第7話 石澤凪沙目線

 石澤凪沙目線。

 声かけてくれたと言っても、たいした内容じゃない。

 枇々木ひびき君はサッカー部で、私はバレー部。体育館脇の手洗い場で一緒になることがあった。

 最初は偶然だったけど、枇々木君の姿を見かけると、小走りで手洗い場に行くようになっていた。


「まだ夏じゃないのにこの暑さ、石澤さんはどうよ、体育館?」

「石澤でいいよ。暑いよ、炎天下とは、また違った暑さ。蒸すっていうの?」


 私が『蒸す』って言うと『げっ〜〜』みたいな顔する。

 そのリアクションが好きだった。私にはこういう軽いトークが不足していた。中学が同じ子たちに、私は避けられてる。瑛太のことで。


 中学時代何度か暴力事件を起こしていた。人当たりはいいが、キレるとなにするかわからない。それがここ最近の瑛太の評価だ。


 あの頃、出会った頃とは大違い。

 中学に入ってしばらくは、話がうまく、面白い瑛太の周りには男女問わず、人が溢れた。

 今では高校で知り合った同級生も、私が瑛太の彼女と知ると私から離れた。


 視線を感じないわけじゃない。

 枇々木ひびき君の彼女。長内さんとその友達――たしか瀬戸さん。それに枇々木君が同じように話し掛ける女子。

 いつも体育館の日陰になるところで、タブレットを持ってる子。同じクラスの飯星カンナさん。家は病院を経営してるって話。


 そんなに睨まなくっても取れないよ。

 知ってる、私だよ私。もう、瑛太は地元じゃ立派な札付きの不良。その彼女。普通で気さくな枇々木君と釣り合うわけもない。

 ホントはね、たぶん。私もそっち側の普通の子なんだよ。でも、なんか色々とね、抜け出せない。


 最近では瑛太のお母さんに「うちで働いてることバレたら退学よね」と笑いながら脅されてるし。

 一体何がダメだったの? ソフトボール続けてたらよかったの? それともバスケ? お母さんに反発したのが運の尽きなの? 

 わからない。わからないけど、長内さんごめん。


 枇々木君は、話しかけてくれるほんのわずかな人。部活以外だと唯一。悪いとは思ってるけど、枇々木君が唯一普通の日常なんだ。


 あと、ズルい計算もある。

 サッカー部って中学もそうだけど、少し独特な集団だと思う。団結力があるし、孤立してる子とかいないイメージ。勝手なイメージだけど。

 だから、枇々木君が単独で瑛太の標的にはならないかもって思ってる。


 だからってセーフじゃないよね、うん。

 いつからこんなズルい考え方するようになったんだろ。そこまで考えて思う。なんでもかんでも瑛太のせいにしてる。

 これじゃ、こんな人を利用することしか考えないんじゃ、瑛太のことは言えない。このしっぺ返しはすぐ来た。その日の昼休みのこと。


 ***

「石澤さん。悪いんだけどちょっといい?」


 長内おさないさんの友達の瀬戸さんと、あと3人。長内さんの姿はない。思ってたより早い。私って、よっぽどの要注意人物なんだとわかる。


 例えはよくないけど、外来魚みたいな扱いなんだ……ははっ笑える。

 しかも、さっきまでいた同じバレー部の子、居なくなってる。巻き込まれたくないからいなくなったのか、それとも瀬戸さんたちが巻き込みたくないから、先に逃がしたとか? 


