ほうじ茶。

「ただいま…っと…来てたのか。」


玄関を開けると、奥の台所から灯りが見える。ほんのりいい香りがする。この香り、どこかで…。

台所の方から、俺の名前とお邪魔してまーすと元気のいい声が聞こえる。


「ん、いらっしゃい。てか、ほぼ毎日いるけどね。」


靴を脱ぎ、洗面所で手を洗ったり、部屋着に着替えたり…ひと通りのことを済ませてから台所に向かう。

さっきの香りが強くなる。


彼女はフライパンに、お茶の葉を入れて乾煎りしている。あぁ、ほうじ茶か…?この匂い。

近くで嗅ぐと結構濃い…けどもう慣れた。

フライパンからは目を離さずに「だめなのー?」という彼女は長い髪を今日はお団子にまとめている。


「だめとかじゃなくてさ、もう、こっちに住んでいると言っても過言では…過言か…?いや、過言じゃないよ。…そりゃまぁ、泊まっては行かないけど…。」


引き続き目はお茶に向いてるけど、俺の言うことにはひとつひとつ反論していく後ろ姿にこちらも、冷蔵庫からお茶をだしながら話を続ける。


「俺としては、夜道にお前帰すほうが気が気じゃないところもあるわけ。毎回送ってやれるわけじゃないし、最近日が落ちるのも早いだろ?」


秋だもんね、と彼女がつぶやく。


「ばあちゃんも、いいって言ってるし、このまま住んじゃえば?…だめなの?」


だめでしょ…?って疑問形で聞かれるがこちらはだめじゃないんですけど…。


「ふーん…そっか。ま、いいけどね。」


コップに注いだお茶を飲み干す。


彼女の住むマンションはここからそう遠くない。だから、夕食後に散歩がてら送るのもまぁ悪くないし、仕事から帰ってきて家に電気がついてて、人が待ってくれて、なおかつすぐ食べられる夕飯があるなんて、もうありがたい以外の何物でもないわけで…。ましてや、相手が彼女なら、もうほんとに…。


彼女と俺は、いわゆる幼馴染というやつだ。付き合ってるかと言われると、はっきりしたことは言えてないのも事実。

幼い頃から一緒で、親どころかばあちゃんからも公認。外堀が埋まりきっている中で、お互いどう切り出したらいかわからない膠着状態が続いているのだ。

昔だったら、その辺の世話焼きおばさんが、おせっかいにもさっさと俺たちをくっつけて縁談をまとめてくれたんじゃないかってくらいなんだけど、自由恋愛のこの時代が、それをはばむ。


「ここはおばあちゃんの家だもの。」

そういう彼女の律儀さに、敵わないな…と思う。そのばあちゃんがいいって言ってんのに…。でもまぁ、これは俺が悪い、埋まった外堀に頼り切っている自覚はある。


この家はばあちゃんが住んでいた家だ。と言っても、ばあちゃんは元気に生きているし、「お友達と遊びに行ってくるから、この家の管理をお願いね。好きに使ってくれていいから〜。」とだけ言い置いて、長い旅行に出かけてしまった。海外に住む友達に会いに行ったらしい…としか聞かされていない。…すげぇ元気。


俺はちょうどアパートの更新時期だったのもあって、まぁ、いっか、と住み込んでいる。ばあちゃん帰ってきたら、そん時考える。

そして同時に、ばあちゃんは彼女にも声をかけていた。「あの子だけだと心配だから、たまに行ってあげて〜。家も、あの子も好きに使っていいから〜。」と言ったらしい。

俺…?俺も好きに使われるの…?


「ところで、それはなに?ほうじ茶…?」


「へぇ、やっぱそうか。こんな風にして作るもんだったんだな。」


「うちじゃ、買ってくるからさ。」


「毎回作ってるわけじゃない?アロマテラピーを兼ねている…何それ、なんか疲れてんの…?だったら、無理しないで帰って休んだほうが…え、べつにそういうんじゃない?ほっとしたい時もある…ってそっか。」


「確かにほっとするよな〜。この香り。」


彼女の肩口に頭を近づけ息を吸い込む。


「えっ、近い?だってさ、この香りさ、お前の服からもたまに同じ香りするよな…って思ったらちょっと確かめたくなっちゃって…。」


「いや、そういうことじゃないんだよ、ほうじ茶くさいとか匂い移ってるとかそういうネガティブな話じゃなくてさ…。」

少し膨れた彼女の頬に、弁解する。


「俺にとっても、癒される香りってこと。」


「意味わかんない?なんでよ…?」


こちらを見ていた彼女がまたお茶に目を落として俯く。ここはいいから、テーブル拭いてお箸とか出しといてっ!って急だな…。


彼女から少し離れるとまとめ上げられたお団子の少し下、白い肌がうっすら赤くなっているのが目に入った。


(照れ…てんのかな?)


火は止めたのに、まだお茶をかき混ぜている彼女の後ろ姿に目を細める。


「夕飯、もう並べちゃっていいか?いつもありがとな。あとさ、そのお茶ももう飲めんのかな…?」


「そっか、じゃあ、食後に飲も?」


ほうじ茶も、カフェインは少ないらしいけど、全くないわけでもないらしい。


秋の夜長を、楽しむにはちょうどいい。


「…でさ、飯食って、お茶飲んで、そしたらさ…。」


「…少し、お話がアリマス…。」


やべ、なんかちょっと変な口調になった。

こっちを見て、首をかしげる彼女に、誤魔化すように笑いかけ、食事の支度をする。


落ち着け…落ち着け俺。


そう、夜は長い。


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