被虐嗜好勇者の逆襲

ばち公

被虐嗜好勇者の逆襲

「どうして、どうしてなんだ勇者! なぜ、貴女がこんなことを……国を、彼女を!!」

「先に私に酷いことをしたのはそっちでしょ? 勝手に召喚して勇者にして、戦えって。とても怖かった、辛かった、痛かった――」


 私がそんなセリフを無表情のまま淡々と吐いてみせれば、彼は苦しそうに俯く。

 私はそれが可哀想で、ほんのちょっぴり羨ましい。


「――なんてね?」


 もちろんこの私・・・が、そんなことで傷つこうはずもない。


「え?」


「だって、こっちの方が気持ちよさそうだったんだもん!」


 世界中から向けられる悪意や敵意、あるいは殺意、憎悪に嫌悪、おまけに憤怒。


――正直、めっちゃくちゃ興奮する。


 私は魔王。ちょっとばかり趣味が他人とは異なった魔王。

 そして天に認められるほどの勇者でもあった。

 時は暫し遡る……。




 私は月の無い夜半にこの国に召喚された。戦う術はない。勇者として召喚されただけの、ただの平凡な女だ。


「勇者よ、早く我々のためにあの魔物を殺してきなさい」

「怪我をするとは情けないな」

「役立たずめ、なぜあいつを倒せなかった!?」

 云々。


 それはもう、酷い扱いを散々された。


 周りには、怯えられ拒絶され見下された。それどころでなく陰口を叩かれ、理不尽な嫌がらせを散々受けた。こちらを人間として、対等に見てくれるような者は誰一人としていなかった。

 その割に、戦え、この世界を救え、というのだから失笑である。


 彼らは武器一つ握ったことのない私に伝説のナントカの武具を装備させ、私に敵を惨殺させた。

 戦いは厳しく、苦痛に満ちていた。私は独りそれを背負った。この国のために。人々のために。

 誰もかれもが、私に戦えと言った。

 申し訳ないと謝る役人も、涙とともに頭を下げる聖職者も、あとなんかそういった罪悪感とやらに駆られて私に寄りつく者もいくらかいたが――結局はこの国と、自分たちの命だけを考えて、私が武具を振るうことを望むのだった。


 私は、それはもう興奮した。


 人々の後ろ暗さを一身に受けている! 謂れ無いことを命じられている! 可哀想な目にあっている!

 ここは現代社会の道徳も倫理もない世界! 誰も私の命を庇わない!

 私はこの世界の異物なのだから、神すらも私を見ていないに違いない! あらゆる存在が私を人として見ていない!


 どれも、平凡に生きていれば生涯起こりえない体験だ。

 最高にゾクゾクした。あらゆる悪意を、蔑みを、謂れの無い暴言を、可哀想な傷を私は背負っている。これぞ国の生贄。最高。


 私はこういう性癖なのだった。マゾというには異なるだろう。

 なんの情もないこっ酷い扱いや、侮蔑、人から向けられる悪意や敵意、それに伴う傷や痛みがめちゃくちゃ大好物なのである。正直興奮する。

 勇者!! 最高!!



 ――と。

 こんな私の内心はさておき、私はまったく従順という言葉を絵に描いたような勇者だった。

 命を削る私にとっては、何の糧にもならない言葉や命令。かけられるそれらに文句一つ返さず、せっせと彼らが言うがままに働き、戦った。

 魔物は躊躇なくぶち殺した。あいつら知能レベル低いからな、興奮できない。


 私をこき使ってきた彼らは、いずれ、私に期待を寄せるようになっていった。


「勇者」

「勇者様」


 波のようなささやき。称賛と憧れの視線。


「さすがです、あんなにも強い相手を倒すなんて!」


 私はこの世で最も強い存在となり、あらゆる戦士が私に一目置いた。


「救世主様、私たちをお救い下さい――」


 私はこの世で最も眩い存在となり、あらゆる民草が私を拝む。


「俺も貴女のようになりたいのです」


 実直な騎士の青年でさえ、命と仲間を救われたと感謝し、目を輝かせて私を慕う。



 しかしこんな状況でも、彼らは躊躇なく私に命を張らせる。

 なぜなら自分達は死にたくないし、私が死んだら涙を流して悔やめば、それだけで済むからだ。

 どいつもこいつも、最高である。尊敬する勇者様に、憧れの救世主様に、そんな行為ができるのだから――。

――そして、私はそこでひらめいた。


 この状況で裏切ったら。

 死ぬほど皆から恨まれるのではないか?


