ログインボーナス。

「…どうだ?熱下がったか…?」


ドア越しに声を掛ける。


ごほごほ…と言う咳の音とともに、「うん。熱はない。」と声が聞こえる。


彼女と俺の間を阻むこの木のドアは、今は開かずの扉だ。もちろん、命の危険がある時は、そんなことも言ってられないけど。



…突然始まったその騒ぎは、多くの人の未来を奪い、瞬く間に世界の人口動態を揺るがしかねない事態となり、社会の在り方、人との関わり方の根底を覆す変化をもたらした。

それでも、ワクチン接種やら変異やらで、こうして自宅療養で住む程度の症状に留まることが多くなった。

例に漏れず彼女も、発熱から始まり、陽性判定、隔離生活の始まり…となった。それから3日が経つ。

職業柄、陽性と判定する検査も、自宅療養に必要な薬も細々こまごまとした準備も、万端だった彼女は、「嫌な予感がする…。」と言うやいなや、さっさと寝室を別にして、そして予感通りの展開から今に至る。


「ごめんね…。」と声が聞こえる。


「何に謝ってんだ?準備も良かったし、反応も対策も早かったし、おかげで俺には伝染うつらなかったみたいだし、さすが医療関係者だな。むしろ、一緒に住んでんのに、大した事してやれてなくてごめんな?なんかして欲しいことあるか…?」


ごほごほ…と咳が聞こえる。

熱が下がった今、全身の痛みと咳が1番の悩みのようだ。体力だって落ちているだろう。

それでも、彼女はこちらを気遣う。


「大丈夫。温かいごはんが3食届くだけで、すっごく心強いよ。むしろ、そっちはちゃんと食べてる?」と話して、また咳き込む。

長い話は、咳を引き起こしやすいみたいだ。一度離れて、寝かしてやらなきゃ…。


「でも、強いて言えば…」と聞こえてくる声。


その先を促すように返事だけする。


「もう少しだけ、ここにいて?」


気丈な彼女が垣間見せる、可愛らしさ。

これに、いつも敵わない。


開かずの扉は、ウイルスは通さないけど、愛しい人の気配は感じ取れる。衣擦れの音、ペットボトルを倒す音、咳の音すら、彼女が生きていることを伝えてくれる。

スマホでやりとりできるけど、確かにこっちの方が安心感が段違いだ。


3日分の、他愛もない話をゆっくりと話す。

喉も痛いだろうに、彼女の話は止まらない。

そのひとつひとつが、たまらなく愛おしくなる。…抱きしめられないけど。


日も暮れてきた。扉の前に座って、別の部屋の窓を見れば、橙色の光が差し込む。


「夕飯にしよっか?だいぶ元気でてきたみたいだけどら何が食べたい?」


扉越しに「あったかいうどん!と、アイス…。」と声がする。


「アイスは夕飯じゃないだろ?まぁ、いいや、冷たい方が喉が楽かもな。少しカロリーもとれそうだし…。」


「やった!」と扉が喋るもとい、彼女の声が聞こえる。たぶん、今はガッツポーズをして、その反動で全身の痛みを思い出している…そんな気がする。微かに「いた…た…。」と聞こえてくる。


思わず笑ってしまった。

「じゃあ、ちょっとはずすからな?」

床から立とうとする、結構長いこと座ってたから、腰が…いたい。

ゆっくり立ち上がる間に、また、扉が喋る。



「あのね、あと、ログインボーナス…取ってほしい…。タブレット、今触れないから…。」


おずおず…といった効果音が適切だな、と思えるくらいの声音に、苦笑する。

タブレット内のゲームの話だろう。…まぁ、元気がでてきた証拠かな。


「あと、えと、できるだけ早く…帰ってきて。」


まだちょっと弱気…?これだから彼女は可愛い。


にやけてしまいそうになる口元を押さえながら、「わかった」と短く答えて、台所へ向かう。

うどんの材料、買っといて良かった。



「うどん、一旦ここ置くからな〜。中に入れたら、また呼んで。あとログボ、ちゃんとったからな。」


普段俺が滅多に触らないタブレットには、彼女がよくするゲームの他に、俺達が出かけた先で彼女が撮った写真がたくさん保存されていた。

俺にとっては、こっちが、ログインボーナスだったかな。なんてことは、言わない、たぶん、きっと…口がさけても…。


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ありふれた日常を愛おしむ(短話集) ふらり @furarin

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