怪異探偵『荒切玲』

お茶漬け

第1話 荒切探偵事務所

——志田悠貴しだゆうき。24歳、女。職業、無職。これといった趣味はなく、特技もない。それが私という女だ。


「……ぶぇぇぇぇ……」


 スマホの画面に映し出されたお祈りメールの文面。これで通算5社目の不採用通知に、私は外にいるというのに膝から崩れ落ちた。


 それなりに名の知れた大学を卒業してから新卒で入社し、1年間勤めた会社を、『事件』の責任をとって退職してから1年。あまりのショックから引きこもり生活をしていたために、面接を受けた全ての会社から『退職の理由』と『1年の空白期間の詳細』を聞かれ、答えるたびに白い目で見られる生活。


「厳しいっ……この世界は一度挫折を味わった人間に厳しすぎるっ……!」


 もう定職に就くことは難しいのか。アルバイトをして食い繋ぐ生活をするしかないのか。

 いいや、それも悪くはない。自分のライフスタイルに合わせた勤務形態を選ぶこともできるし、慎ましい生活を送れば十分に生きていける。


 悪くはない……のだが、脳裏に浮かぶのはやはり、厳格な父の顔だろう。母さんが死んでから疎遠になり、今では連絡を取り合ってもいないとはいえ、1人娘がそんな生活を送っているとなれば、どこかから噂を聞きつけて口を挟んでくるはずだ。


「うぅ……なんで私がこんな目に……」


 元はと言えば、原因も分からない例の『事件』がきっかけで、私の人生は狂い始めたように思える。責任を取って退職を迫られたものの、今でも私は、その結果に納得がいっていない。


 あんな、超常現象のような事件の責任が私にあるなんて——、



「……おっと」



 考え事をしていて前を見ていなかったせいで、向かいから歩いてきた男の人と肩がぶつかる。思わずよろけて転びそうになったところを、彼は腕を掴んで引き止めてくれた。


「悪いね、お嬢ちゃん。考え事をしていて前を見てなかったよ」

「あ、いえ……こちらこそすみません……」


 お世辞にも清潔感があるとは言えない顎髭と、薄汚れた茶色いコート。昔のドラマに出てくる、売れない探偵みたいな見た目をした人だった。


 ゆっくりと起こされ、何度か頭を下げる。彼はどうどうと私を落ち着かせながら、何やら顎に手をやって悩むような素振りを見せている。


「……あの?」


 不審に思って声をかけると、彼は目を細めて答えた。


「お嬢ちゃん、最近、ツいてないなって思うことあったかい?」

「つ、ツいて……? いえ、特には……」


 突然何を言われたのかと思えば、ツいていないかどうかという。事件から続き、5社の面接に落ちたことはツいていないことではあるけれど、少なくとも、面接に落ちた件は妥当な判断でもあるし、運の問題ではない。


「理屈では説明できないような、不可解な事件に巻き込まれたりとかは?」

「な、なんなんですか、さっきから……そんなの……」


 妙な人だ。こういうのは大抵、関わると面倒になるタイプの不審者である。これ以上関わらないようにと突き放そうと考えて、そして、思考が止まる。


『理屈では説明できないような、不可解な事件』


 それはまさしく、私が退職を迫られた原因となった、あの事件のことではないか?


 そんなはずはない。バーナム効果というやつだろう。誰にでも当てはまるようなことを言って、上手く話に乗せてやろうと考えているに違いない。しかし、動揺が顔に出ていたのか、彼は憐れむような目を私に向けた。


「あるんだねぇ。可哀想に」

「な、なんでそんなこと、分かるんですか……?」


 私が問いかけると、彼は懐から小さなケースを取り出し、その中身を私に差し出した。よく見ると、それは名刺のようだった。


「もし良かったら、ここにおいで。基本的に24時間営業だから」

「あ、あのっ……!?」


 男はそれで満足したのか、颯爽と立ち去ってしまう。後に残された私は、妙なことが書かれた名刺を手に、その場に立ち尽くしていた。


「『荒切探偵事務所あらぎりたんていじむしょ』……怪異・怪物のご相談はお任せあれ……?」


 表面には、『代表・荒切玲あらぎりれい』という名前。裏面には、『怪異・怪物のご相談はお任せあれ』『不可解な現象に心当たりのある方は是非ご相談を』と、妙な謳い文句がつらつらと並べられていた。



「う、胡散くさぁ……」



 変な人に出会ってしまった。私はそう思った。




——が、しかし。一夜明けた翌日の昼過ぎ頃、私の足は不思議と、その妙な探偵事務所へと向かっていた。自分でも理由は分からない。だけど、何となく、『ここに来なくてはいけない』……そんな気がした。


 名刺に記されていた住所へとやってくると、派手な落書きの目立つ古いビルに辿り着いた。ビルの名前も、間違いなく、ここを示している。


「……え、ここ……? ここって廃ビルじゃなかったの……?」


 進路を妨げるように設置されたトラロープを跨ぎ、名刺に従って、3階まで階段を上る。薄汚れた扉の上部には、はっきりと、『荒切探偵事務所』という表札が掲げられていた。……どう考えても、手作り感満載の。