 想像だけで非常に興奮して、頭のなかをぶわりと情熱が駆け巡る。心が昂りのあまり爆発しそうになり、呼吸困難にまでなりかけた私は、すぐさまそれを実行した。炎に舐められたように心臓がばくばくしていた。恋みたいだった。




 時は『顕現祭』。『天の使い』が大神殿に舞い降り、勇者たる私の額に、聖痕を施してくれるのだという。

 聖痕、ほんのちょっぴり胸をくすぐられる響きだが、今の私の胸のトキメキに敵うものではない。


 国王、姫、重鎮や騎士、称号持ち達が並び揃って、この儀式を見守る。

 周囲より一際高い檀上で、私は天の使いを待つ。私が勇者と認められたら、天は使いを遣すのだという。


 天井にほの近い位置にある、あらゆる色をはじく不可思議な材質の丸ガラス。そこから現れたるは、清い濃霧で丹精に拵えたかのような女性だ。形質はともかく、人そっくりの外見をしている。長い髪は風も無いのにやわらかく扇状に広がり、そのほっそりした手には、彼女の人差し指ほどの太さもないだろう、金の杖が握られている。それだけは、馴染みある材質に見えなくもない。

 彼女は床に降り立つと、その杖の先端を私に向ける。


 これを持って、私は歴史に名を残す勇者となる――。


 私は少し微笑んで。私を見守る人々を振り返る。

 居並ぶ彼らは一堂にきょとんとしてみせる。私に頷き返す者もいれば、優しく微笑み返す者もいる。

 そんな優しき者の一人――姫君に、私はそっと手を伸ばす。彼女はにこっとしたまま、不思議そうに首を傾げる。

 また、その隣には、彼女の幼馴染の騎士がいた。彼は勇者たる私のようになりたいと語っていた、実直で優秀な若者だ。

 二人は気立ての良い、美男美女。誰もが見惚れ、羨むだろう素晴らしい関係だ。


 うら若き、身も心も美しい姫。貴女のような人が、私の未来、祝福の舞台にはふさわしい。


 私は一息に能力を使い、彼女を自分の腕の中に呼び寄せると、わけが分からない、という顔をした彼女の後頭部を鷲掴む。

 そして、天使の持つ金の杖、その先端に、彼女の額を押し付ける。


 あとはパッと手を離してしまえばお終い。

 負荷に耐えかねた彼女は、いっそ無色透明に見紛うほどの白い業火に身を包まれ、人の声とは思えない悲鳴を上げる。

 大きく開かれた口、眼窩、その全てから目も眩むほどの閃光を発し――


 その光が収まったころ、彼女はその場から消えていた。


 残ったのは、豪奢だが子ども趣味な桃色のドレス、それから見る者全てを魅了した、ブロンドヘアーの残骸だけだ。私の舞台に散っているのはそれだけ。

 あとは何もない。肉も、骨も、皮膚も。欠片もない。


 私は思わず笑った。

 最高に気持ちよさそうで、それが羨ましくて、そして、それ以上の快楽が私を待ち構えていることに嗤う。


 私はゆっくりと振り返り、私を茫然と眺めるだろう彼らに、そして取り乱し喚き上げる騎士に、視線を落とす――。





「魔王様。ご加減いかがですか?」


 そして私は今、あの国と真っ向から対立する国の王――魔王として君臨している。


 私は恨まれている。世界で最も恨まれている。当然だ、人々の大事な家族や友人、仲間を殺し、痛めつけ、その生活を脅かしている。私はこの国の外の奴らにとってみれば、途轍もない悪だろう。


 私を討伐するための軍隊が、世界各国の協力のもとで組まれているらしい。

 中心人物は、もちろん彼だ。

 私を慕い、裏切られ、大事な人を目の前で殺された、あの若い騎士の男――。

 彼は世界中の善意を率い、衆望に後押され、光として、私を打ち倒しにくるだろう。


……世界中の人が、私を。そう思うだけで、とても気持ちが昂ってくる。

 しかし、私を真っ向から殺しにくるだろう騎士についてはまた別だ。想像するだけで、胸が恋のように高鳴る。こんなこと久々だった。心地良くすらあった。


「何を考えていらっしゃるのです? ――まさかまた、あの、」

「ええ。彼よ」


 側仕えにしてやっている男は、端正な顔を、嫉妬に醜く歪ませる。そして私を睨む。なぜ、と。


 こいつは以前からこの通りの男だった。なぜか私に傾倒し、命を賭けたいとまでのたまってみせた。

 私を都合よく繰ってみせるあの国の中では、かなり変わった存在だった。


「貴方は私が守ります。守らせて下さい。私は貴方とずっと共にいたい、傷つけたくないのです。どうせならどこか、楽園のようなところへ貴方をしまい込んでおきたい。私と、貴方だけの世界ですよ。クローゼットより暗く、ベッドより柔らかなところですよ」


 彼はあの国にいた頃、しばしばこうしたことを口にした。誰もいないところへ、害のないところへ私を閉じ込めたいと夢のように想い、時たまそっと言葉にして語る。語るうちに熱に浮かされたようになる。

