【解答編】

 火曜日の放課後、生徒会室のドアが遠慮がちにノックされた。

「どうぞー、開いてるよー」

 ヨースケがスマートフォンをのぞき込んだまま軽い応対をする。ニーナとタケシはキーボードを叩く手を止めて、ドアの方へと目を向けた。

「おじゃまします」

 十五センチほど押し開かれた隙間からするりと入ってきたのは、前髪を眉毛の上でパッツンとそろえた麻生君だった。胸の前で角形4号の封筒を大事そうに持ち、晴れやかな笑顔で三人に軽く会釈をする。

「会報誌ができました」

「わーい、待ってました」

 ヨースケが弾けるように席を立ち、麻生君から封筒を奪い取った。

「三冊入っていますから、みなさんでどうぞ」

「さてさて、どんな結末になっているのかな」

 ヨースケは再試験の場面を求めて、すでに読んでいる前半部分をぱらぱらと飛ばしていく。

「初めから読んでくださいよ」

「うん、あとでちゃんと読むよ。でもとりあえずは結末が知りたいのさ。あ、あった。再試験の場面はここからだ」

 ヨースケは椅子に腰を下ろすと、広げた原稿を食い入るようにして読み始めた。


   〇 〇 〇


 ―― 略 ――


 曇り空を透かし見る窓を背にして、三人の試験官が横一列に並んで座っていた。一週間前とまったく同じ景色である。

 でも今回は同じ結果にはしないぞ。

 固い決意を胸に秘めたサリーが一礼すると、左端の試験官が顔を上げた。

「所属と名前を」

「シルバーチャームクラスのサリー・マハリクです」

 試験官は手元の資料に目を落とし、小さくうなずいて「座りなさい」と言った。

 背もたれの高い木製の椅子は、座面が冷たく硬かった。

「では、課題作の改良点について説明を」

「はい」

 サリーは軽く目を閉じ深く息を吸い込んだ。

 大丈夫、うまくいく。

「まずは、改良した課題作の『ナカッタコトニの呪文』をお聞きください」

「えっ」「聞いても大丈夫なのか」「おい、きみ――」

 あせる試験官たちを無視してサリーは呪文を唱えた。

 一秒、二秒、三秒待って、サリーは三人の試験官それぞれに視線を送った。

「いかがですか。私が唱えた呪文は、みなさんの記憶に残っていますでしょうか」

「ああ、大丈夫だ」

 右端の試験官が戸惑いながら答える。

「私もまだ覚えている」

 左端の試験官が自分の頭の中を探るような目をして大きくうなずく。

「私の記憶も消えていない。つまり七秒前までの記憶を消去することに失敗したということだな」

 真ん中の試験官は顔も上げず、手元のメモに大きくバツを書き込んだ。

「今から改良点を説明をしますので、結論を出すのは少しお待ちください」

 サリーは軽くせきばらいをして、真ん中の試験官に強い視線を送った。

「前回の失敗を踏まえて、一回唱えただけでは効力を発揮しないように呪文を改良しました。今回の呪文は、三回くり返して初めて、七秒前までの記憶を消去します」

 一瞬の間があり、続いて左右の試験官が同時に「なるほど」とつぶやいた。

「今のように呪文を一回だけ唱えることで、口頭により他者に伝えることができます。その上で、この呪文を実際に使うときには三回くり返して唱えるのだと申し添えるのです。以上が、今回の再試験に向けて行った改良点です」

 左右の試験官が顔をほころばせた。

「良いのではないかな」

「特に問題はなさそうだ」

「ちょっと待った」

 真ん中の試験官がテーブルをバンと叩いた。

「まだ呪文を三回唱えたときの効力は確認できていない」

「はい、ここまでは改良点の説明でした。今から本来の使い方を披露します」

 サリーは自信ありげに言葉を返したが、心臓の鼓動はマックスに達していた。この一週間、呪文の改良のためだけに時間を費やしてしまい、まだ一度も他人に対して試していないのである。この再試験はぶっつけ本番の一発勝負なのだ。

