スケッチブックと声帯炎。
最近の春にしては珍しく、心地よい風と日差し、いつもと変わらない授業…。
少し違うところと言えば、私の目の前にぽっかりと空いた席。少し猫背気味の見慣れた背中が今日はいないのだ。
(…お休み…かな?)
いつもより視界は良好。黒板の字は見やすいけど…なんか、ちょっと嫌。
これから夕方まで何時間?長いなぁ…。
そんなことを思いながら3時間ほどが経ったところで、彼はやってきた。小さめのスケッチブックを携えて…。
「おは…おそよう?」
声を掛けると、彼はいつもびくっとする。
「あ…」とか「う…」とか「お…はよ…。」で沈黙。でも、嫌われてるわけではないみたい。話しかければちゃんと挨拶も返事もしてくれる。ただちょっと、話すのが苦手…なのかな…?
「ギャルに話しかけられてビビってんじゃないの?」
友達にそんなこと言われて、あぁそっか。とも思ったけど、ビビってるだけなら、だんだん慣れればだいじょぶくない?とも思ってる。だって、見かけの話でしょ?
でも今日の彼はなんかいつもと違う。
突然、スケッチブックを開いて字を書き始めたのだ。
「え、どしたの?なになに…声が出せなくなった?え、どして?」
スケッチブックから目線を彼に戻す。
彼はまたスケッチブックに次の言葉を書いている。
「朝、声が出なくなってて、病院にいってきた。声帯炎になってた…ってそれ大丈夫なの?学校とか来ないで休んでた方がいいんじゃないの?」
彼はふるふると頭を振り、次の言葉を書く。
「軽い炎症だから、しばらく声を出さないで、炎症が治まれば大丈夫。学校も授業聞いてくる分には問題ないって言われた…?そうなの…?」
こくこくと頷く彼はまた字を書く。むしろいつもの彼よりも言葉数が多い。
「先生も、授業中に差したりしないように配慮するから、聞いてれば大丈夫って。…そっか。でも、友達と話す時、思わず声でちゃいそうじゃない…?」
「…それも大丈夫。必要な時は筆談するけど、そもそもそんなに俺と話し込む人居ないから…?…何それ、も〜自虐的すぎる!私は?話してるでしょ…?」
…友達って私のこと思い浮かばないかな~。悲しいじゃん、何?ギャルは友達にカウントされないの…?
彼はなおも書き綴る。
「君くらいだよ…?そんなことないよ…。」
物静かな彼は確かに他の男子と話してるところはあんまり見たことないかも。てか、休み時間たんびに私が話しかけちゃうから話してる暇ないのか。でも、別に嫌われてるとか浮いてるとかって話も聞かないし、寡黙な頭いいタイプっていう位置づけなのかなって思ってた。
実際、私が話しかけても「あぁ…」とか、「うん。」が多いもんね。
私たちのやり取りを見て、クラスの他の子も何人か寄ってくる。声でないの?とか何してそんなになったの?とか色々聞かれてるけど、彼も最初は書いて説明して、そのうちジェスチャーだけで、どうにかなっちゃってたみたい。めんどくさくなっちゃったっぽい…?
また授業が始まって、今度は見慣れた猫背と若干の視界不良。ちょっと避ければ見えるから大丈夫。
先生から差されることもなく、無難に授業をこなす彼は、何の問題もなくその日1日を終えた。
次の日も、やっぱり声は出なくて、でもジェスチャーで他の子たちとやり取りする様子はもう見慣れた光景で、意外とどうにかなっていた。私とは、スケッチブックで筆談するけど、休み時間の度になんか忙しい用事があったりして、手短にひとことふたことやりとりするくらい。そんな1日が過ぎていった。
次の日も、そのまた次の日も、やっぱり彼の声は出なくって、気を使ってか、だんだんと彼に声をかける人もいなくなった。
彼も少し疲れてしまっているみたいだ。
スケッチブックにも、おはようとバイバイしか書かれていない。
声帯炎っていつまで続くの…?スマホを手に取り、その病名を打ち込む。
治るまで1〜2週間…無理すると、治らないことも…?え、最初は学校とか休んだほうがいいって…大丈夫なの…初日から来てるよ?
