びれる様子もなく、淡々と続けた。
「そもそも……オレがお嬢ちゃんに声をかけたのは、それが理由だからね」
「と、言うと……?」
「オレは大昔のどこぞの陰陽師の子孫らしくてね。ちょいとばかし『特殊な眼』を持ってる。これがあるおかげで、怪異が放つ特殊なオーラのようなものが視えるんだ」
自分の目を指差しながら、彼は言った。言われてみれば、確かに、昨日ぶつかって起こされた時に、じろじろと見られていたような気もする。
「ま、まさか……それが私から見えたってことですか?」
「そう」
自覚はない。何か、おかしな行動をしているつもりもない。私の中に怪異とかいう訳の分からないものが潜んでいるだなんて、とてもじゃないが信じられなかった。
だけど……もし、もしそれが本当なら……あの時の事件は、私の中に潜む怪異の仕業だったのかもしれない。そう考えると、途端に寒気がした。
「ど、どうすれば……」
「どうするもこうするも、ここは怪異専門の探偵事務所だ。祓えばいいだろう、祓えば」
簡単に言う彼の言葉に、脳内に数字が浮かんだ。貯金残高だ。恥ずかしい話、会社員時代の貯金などもう殆ど残っておらず、お祓いなんてものを受ける金銭的余裕はなかった。
「……その、お恥ずかしながら、貯金がそんなに……」
「心配しなくても、個人のお客から法外な値段は取らないよ。もっと大きなところから沢山貰ってるからね」
私が承諾するよりも前に『よっこらせ』と立ち上がった彼は、奥の執務机へ向かう。そして、引き出しの中から、何やら小さくまとめられた紙の束を取り出した。札束のようなまとめられ方をしている。当然、札束ではないけれど。
「あの……私は何をしたら?」
「こっちに移ってくれるとありがたい」
お祓い用だろうか。少し離れたところにある1人用の小さな椅子に移るように促され、言われるがまま私はそちらへ移動した。
彼が手にしていたのは、何やら達筆すぎて読めない漢字が綴られた……お札だった。陰陽師の末裔と言っていたし、その時代から使われている対怪異専用のお札なのかもしれない。
「本来ならもう少し『弱体化』させてから祓うんだけど、まあ、何とかなるだろう」
「弱体化?」
「少しずつ怪異のパワーを削り取って、反撃を喰らわないようにするんだ。今回は省くけどもね」
お札をまとめていた紙を解き、一枚手に取る男。どことなく、先ほどよりも真剣な面持ちに見える。
「え、大丈夫なんですか……? その、反撃ってやばいものなんじゃ……」
「喰らわなければどうということはない、だ。多分ね」
「え」
多分、とかいう不安になる一言で、本当に大丈夫なのかと心配になる。せめて心の準備はさせてほしいと願ったものの、男はそんな私の願いを無視して、お札を構えた。
「それでは……失礼して」
「ちょ、もう少し心の準備がっ……」
私の言葉を最後まで聞くこともなく、男は私の額にお札を貼り付けた。視界の半分ほどがお札で遮られる。のりのようなものが付いているわけでもないのに、お札は私の額でぴたりと静止している。
(……お?)
案外、お祓いといっても何ともないものだ、と思った。痛みがあるわけでもなく、違和感があるわけでもない。ただ少し、お札が鼻に当たってこしょばゆいだけ。
この調子なら、本当に彼の言う通り問題はないのかもしれない。そう思った矢先だ。
「——オ゛ッ……!?」
思わず、獣のような声が出る。乙女心から来る恥ずかしさとか、そんなものはどうでも良くなるくらい、体中を謎の不快感が駆け巡る。
「オ゛ッ……ぅぇ゛ッ……な、何か体が……変なんですけどッ……!?」
「まあ、除霊とかに近いものだからね。そりゃあ怪異も抵抗くらいするさ」
全身の皮膚の内側を何かが這いずり回っているような。血管の中を虫が駆け回っているような。そんな感覚だった。
今まで味わったことのない感覚に、体が何度も跳ね上がる。痛みはないものの、それが余計に不快感を加速させた。
「ふむ……もう一枚いっとくか」
「ァ゛ッ……!?」
横並びでもう一枚、お札を貼られる。途端に、不快感が加速した。具体的には、全身を駆け巡っていたような不快感が、全て頭のてっぺんに向けて移動していくような。
ある意味嘔吐感にも近いようなそれが終わりを迎えたのは突然のことだった。頭のてっぺんから何かが抜けたような感覚を味わうと同時に、全身を駆け巡っていたあの不快感は消え、汗が噴き出してきた。
「おっと、出てきた」