 あとは気合いだ。そう考えたサリーは背水の陣を敷くことを決意していた。失敗すればこの学園を去ることになるかもしれないという荒技だ。

 サリーは後ろに回した両手の拳にぎゅっと力を入れ、真ん中の試験官に向かって「先生のお名前を教えていただけませんか」と言った。

「こいつはあきれたな。きみは試験官の名前も知らないのか」

「申しわけありません。お名前をお願いします」

「バーデンだ」

「ありがとうございます。今回の『ナカッタコトニの呪文』の利用場面は失言の直後を想定しています。なので、よりリアルな状況を作るために今から私は大きな失言をします。その直後に手を叩きますので、バーデン先生以外のお二人はすぐに両手で耳をふさいでください。それを確認した後、呪文を三回唱えます」

「その面倒なやり方にはなんの意味があるのだ」

「呪文を耳にする試験官をバーデン先生お一人に限定するためです」

「なぜ私を選んだ」

「一番厳しい目をお持ちの試験官に、呪文の効果を実感していただくためです」

「ふむ、まあ、いいだろう」

 バーデンはまんざらでもなさそうな表情で椅子の背もたれに身をあずけた。

「では、始めます」

 サリーは椅子から腰を上げ、二歩前進し、息を深く吸い込んだ。

「バーデンのバーカ。偉そうにしてんじゃねーよ」

 バーデンが目を見開きぽかんと口を開いた。

 ぱんっ。

 手を叩く音で左右の試験官が反射的に耳をふさぐ。

 サリーは呪文を三回唱えた。

 そして心の中で三まで数える。

 どうだ?

 サリーの合図で左右の試験官はそっと耳から手を離すと、同時に少し前のめりになり、バーデンの顔をそろりとのぞき込んだ。


   〇 〇 〇


「うわー、ここで終わりなの?」

「今回は本当に終わりです」

「この先が気になるよー」

「そこはご想像にお任せします」

 ニーナは会報誌を机に置き、にっと白い歯をみせた。

「面白かったわ。お話が終わってからの先の展開も含みがあっていいじゃない」

「ありがとうございます。今回は文芸部員の中でも好評でした」

「ちょっといいかな」

 会報誌を読み終えたタケシが麻生君に声をかけた。

「あ、読んでくださったんですね」

「結末がわからないと質問できないからな」

「なんでも聞いてください」

「この結末は、あのときのメッセージを元にして書いたんだよな」

「はい、潤はずいぶん前からあのメッセージを準備して、ぼくからの連絡を待っていてくれたようです」

「教えてくれ」

「はい?」

「あのメッセージをどう解釈すればこの結末が導かれるのか、オレにはさっぱりわからんのだ」

「それ、ぼくも知りたいよ」

「私も気になる」

 麻生君は「じゃあ、なにか書くものを貸してください」と言って、ポケットからスマートフォンを取りだし、潤からのメッセージを受け取った紙に書き写した。

「潤は暗号や言葉遊びが好きで、これまでにも小説の中で何度か暗号を取り扱っています。なのでこのメッセージを見たとき、あ、これはまた暗号だなということはすぐにわかりました」

「それはぼくに想像がついたよ。解けなかったけどね」

「潤が好きな暗号を扱った小説の一つに、乱歩の『二銭銅貨』があります。『二銭銅貨』では最初に複雑な暗号解読が行われます。その結果として現れた文章自体が、また暗号になっているという凝った構成になっているのです」

「ふうん、そうなんだ」

「乱歩か」

「二銭銅貨ね」

 ヨースケにはピンと来ない説明だったが、ニーナとタケシはその小説を知っていた。

「潤のことだから、もしかするとこのメッセージも二重構成の暗号かもしれないと考えて、あれこれいじくっているうちに解けたんです」

 三人は麻生君が書き写したメッセージに顔を寄せた。


 さごいはちゃとんおわるのかしぱいんかい?

