第7話 菫の事情
菫の事情
「ふぉッ‼」
朝から、相変わらず腹にヒップアタックをかけてくるのが、向日葵だ。
「おはよう、翼」
「だから……イチャつく幼馴染ムーブはもういいって」
「ドキッとするだろ?」
「心臓に悪いって意味ではその通りだけど……。いくら昴に『よろしく頼む』と言われたからって、毎朝起こしにこなくていいんだよ」
「これが私の役目なんだよ! 翼を朝から興奮させて、健全な男の子へと成長させるための……」
そういって、布団の上からだけど、下半身をこすりつけるようにしてくる。
「健全な男の子として育つ前に、ショック死しそうだよ……」
「翼君の、エッチ!」
そういうと、向日葵は部屋から飛びだしていった。どうやら、ボクのノリが悪いと感じて、エッチなイベントで真っ赤になって飛びだしていく幼馴染ムーブに変更したようだ。
ボクを起こしにくるのは、向日葵にとって、昴とかわした約束だからだ。通学には二時間以上かかるため、昴は朝早くに家を出てしまう。そこでボクを起こす代役として向日葵を指名した。
でも、朝練をする向日葵とて相当に早く家をでていくので、ボクを起こすのは昴が家をでて、数分といったところである。
朝六時……。ボクにとってはまだまだ早い時間なのだ。
一階に下りると、ダイニングに入る前に菫とでくわした。朝から元気な向日葵に起こされるのは、彼女も同じ。そしてそれは、朝食をとるのに時間がかかる菫にとってもちょうどいい。
でも、彼女がちょっとちがう点は、ボクの前に立つと、そっと目を閉じて唇をつきだしてくることだ。二人きりのとき、こうしてキスをせがんでくるが、決してボクのことを好き、というわけではない。
一年ほど前、菫から告白された。でも、それは愛の告白……ではなかった。
「私……、ユリ、みたいなんです」
菫が百合? という冗談を思いついたけれど、口にするのはやめた。百合、つまり女性の同性愛者のことだ。
でも、そうなる事情も理解していた。
万能の天才、昴を筆頭に、彼女の実姉である向日葵は運動お化け、スポーツ万能の少女だ。そしてメイプル、マロン、ポロニアはとても可愛らしく、日本人離れしている女の子たち。同級生の奎も天才肌の変人であり、神乙女や津紅実は、どちらかといえばふつうだけれど、個性派メンバーの集まりでは、むしろふつうの方がよく目立つといった感じだ。
つまり女の子に憧れ、女の子を愛でようとする気持ちが高まっても当然といえるのが、今の環境だ。
「みんな……、みんな……、大好きなんです! どうしましょう……?」
ボクに相談してきた理由も明瞭だ。要するに、彼女の愛でたい『女の子』ではないから。
「どうしようって、どうかしたいの?」
それは一時の迷い、思春期を迎えればまた変わる……。今は羨望や、憧憬といったものがそうさせている……と、ボクは考えていた。
でも、菫の悩みはもっと深刻――。
「私、翼君をみても、何も感じないんです!」
……うん、傷つく。でも、菫が本心を明かしてくれたのだ。そしてそれは、彼女はまったく逆の意味だけれど、ボクを男と認識してくれていることが、少なからず救いと感じられた。
「菫は、男の人を好きになりたいんだ?」
「……はい」
ボクを好きになるのではなく、あくまで一般論としての〝男〟である。
「でも、男はボクだけだし……。アイドルグループの推しになるっていうのは?」
「アイドルとか、興味ないです」
「じゃあ、ドラマをみて俳優さんを好きになるのは?」
「うち、あんまりテレビを見せてくれなくて……」
草薙家は両親が農家をしているためか、家では天気予報と、趣味の園芸ばかりみているそうだ。
困ったボクは「じゃあ、疑似恋愛をしようか?」
「疑似恋愛?」
「ボクのことを好きな相手とみなして、二人きりのときはそういう雰囲気になってみる、という感じかな」
この村では男、というとボク以外は大人しかおらず、ボクしか相手がいない。まずはボクとそういう体験をして、いずれ都会に出て、多くの男の人と知り合うようになれば、また変わるのでは? と考えたのである。
「そういう雰囲気って……どうするのでしょう?」
「デートをするわけにはいかないからなぁ……。手をつないだり、見つめ合ったり、キスしたり?」
最後は冗談めかして言ったつもりだけれど、菫は食いついた。
「分かりました。そうしてみます」
「……えッ⁉」
菫は目を閉じて、唇をつきだしているのだ。
ボクも自分から言ってしまった手前、今さらできない、ということもできなくなった。何しろ菫は真剣に男の人のことを好きになりたい。百合のままでは困る、と思っているのだ。
ボクもドキドキしたけれど、女の子の覚悟を無にしていけない。そっと彼女と唇を重ねた。柔らかくて、少し湿り気もあって、そして温かかった。
唇を放した後、菫はそっと自分の唇を指でなぞるようにしてから、改めてボクをみて言った。
「しばらく、つづけてもいいですか?」
こうして二人のとき、ボクと菫はキスをするようになったのである。
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