私には何も見えない。男は虚空を見つめたまま、何やら目を丸くしていた。
「……あ」
「え?」
突然の言葉に、私は思わず聞き返してしまった。
今の『あ』は……そう、あれだ。よくコメディ医療ドラマとかで見る、手術中の医者が何かやらかした時に出てくる『あ』の発音だった。
「な、何ですか、今の『あ』って……その、何かやらかしたような『あ』は……」
「いやこれは……不用意に祓っちゃいけないやつを祓っちゃった……なぁって」
「え?」
聞き返すや否や、何やら強烈な寒気が襲ってくる。次の瞬間、私に覆い被さるように男が両腕を広げ、抱き寄せてきた。
「うわっ……ぶッ……」
若干の息苦しさ。それから、強烈な乗り物酔いのような眩暈と吐き気。意識を保っていることも難しくなり、視界が揺らいで、私は気を失った。
——目が覚めたのは、どれくらい経ってからだろうか。
まだ少し、ふらつくような感覚が残っている。朦朧とした意識の中でゆっくりと目を開けると、私は、何かに覆い被さった状態で倒れ込んでいるようだった。
「う……うぅん……ん?」
自分の喉から発された声に、何やら違和感がある。何だか野太いような、男性の声のような。意識を失っていた影響で、喉が枯れているのだろうか。
「……ん?」
そう思って喉を触ると、何やら大きなコブがある。喉仏というやつだ。私、喉仏はこんなに出ていなかった気がするんだけど。
「一体どういう……」
地面に手をつき、ゆっくりと体を起こす。と、私が覆い被さっていたものの正体が露わになった。見覚えのある顔に、見覚えのある服。立て続けに面接に落ちたことで、目の下には少しくまがある。
私の下で横たわっていたのは、『私』だった。
「……何で私が目の前に?」
夢だろうか?
そんなことを考えていると、横たわる『私』が、苦しげに唸り、ゆっくりと目を開いた。
「……ん?」
パチリと、目が合う。パチクリと目を見開いて、私たちの間には静寂が流れた。
「……反撃、されちゃったねぇ」
その沈黙を破ったのは『私』だった。その口調やイントネーションは、あの探偵と同じものだった。
「ま、まさか……荒切、さん……?」
「驚いたね。こんなことになるとは」
彼はのそのそと起き上がって、頭を掻いた。私の姿で。
そして、気付いた。気を失う前、最後に彼は私に覆い被さった。目が覚めて『私』に覆い被さるような状況だった私と、私の姿になった彼。総合的に考えて——これは、まさか。
急いで立ち上がり、出口のそばにあった姿見の前まで駆け寄った。鏡に映っていたのは、くたびれた姿の男だった。
「私たち……入れ替わってませんかっ!?」
「入れ替わってるね」
彼は呑気にあくびをして、腕を伸ばしている。そんな彼のもとへ行き、両肩を掴む。
「どういうことですか!? 説明責任がありますよ、これは!!」
「落ち着いて落ち着いて。お嬢ちゃんの本体の首もげちゃうよ」
「体入れ替わって落ち着いていられると思いますっ!?」
「無理かぁ」
どうどう、と待てをかけられ、私は彼を離す。服を整えた彼は、落ち着いた足取りでコーヒーメーカーへ向かい、新しくコーヒーを淹れ始めた。
新しく2つのカップを手に取り、コーヒーを淹れると、それを持って来客用のソファへ向かう。私もまた、彼の向かい側に座った。
「順番に説明しようか。まず……怪異自体を祓うことには成功した。お嬢ちゃんの中に……というか、今はオレの中か。もう怪異はいない」
私の体で、砂糖を一切入れないブラックのコーヒーを飲み、顔を顰める男。体が変わったことで受け付ける味も変わったんだろう。渋々といった様子で、角砂糖を放り込む。
「それは何となく……分かります。何かが抜けた感覚があったので」
体の中を何かが這いずり回る感覚と、それが頭のてっぺんから抜けていく感覚。あれが怪異を『祓う』ということなのだろう。
「ただ、祓った怪異が悪かった。あれは『分体』だ」
「分体?」
恐る恐るブラックのコーヒーを飲むと、思っていたよりも悪くない味だ。これが大人の味というやつなのだろうか。
「強大な怪異が作り出す、自分の分身みたいなものさ。あの類は祓おうとした瞬間に、本体に危機が伝達されるようになってる。そして、本体から分体へと、一時的に力が供給される」
「……それで?」
「火事場の馬鹿力みたいに、最後の最後に反撃を喰らって、オレたちの体が入れ替わってしまった、ってことだ」
「なるほど……」