 もう、これ犯罪者に対してだね。わかるけど。私は瀬戸さんたちに言われるまま場所を移した。


 ***

 くつ箱のすみ。こういう時は校舎裏とかじゃないんだ。昼休みの喧騒。ここでなら、少しくらい大きな声を出しても、バレないということらしい。


枇々木ひびきのこと、知ってるよね。佳世奈かよなの彼だってこと」

 見ようによってはイジメなんだけど、札付きの不良の彼女。相手からしたら、これくらい居ても怖いだろう。私はぼんやり、そんな事を他人事のように考えた。


「それは知ってる」


「石澤さんも、彼氏いるよね。あの

 瀬戸さんじゃない、他のクラスの子。

 ドスの効いた声で言われたけど、いつからか、こういうのに耐性が出来てる。瑛太は入学早々のこの高校でも『例の』扱いなんだ。つまりその『例の』奴の彼女ってわけか、私。


 そりゃ、この扱いも納得しないとだね。それはそうなんだけど、瑛太のせいで変に場馴れしてしまってるし、私の悪いクセ。

 そう反発心がムクムクと目を覚ます。


「そうだけど、なに? 別に枇々木君とは、ただのなかよしなんだけど。話しちゃダメなの?」

 言っちゃった。

 話していいならこんなことにならないっての。ごめんなさい、しとけばいいのに。ここからは女子特有の言葉の総攻撃が始まる。


 そう覚悟してると――

「悠子、これなに!? なにやってんの!?」


 その声の方を見る。

 枇々木君の彼女長内おさないさん。焦った声。引きつった表情からわかった。

 長内さんは何も知らない。いや、私のこと面白くないとは思ってるだろうけど、長内さんの指示とかじゃないのはわかる。

 これ以上、荒だてちゃダメだ。しかし、そうはうまく行かない。


佳世奈かよな、なにやってんの?」

 最悪だ。

 聞いたことないくらい低い声だけど、明らかに枇々木君だ。

「枇々木君、違うの! これは……」


「ごめん、石澤さんはちょっと黙ってて。佳世奈に聞いてんの。なに、こんな大勢で何が気に入らないの」


「別に、私はそんなんじゃ……」

 長内さんはしどろもどろ。当たり前。だって彼女も今来たところ。事情なんて知らない。


「枇々木君、長内さんは関係ないから!」


「石澤さん、かばわなくていいから。これどう見てもイジメだよな、違う?」

 長内さんの言葉にならない声。これはダメだ。誤解を解かないと! でも、頭に血が上ってるのは枇々木君だけじゃない。


「あのさぁ、佳世奈関係ないって言ってるでしょうが。なに、枇々木。彼女よりこの子の言葉信用するんだ。ってか、この子も佳世奈関係ないって言ってない?」

 腰に手を当てた瀬戸さんは枇々木君ににじり寄る。


「この状況で関係ないは通らないだろ」


「だから! 私が勝手に詰めてんの! 元はと言えばさぁ、彼女持ちのくせにヘラヘラ尻尾振ってる枇々木が悪いんじゃないの?」

「別にそんなつもりはない。だいたい、瀬戸。お前って、そんな気が強いからかける!」


 事情は知らない。たぶん、この3人は同じ中学で、翔って子は瀬戸さんの元カレ。

 他のメンバーも知ってそうだから、みんな同じ中学かも。そして聞こえた。誰の声かはわからないけど「それ言っちゃうんだぁ」「最低」と。


 そして瀬戸さんは更にヒートアップ。

 枇々木君のネクタイを掴み、無理矢理自分の目の高さに引きずり降ろす。そして、たぶん長内さんのプライバシーを気にしてだろう。小声だけど、さっき聞いたよりも数段低い声で言った。


(おい、枇々木。私知らないと思ってんのか? お前が佳世奈に。知ってんのか、このバレー部さんは? あと、翔を振ったのは私な? それともうひとつ。翔はお前みたいなクズ男じゃない‼)


 近くに居たから聞こえた。

 いくら昼休みの喧騒にかき消されたとしても。ふたりはそういう関係なんだ。そりゃ怒るわ。

 しかしここでは終わらない。ツカツカと長内さんは枇々木君に近寄り、一瞬にこりとしたのも束の間。

 固く握られた拳を、枇々木君のみぞおち目掛け叩き込んだ。


 だけではない。

 しゃがみ込んだ枇々木君の頭を持ち、躊躇ちゅうちょなくひざで、顔を蹴り上げた。

 目にいっぱい涙をためた長内さんは「悠子に謝れ‼」と言い残しその場を去った。













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