新しく得た情報と彼の様子を照らし合わせて、さすがに心配になってくる。何でもないような顔して、辛いじゃん、絶対。
「声…聞きたいなぁ…。」思わず出た言葉に口を押さえあたりを見回す。誰もいない、良かった。学校の下駄箱は静まりかえっていた。今日は短縮日課で少し早く帰れる。とっくにみんな学校を出ているのだ。
…私は彼の声が好きだ。
高めなんだけど、よく通る声で、優しい。
だから、彼の声がこのまま出ないなんて考えたくもない。
あまり喋らないけど、一度歌っているのを聞いたことがあって、あれは屋上だったっけ…?辛い時は、そこで歌ってるって…。
耳の中で何かが響く。
一度脱いだ上履きを履くのに、思った以上に手間取った、急げ…。
ガチャッ…。
屋上のドアを開ける。思った以上に響くその音に、開けた本人がびくっとなったけど、それ以上に、びくっとなって、顔を上げてこちらを見てる彼がいる。
「…っ…はぁっ…やっぱりっ…ここ…ここにいたっ…はぁ…っもう…ダメだよっ…無理しちゃいけないんでしょっ…風邪とかひいたらっ…どうすんのっ…?」
情けない…息が上がってうまく喋れない。
階段かけあがるとか、何年ぶり…?いや、そんな前でもないのに、めっちゃくるし…。
両膝に手をついて、息を整える私に、彼が慌ててかけよる。
「…なんでっ…て?私も…よくわかんないっ…けど、ここに居そうな…気がして…げほっ…。」
まだ息が整わない。彼が躊躇いがちに背中をさする。
「ん、ありがと。もうだいじょぶ…。てか、まだ無理しちゃダメなんでしょ?最近寒いの戻ってきたし、風邪ひいちゃうよ?」
落ち着いたわたしの隣で彼はスケッチブックのページをめくる。
「大丈夫。さっき来たばっかり。って…それでも!」
「なんだかここに来たくなっちゃって…。って…やっぱり。辛いんでしょ?」
「うん、辛い…さみしい。って…もっと早く言いなよぉっ…じゃないっ…書きなよぉっ…!もう!」
思った以上の素直な弱音にこっちが泣けてくる。なんでこんなに気付くのが遅いの?私…。
ポロポロと溢れた涙は、止まらなくなり、彼はまた動揺している。
ひとしきり泣き止むまで彼は並んで座って背中をぽんぽんってしてくれていた。
「なんっ…でっ私が泣いてんの?バカみたいじゃん…。」
湿ったハンカチを持ち、少し呆れたような苦笑いを彼に向ける。
彼はペンを走らせる。
「俺の代わりに泣いてくれてありがと。って…。」
「声がでないから、泣き方がよくわかんなくて…って、もう!」
「俺ね、自分の高い声がコンプレックスだった。今回、声帯炎と、声変りも重なっちゃってるみたいで、たぶん治っても少し声低くなるみたいなんだ。って…そうなんだ…。」
「最初は声かわるのか、ラッキーくらいに思ってたんだけど、だんだんと日が経つと、いつまでこのまま…?とか考えだしちゃって…。」
「少し、怖くなった。…ってそうだよね、ずっと続くとやっぱりそう思うよね…。」
彼は書き続ける。
「だんだん誰とも話さなくなるのかな…って思って…って!お話しよう!今!ここで!いっぱい書こ!今すぐ!」
必死な顔の私に彼は戸惑いながらも書き続ける。
「キミはほんとに変わってる。って…突然のディスりですか…?」
笑って首をふる彼の次の言葉を目で追う。
「こんな俺に話しかけてくれて、気にかけてくれるって!何がこんな俺なの!なんもおかしいことないじゃん!」
「明らかに暗そうな俺と、明るそうなキミが話してるって…。そんなの!明るく見えるだけだよ?」
「ギャルっぽく見えるんでしょ? 私ね、おばあちゃんの代でイギリス人の血が入っててね。全体的に色素が薄いの。だから、明るい髪色も地毛だし、カラコン入れてそうな瞳も、普通に裸眼なの…。そのせいでギャルっぽく見えるってよく言われるし、まぁ、服の好みもそうだし、だから、気にもしてないんだけどさ…。」
彼が顔を上げる。今までで一番、見つめられている。私のほうがいたたまれず目を逸らす。
「ずっと、誤解してた、ごめん。っていいよ…見た目はギャルっぽくなってるのは本当だし、キミはそれでも私が話しかけたらちゃんと答えてくれてるじゃん。ね?」
今度は彼が目を逸らす。
なになになに、こっちも恥ずかしくなってきた…。
「も、さ、話そう!どーんっと、たくさん!なにが、可笑しいのよ!笑ったなぁ!?」
変なテンションになったのはわかってるけど…わかってるけどっ…私だって…。
「何の話にする?って…どうしよっか…?」
「ダメな話題とかあるでしょ?あんまり好きじゃないこととか…ってそんなの急に思いつかないけど…あ、あれだ!私に自己紹介して!もちろん名前とか、そういうんじゃなくて、好きな食べものとか、嫌いな教科とか!それで、私も答えられるような話題だったら、私もそれに答えるから!」
「…いい…?じゃぁ、始めよ?」
私たちは、2人で1枚のスケッチブックを覗き込むように隣り合う。たまたま持ってたひざ掛けを分け合うために。
「好きな食べ物は…焼きそばパン…?いいよね!あれ私も好き!あとね、私はこんにゃくゼリーが好き!…ってなんで笑うかな?!」
音はでないけど、ふふって笑う彼の横顔に少し安心した。笑えるじゃん、大丈夫。
「嫌いな教科は数学…そっか〜私はわりと数学好きなんだけど、逆に英語とか苦手。クォーターなのに?って…そういう偏見は良くないよ?生粋の日本生まれ日本育ち日本国籍だからね?自慢じゃないけど、全く喋れないから!」
ふふって…また笑う。
「他は…って好きなのでいいよ?色…?好きな色ってこと?白が好きなの?確かに似合いそう。私…?私は…ピンクかな~。つっても淡いピンクね?桜色とかの方がわかりやすいかな。…表現が日本人?だぁから、日本人なんですぅ~。」
彼は意外と意地悪だ。今までこんなにからかってくることなかったよね。
これが、素なのかな…?