『なるほど』ではないけれども。体が入れ替わっているんだ。もっと慌てるべき状況なのだろうが、今はそんなことよりも、節々の痛みの方が気になって仕方がない。どうにも、この体の持ち主である彼は、あまり健康的な生活をしているわけではないらしい。ほんのりと頭痛がするし、節々は痛いし、あと肩と腰も痛い。
「それで……どうすれば元に戻れるんですか? そんなに落ち着いているってことは、何か方法があるんですよね?」
「ああ。本体を祓えばいい。そうすれば大抵のことは何とかなる」
「本体を……それで、本体はどこにいるんですか?」
「さあ……それは分からない。少なくとも日本国内にはいるだろうね」
コーヒーを飲み、冷静に告げる彼。私は落胆して、肩を落としてしまった。
「そんな……じゃあ私、ずっとこのままで……?」
「まあ、怪異の情報なら、放っておいてもウチに集まってくる。いずれ尻尾を出すだろう。オレのミスである以上、最大限、元の体に戻れるよう尽力する」
「ありがとうございます……」
そう言って頭を下げると、突然、彼は立ち上がった。
「失礼。ちょっとトイレに」
「あ、はい」
彼はそのまま扉へと向かって歩き……。
「……いや駄目ですよ!? その体、私のなんですけど!?」
私は、そんな彼を引き留めた。冷静に考えて、トイレに行かせるわけにはいかない。あの体は私のもの。そんな初めて出会ったばかりのおじさんに、私の裸体を許してはならない。
「とは言われてもね……生理現象はどうにもならないだろう……」
「いやっ……それはそうなんですけどっ……もうちょっと我慢してくれません!? 最悪漏らしても構わないので!」
「漏らすのは構わないのか……?」
必死に頭を縦に振ると、渋々、彼は席に戻った。またコーヒーを飲もうとしたのを、これまた制止する。コーヒーばかり飲んでいるからトイレが近くなるのだ。
「まあ、とりあえず……体が入れ替わっている間は、あまり離れない方がいいね。お互い、勝手もよく分からないだろう。お嬢ちゃん、仕事は?」
「え? 無職……ですけど」
答えると、彼は『都合が良い』と言って手を叩いた。
「なら、ここで住み込みで働くといい。上の部屋が空いているし、オレも助手を探していたところだ。お嬢ちゃんが探偵本人で助手という、奇妙な役割にはなってしまうがね」
「え、ちょ……そ、そんなこと急に言われても……!」
仕事を探していたのは事実だけど、よく分からない探偵事務所で働くなんてごめんだ。ましてや、そこまで儲かっている風にも見えない探偵事務所でなんて。お給料だってちゃんと支払われるか怪しいものだ。
そんな私の思考を読んでか、彼は『フッ』と笑うと、右手の指を3本立て、左手の親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。
「もちろん、ちゃんとお給料は出すよ。家賃もいらないし、水道と光熱費もいらない。お給料は……税金とか諸々差し引いて、月にこれくらいでどうかな」
30。それが指し示すところは一つ。月給30万円。社会人として働いていた時も、流石にそんなには貰っていなかった。
ましてや、廃ビル同然の古いビルとはいえ、家賃も光熱費も必要ないときた。条件としてはあまりにも破格すぎるものだ。
「……探偵って儲かるんですか?」
「怪異探偵は、ね」
少しの間、俯いて思考する。確かに、体が入れ替わってしまった以上、前と同じ生活を送ることはできない。同じ職場で、住み込みで働くのなら、お互い至らない部分は助け合えるだろう。
そして何より、金払いがいい。この辺りの物価を考えても、月30万円の手取りは魅力的だ。
「その話……ノります」
決してお金に負けたわけではない。決して。
握手のつもりで手を差し伸べると、彼は女の子らしからぬ渋めの笑みを見せた。
「ああ、そうだ……自己紹介がまだだったかな」
私の手を取り、彼は言った。
「オレは怪異探偵の荒切玲。お嬢ちゃんは?」
「志田悠貴です。今は……探偵助手ですね」
契約成立、といった様子で、私と荒切さんは笑い合った。見た目がチグハグな探偵と助手。一気に現実味のない世界に連れてこられて困惑は隠せないけれど、こうなってしまったものは仕方ない。今はただ、ここで働いて件の怪異の情報を集めるしかないだろう。
「じゃあ早速……トイレに行っていいかな」
「駄目です!」
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