希望の一歩

入夏千草

第1話 扉のうわさ

 「ねぇ知ってる?今、有名なあのうわさ」

 こじんまりとたたずむ小学校の、小さな教室のすみっこで、女の子たちがひそひそとおしゃべりしている。

「知ってる!扉でしょ?商店街に出たんだってね。となりのクラスの山田くんが見たって」

「でも中まで入らなかったらしいね。入ればよかったのに」

「もったいないよねー」

「あーあ、あたしの前にも扉、現れないかなぁ」

 授業の合間の休み時間。

 普段のぼくは、いつもぼんやりと窓の外を見ながら、チャイムが鳴るのを待っているんだけど……なんだか気になる話を耳が拾ったんだから仕方ない。

 ぼくはすました顔で頬杖をつきながら、そんな女の子たちの声に耳を傾けていた。

 扉?いったいなんの話だろう。

 女の子たちの声は途切れ途切れにしか拾えない。

 うーん……気になる。

「なぁ、だいちぃ」

 となりの席で、一生懸命ロボットの絵を描いている友だちの肩を、軽くたたいて呼びかける。

「んー?」

「扉のうわさって知ってる?」

 うぅーんとまのびした声でだいちがこたえる。

 だいちのやつ、集中するといつもこれだよ。

 ぼくはしびれを切らして、だいちの描いている絵の前に手を広げた。

「扉のうわさってなんなの」

 だいちは一瞬おどろいた顔をしたけど、すぐにじろりとぼくをにらむと、眉間にしわを寄せてがりがりと頭をかいた。

「逆にはじめ、知らないの?今、学校中で話題になってるよ」

「知らない」

 ぼくはあっさりと答えた。

 だいちはうーんと上を見上げて、言葉を探すように何度も瞬きする。それはだいちが、いつもなにか説明しようとするときのくせなんだ。

「なんかな、なんでもひとつ願いを叶えてくれる扉らしくて、魔女が叶えてくれるとかなんとか……扉の色は赤だったかな、青だったかなぁ。まぁとにかく、願いを叶えたら、扉はもう現れないんだって」

 なんでもひとつ願いを叶えてくれる扉?

 ぼくは丸めていた背すじをすっと伸ばすと、その言葉を何度も何度も頭の中でくり返した。

 もしそのうわさがほんとなら、ぼくもあゆみちゃんと両想いになれるかもしれない……。

 そう思いながら、一番前の窓ぎわの席に座っている女の子を見る。

 頭を少しうつむかせて、さっきからずっと本を読んでいる静かな子。肩までの髪の毛が、窓から入ってくる風になびいているのもおかまいなしに。

「……っておれはあんまり信じてないけど……はじめは純粋だから、信じるよなぁ」

 だいちがなにかとなりで言ってるけど、今のぼくにはまるで届いていなかった。

 ずっとあこがれで、遠くから見ることしかできなかったあの子が、振り向いてくれるチャンスだ。

 ぼくはきらきらとかがやく希望を胸に秘め、胸を高鳴らせた。

    *

 先生の終わりの会のあいさつが終わると同時に、ぼくは教室を飛び出した。

 階段を駆け下りて、校門に立っている先生の間を抜ける。

「先生、さようなら!」

「はい、さようなら」

 空は雲ひとつないかんかん照り。ここ最近は元気そうな太陽が、まるでここにいるよと言うように晴れ続けている。

 今がじとじとする梅雨とはとても思えない。

 いつも通る帰り道を少し逸れて走り抜けると、やっと商店街に出た。

 どこのお店もシャッターが締め切られていて、天窓から差し込む光があっても、商店街は暗くさみしい空気によどんでいる。

 ぼくが初めて商店街に訪れたときと、大して変わらない。もうずっと廃れたままなんだろうな、さみしいけど……。

 女の子たちが話していたのはここだったはず、とぼくはきょろきょろと周りを見回した。すると、ランドセルを背負ったぼくと同い年くらいの男の子たちが、横を小走りで通りすぎて行った。

 うっすらと扉の話をしているのがわかる。

 そっか、みんなうわさを聞いて探しに来てるんだ。そりゃあ、ぼくだけじゃないよね。

 急がなきゃ、誰かが見つけるよりも早く。

 ぼくは商店街のすみからすみまで見て回った。横だけじゃなくて天井や地面も。

 捨てられた自転車、ゴミ、汚れた看板、ラクガキ。見つけられるのはそんなものばかり。

 そこまで広くない商店街の中、何度も何度も同じところを行ったり来たりして、それでも見つからなくて。

 さっきまでの元気はどこへやら。すっかり歩き疲れてしまい、とぼとぼと歩いていた。そのとき、耳なじみのあるチャイムが街に流れてきて……。

 あ、五時のチャイムだ。

 このチャイムが鳴ったら、子どもは帰らなきゃいけないルール。お父さんやお母さん、学校の先生、みんな口をすっぱくして言っていて、ぼくらにとっては当たり前の決まりごと。

 ぼくは空を見上げて、電線に止まったカァカァと鳴くカラスを見つめる。

 もうそんなに時間がたってたんだ、気づかなかった。

 やっぱり簡単には見つからないよね。すぐに見つかるなんて、期待はしてなかったはずだけど……。

 どうやら、思ってた以上に期待はしてたみたい。

「ハァ……」

 うつむいて、重たいため息を吐き出す。

 さっき見た男の子たちはもう見当たらない。しんと静まり返った商店街の中、ぼくはただひとりみたいだ。

 ほんとに扉なんてあるのかな……。

 ふとよぎった疑いを、ううん、と振り払うようにぼくは首を振る。

 扉を見たって人がいるんだから、うそじゃないはず。信じなきゃ。

 ぜったいに誰よりも先に扉を見つけて、願いを叶えてもらう!

 ぼくは決心すると、うんうんと頷いた。

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