 試しに、ノックをしてみる。返事はない。扉の奥からは人の気配もしない。24時間営業と言っていたが、留守なのだろうか。


 ノブに手を掛けると、どうやら鍵はかかっていないようだった。ゆっくりと扉を開くと、隙間から、微かに音楽が聞こえてくる。


「し、失礼しまぁす……」


 『土足厳禁』と書かれた張り紙の前で靴を脱ぎ、備え付けのスリッパに履き替えて中へ入る。短い廊下の先にある扉からは、僅かに光が漏れていた。


 扉を開き、中を覗くと、応接間のような空間が広がっていた。その奥で、執務机だろうか——椅子に背を預け、顔に雑誌のようなものを乗せて、昼寝をしている男がいた。それなりに大きな音量で音楽が流れているが、それを掻き消すほど大きないびき声が聞こえる。


「あ、あのぅ……」


 呼び掛けても、当然、返事はない。そんなもので起きるなら、あの音楽の中で眠れるはずがないのだ。


 ふと部屋の中を見渡すと、来客用のソファとテーブルがあり、テーブルの上にこれみよがしな呼び鈴が置かれていた。ファミレスとかにある、あれだ。


 試しにそれを押すと、『リィィィン』という鋭い音と同時に、『ゴンッ』という鈍い音が鳴り響く。後者は呼び鈴からではなく、奥の執務机の方からだ。


「んがっ……あぃ゛っ……!」


……悲痛な叫びが聞こえる。その瞬間は目撃していなかったけど、恐らく、机に足を打ちつけたんだろう。


 男は足を摩りながら、落ちた雑誌を拾い上げる。そして、こちらに目を向けた。


「いちち……おや。お客かと思ったら、昨日のお嬢ちゃんか」

「ど、どうも……」

「ここへ来たってことは、心当たりがあったのかな。さ、適当に座って。コーヒーを淹れよう」


 男は部屋の片隅にあるコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ始めた。言われるがまま、私は来客用らしきソファに腰掛け、こぽこぽというコーヒーメーカーの音と、よく分からない言語で歌われた音楽を聴きながら、男を待った。


 数分して、良い匂いのするカップを手に、男はソファの向かい側に座った。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 カップと砂糖と、ミルク。出されたものは遠慮なく頂き、砂糖を大量に投入した。


「最近のコーヒーメーカーってのは凄いもんだね。スーパーに売ってる安い豆でも、こんなに美味いコーヒーが飲めるんだから」

「は、はぁ……そうですね……」


 男は砂糖もミルクも入れず、ブラックのままコーヒーを飲んでいた。部屋の中だからか、あの茶色いコートは着ておらず、しゃっきりとしたスーツ姿だった。相変わらず髭は整えられていないものの、随分と違った印象を受けた。この姿を見れば、確かに、探偵と言われても納得できる。


「じゃあ、まあ……早速本題に入ろうか」


 突然、男がそう言った。カップを置き、懐から折り畳まれた紙を取り出す。広げられたそれは、A4サイズくらいの……チラシだった。


「これ、ウチのチラシ。デザインとかどうかな」


 デカデカと描かれた、お世辞にも上手いとは言えない幽霊……? らしきイラストに、それと相対するお札を持った男のイラスト。おどろおどろしいフォントで『荒切探偵事務所』と書かれてはいるものの、パッと見てこれが探偵事務所のチラシだと分かる人間は、この世にはいないだろう。


「い、良いと思います、けど……?」

「そうかそうか、それは良かった」


 お世辞でその場を乗り切ると、男は満足そうに頷いて、チラシの一部を指差した。探偵事務所の概要が記された部分だ。名刺にも書いてあった、『怪異・怪物がうんぬんかんぬん』という謳い文句。


「で、ここに書いてある通り——ウチは怪異や怪物が絡んでる事件の調査がメインでね。ここへ来たってことは、君も、何か『妙な事件』に巻き込まれたんだと推察できる」

「は、はぁ……」


 『妙な事件』。確かに、私には心当たりがある。


 男はぐいっとコーヒーを飲み干し、額に当てた人差し指を、私に向けた。どこかの弁護士みたいな仕草だ。


「ここは探偵らしく、言い当ててみようか。ずばり……殺人だね?」

「いえ、違いますけど……」


 そんな物騒な事件に巻き込まれた覚えはない。即座に否定すると、男は涼しげな表情で、再び額に指を当てた。


「そうか、そうか。違ったか……なら、窃盗だね?」

「違います……」

「ふむ……」


 びしり、と突きつけられた人差し指をはねのける。全くもって、掠りもしていない。男は満足げに頷くと、腕を組み始めた。


「……とまあ、オレの探偵としての実力はこんなものだ」

「えぇ……?」


 思わず、驚きが漏れてしまった。探偵を名乗る割に、あまりにも推理が杜撰すぎる。しかも開き直っている。最悪だ。


「いや、しかし、はらいの実力は信じてくれていい。自分で言うのもなんだが、国絡みの事件も解決している凄腕だ」


 祓。また私の知らない言葉が出てきた。そもそも……怪異や怪物といった言葉も聞き馴染みがない。いや、聞き馴染みはあるものの……彼の言っているそれは、私の知っている創作物に出てくるそれらとは違う気がする。