 このヒトンでとけないなら

 どくじのエンドをつるくしかないね


「あ、そうだった。これってタイポなんたらっていうんだよね」

「タイポグリセミアですね。まずはすべての単語を正しい文字配列にしてみます」


 さいごはちゃんとおわるのかしんぱいかい?

 このヒントでとけないなら

 どくじのエンドをつくるしかないね


「へえ、こうやって並べて比べてみても、ぱっと見た感じはまったく同じ文章に見えるよ」

「ほんと、変な感じだわ」

「タイポグリセミアか」

 麻生君は三人がじっくりと文章を見比べるのを待った。

「次に、二銭銅貨と同じ手法で、決まった字数を飛ばして文字を拾い、意味のある文章が現れないかを探しました。結論から言いますと、五文字ずつ飛ばすと別な文章が現れます」

 そう言いいながら、麻生君は文章に傍点を打った。


 いごはちゃとおわるのしんぱいか

 このヒンでとけない

 どくじのンドをつくしかないね


「わかりやすいように、六字ごとに改行してみましょうか。先頭に来る文字を順に読んでください」


 さいごはちゃ

 んとおわるの

 かしんぱいか

 い?このヒン

 トでとけない

 ならどくじの

 エンドをつく

 るしかないね


「さ・ん・か・い・ト・な・エ・る。おお、三回唱えるだ」

「そのまんまね」

「なるほどな」

 タケシは胸の前で組んでいた腕を解き、右手を麻生君の前に突きだした。

「なんでしょうか」

「握手だ」

「え? どうして?」

「なんとなくだ。あえて言うなら相方との仲直りおめでとうだ」

 麻生君は「それはどうも、ありがとうございます」と言いながら、ぎこちない動きでタケシの手を握った。

「変なの」

 ニーナが笑う。

「変だけど、なんだかいいよね」

 ヨースケも笑う。

 それにつられて麻生君とタケシも照れくさそうに笑った。


 麻生君が去り、生徒会室にはしばしの静寂がおとずれた。

「よく考えてみるとさあ、ぼくたち、なんにもしてないよね」

「どういうこと?」

 ヨースケのつぶやきにニーナが首をかしげる。

「麻生君から『小説のの結末を考えてほしい』って相談を受けて、どうしたらいいのかなあって思ってるうちに伊藤君からヒントの暗号メッセージが届いて、それを麻生君が自分で解読して、そのヒントで小説を完成させちゃったでしょ。ぼくたち、小説を読んで面白いねって感想を言っただけだよ」

「それの何が問題なんだ? そもそもオレたちは何でも屋じゃないんだぜ」

「何でも屋じゃなくて、よろず相談室だよ」

「だから、ここはそういうんじゃないって――」

「ちょっとまって、何もしなかったわけじゃないと思うよ」

 ヨースケとタケシのやりとりにニーナが割って入った。

「麻生君が伊藤君からヒントをもらえたのは、タケシが『相方にはちゃんと謝った方がいい』ってアドバイスしたからだよね」

「あ、そうだった。うん、そうだよ。今回はタケシのおかげで一件落着ってことじゃん。やるなあタケシ」

「バカかお前ら。オレはあいつのはっきりしない態度に腹が立っただけだ。無理矢理よろずなんとかにオレを巻き込もうとするな」

「またまたあ、照れちゃって」

「おい、いいかげんにしとけよ。それ以上ごちゃごちゃ言ったら――」


 今月の業務日誌はニーナの担当だ。

 どんな風に書こうかな。

 ヨースケとタケシのいつも掛け合いを横目に見ながら、ニーナは書き出しの文章をあれこれと考えていた。

 よし、これでいこう。

 ニーナはノートパソコンの画面に業務日誌のファイルを呼び出すと、カタカタと文字を打ち込み始めた。


 〈火曜日の放課後、生徒会室のドアが遠慮がちにノックされた。〉

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QA学園生徒会執行部の業務日誌 @fkt11

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