「他は?好きな果物は…?ライチ…あぁ、あの怪獣の卵みたいな…食べたことくらいあるよ!白いやつでしょ?…外見がさ…小さかった頃、なんかゴツゴツしてて、怪獣のうろこみたいって思ってたんだ。ジュースとかになってんのは好きかも。…怖いの?って?怖くないよ、もう!あ、ちなみに私は…みかんかな。冬のこたつとみかん、いいよね。にほっ…まだ言うか…。」
「次は…?好きな生き物…?犬…?犬飼ってるの?大きい?小さい?あ、小さいの?なんて言う名前?は?え?部長…?ほんとに…?なんで…?姉ちゃんが付けたって…お姉さんいたんだ?え、ちょっと情報量多い…。てか部長って…いきなり会社っぽいね、え、部活の部長…?お姉さん、何部だったの…?…帰宅部って…ちょっと待って…ごめ…面白いのと可愛いのと…ごめ…いいね、帰宅部の部長かぁ…。確かに部活入ってないのに部活気分になれるかも…?」
彼はスケッチブックになおも書き綴る。いつもより饒舌に…あ、いま気がついたけど、字もきれい。
生き物の所を人差し指で丸して、私のことも指差す。
「あとは…あ、私の好きな生き物?…そうだなあ…ハリネズミ…かな。でも、あの手足の細さはどうにかしてしまいそうで怖いから、家で飼うことはないと思ってる。動物カフェとか、動物園で充分。」
「あとは、なんかない?…食べ物…教科…色、果物、生き物…あとは何だろうね?意外とありそうで…。」
…もう、思いつかないとか、言いたくない。
もっとこの時間が長く続けばいいのに…。
『『くしゃんっ…。』』
ほぼ同時だった、思わず吹き出す。
それは、冷えてきたと感じないほどに盛り上がったおしゃべりの終わりを告げる合図。名残惜しいけど、彼はまだ体調が万全ではない。
「楽しかったね、おしゃべり。いろんなこと知らないこと知れて良かった。」
残念そうな顔はしちゃだめ…。
早く温かい所に行かせないと…。
「早く、治るといいね。無理しちゃダメだよ?あと少しで治るんだから。それに…高くて嫌だな…って思ってた声が、低くなってるかも…なんて、ちょっとワクワクしない?すごくいい声かもよ…私は前の声も好きだったけど…っと…。」
「えっと…今のは…聞かなかったことにして…。そう、NGな話題…そう、それ…。」
口が滑った。顔が、熱い。
彼はスケッチブックのページをめくる。もう、これが最後のページだ。
「まだ、キミが知らないこと、あった…。ってそりゃそうでしょ、まだまだたくさんあるはずだよ?」
「キミが…好き…って…………ばか……NGな話題って…言ったのに…。ごめんねって…もう…私も…好きだよ…。…っと。」
急に視界がくらくなって、次に見えたのは彼が使っていたペン。キャップが…取れてる。
「あっ…あぶなっ…ペン…ペンのキャップっ…顔に書いちゃうよっ…!」
抱きしめていた手を慌てて離す彼に思わず笑ってしまう。こんな所も彼らしい。
愛しいって…こんな感じ…?
「ほら、もう、行こう?早く治して、低めのイケボでもう一回言って?」
彼は顔を隠して頭を振る。
「だめ?なんでー?、じゃあじゃあ、そのスケッチブック、私に頂戴?」
「だめですー。これは!…もうこれは全部書いちゃったから、私が持ってるの。新しくスケッチブック買ってあげるから。次は使い切らないうちに治るといいね。」
「うん、なんか温かいもの飲みに行こ?」
春の風はまだ冷たい…でもなんか、温かい。
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