「その……そもそも、よく分かってないんですけど、怪異とか怪物って……?」

「ああ……怪異っていうのはね、この世に存在する『澱み』……まあ、人間の悪意とか、そういうものが意思を持ってしまった存在のことだよ。妖怪とかそういうやつの親戚みたいなもんさ」


 『失礼』と言って男は立ち上がり、コーヒーのお代わりを淹れて戻ってきた。


「ただ、こいつらは実体を持たない。怪異でいる間は、こいつらはそれ程害を為さない。問題は——」


 コーヒーを一口含み、ため息をこぼした男は言う。


「——こいつらは、人や物に『取り憑く』のさ。こうなった状態の怪異を、ウチでは怪物と呼んでいる」

「か、怪物、ですか……」


 突拍子もない話だ。人の悪意から生まれた怪異という存在に、それが何かに取り憑いた怪物という存在。詐欺や宗教の導入としては良い設定かもしれないけれど、現実の話だとすると、あまりにも『現実離れ』しすぎている。


「怪物になると、奴らは途端に厄介な存在になる。人に取り憑いて不思議な力で事件を起こしたり、物に取り憑いて怪奇現象を起こしたりとね」


 チラシに映る幽霊のような何かを指し示しながら、男は話す。恐らく、これは怪物とやらをイメージして描いたものなのだろう。


「ウチはそういった事件の調査・解決を専門としているんだ。どうだい? そういう事件の心当たり……あるんじゃないかな」


 男はじっと私を見つめていた。何だか、心の奥深くまで見透かされるような、不思議な目だった。


「……えっと。信じてもらえるかは分からないんですけど」


 コーヒーのカップを両手で握りながら、私は『あの時』のことを言葉にした。


「前、勤めていた会社で……その、ポルターガイスト? みたいな現象に見舞われたことがあって」

「ほう? 物が勝手に動き出す、あのポルターガイストかな?」


 こくり、と、首を縦に振る。


 あの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。少し仕事が立て込んでいたせいで、私だけが残業のために会社に残っていた。もうそろそろ切り上げて帰ろうかと、パソコンの電源を落として、外に出ようとした瞬間……急に部屋の電気が点いて、部屋中のパソコンが踊るかのように暴れ始めたんだ。


 目を疑った。パソコンがひとりでに動くはずがない。それも、物理的に。夢でも見ているのかと思った。


 でもそれは現実で……逃げ帰るように帰宅して、翌朝出社すると、やっぱりパソコンは暴れ回っていたようで、社長に呼び出されたんだ。


「はい……それで、会社のパソコンとか全部、ぐちゃぐちゃになっちゃって……私のせいじゃないのに、私しか会社に残っていなかったからって理由で、クビになってしまって……」

「ふむ……興味深い話だね」


 男は顎に手をやり、真剣に話を聞いていた。


「あの……その、怪物、っていうやつは、そんなこともできるんですか?」

「簡単なことだろう。物を動かすくらいなら、彼らにとっては人間が手足を動かす程度のことでしかない」

「それじゃあ……やっぱり……」


 私は正直、オカルトというものをあまり信じてはいない。幽霊だとかお化けだとか、そういった類の話は信じてはいない。宇宙人はほんの少し信じているけれど。


 だから、怪異だとか怪物だとか言われても、普段なら耳を傾けもしなかったろう。でも、あの事件はそういう『怪奇現象を引き起こす何か』の仕業でもない限り、説明がつかない。


 これが、悪質な宗教の導入なら、お笑い種だ。私はまんまと引っかかったカモなのだろう。けど、もう、それでもいいかもしれない。


「まあ、現場を見てみないことには分からないが……クビになっているということだから、それも難しいだろう。状況判断にはなるが、怪異絡みの事件であることは間違いない」

「……あの時、ここのことを知っていれば……」


 もう少し早く出会えていれば、何か、結果が違ったかもしれない。そう思っても、もう遅いんだけど。


 彼はコーヒーを飲み、首を横に振る。


「過ぎたことを言っても仕方がない。今大事なのは、お嬢ちゃんに取り憑いている怪異が悪さをする前に、祓うことだね」

「はい……私に取り憑いてる……」


 過去ではなく前を見るべきだ。そして、私に取り憑いている怪異を祓うべきだと、彼は言っている。それを復唱してから、私は、その違和感に困惑した。



「……はい?」

「ん? 言ってなかったかな」



 聞き間違いでなければ、彼は今、私が『取り憑かれている』と言った。何に? 怪異に。


 彼は——探偵・荒切玲は、ごく普通のことを述べるかのように、淡々とした口調で告げた。


「お嬢ちゃん、普通に取り憑かれてるよ。怪異に」


……流れ変わったな……。

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