 国で苦しむ私を守りたいと、そう言うのだ。


(守るなら、あいつらを消せばいいのにね)


 私を手酷く扱う国の奴らのことを、私はひっそりと思い返す。なのにこの男は、そんなこと一つしやしない。したくないからだ。


 彼は己が愛に生き、愛のために戦う者だと思っている。愛しか見えてないメクラだから、自分のことも見えなくなってしまったのだろう。

 こうして少し喜劇的だから、私は彼といるとたまに楽しい。全く恋い慕えないが。


──溺愛してくれる完璧イケメンだが、残念、気狂いはノーセンキューだ。


 愛さえあれば何をされても大丈夫かと、そんなわけがない。許容できない。私はもっともっと壮大な喜びを知っている。彼では私の喜びにはなれない。その程度の男でしかない。

 端的に言うと、彼は好みじゃない。

 かわいそうに、死んだって泣けない。


「あの男がよいのですか。あんな、貴女を苦しめる、あいつが! 私はこんな、こんなにも死ぬほど貴女を想っているのに!! あいつを殺すしかないのですか!? 貴女の為ならなんだって、なんだってする、なのになんであいつを!!」

「違う。間違ってる」

「え?」

「あのね、私が貴方を愛せないのはね、貴方が悪いの」


 男は跪いたまま愕然と唇を戦慄かせる。


「あ、」

「取るに足らない程度の魅力しかない貴方が悪いの。顔と知能以外いいところのない、性格に深みがない、気狂いでまともな恋もできない、好きな私を自分の想いの奴隷にしたがる、貴方だけが悪いの。私に一欠片の喜びも与えられない、くだらない、取るに足らない貴方のせいなの。

「なのに自分に愛される価値があると思って、それを私に求めて、そんなはずがないでしょ? 気持ち悪い思考して、すぐ短絡的に殺すだのなんだの、私はね、それだけじゃだめなの。貴方は、そこで全て発散させて、終わらせてしまうからだめなの。足りない、貴方じゃ私に全然足りない」


 世界中の敵意を率いて私を殺しにきてほしい。彼は善意を連ね束ねてここへ来るだろう。貴方にだってそれができる。貴方は悪意の頭となって私を殺しに来ればいい!


「ほら、復唱して? なんでもできるなら、復唱して?」


 自分は無価値で、取るに足らない存在ですってさ。

 今私が言ってみせたことを復唱してみせろよ!!


 私は彼の顔面を靴底で蹴飛ばした。


 私を愛しているのなら、私を興奮させてみせろ! 悦ばせろ! 笑わせろ! 私のこのへきは理解しているだろう、ほら、愛されたいという欲目を捨てて、私の望むことをしてみせろ!


「自分を、自分の頭の中以外を愛していないお前に、それができるものならな!」



 それからしばらくして、あの男の自殺体が見つかった。

 最期までこれか、と私は一瞬だけ思った。


 私を恨んで、あいつらに汲みするとかすればよかったのに。




 それから時は等しく過ぎ、やがて魔王は追い詰められた。

 当然だ。全世界対、大したモノがあるわけでもない一国家だ。やっていくにも限度がある。私がどれだけ細々こまごまと手をかけても、それはしかたのないことだ。

 私が本気を出して他所の領土でもなんでも奪い取ってみせていれば違ったのだろうが、私にそんな趣味はないのだ。


 人々は勇者たる私が魔王になったことについて、様々な声を向けた。


 あの女は紛うことなき悪だ、殺せ。

 国からの待遇が悪かったに違いない、彼女も被害者なのだ。

 あのような者が天から選ばれたなんて、私達が信奉してきたものは偽の神に違いない。

 勇者召喚なんて技術を独り占めするなんてズルいではないか。

 いや、そもそも召喚自体が非人道的な行いだ。

 自分が辛かったといって、世界を巻き込む言い訳にはなるまい。

 元々頭がおかしかったのではないか?


 などなど。

 ある意味最後の発言なんかかなり正しいが、まあいい。

 こういう声に耳を傾けて、ぞくぞくするのも私の大事な仕事の一つだ。


 それにしても、私含めて人というのは随分と自分勝手な生き物だ。まるで他人のことなぞどうでもよく、己のことしか考えていない。相手を善人にも悪人にも塗り替え、かと思えば、気まぐれに慈悲慈愛の化身になりかわる。

 いや、だからこそ私は人間が好きだ。利己的で自己中心的で、慈悲深く、罪科の意識に弱い。そんな人間が――。

 彼らのような者が持つ悪意や敵意だからこそ、私は興奮できるのだ。


 私に向けられる憎悪について考えるだけで心穏やかになり、自然とゆるく微笑が浮かぶ。

 この立場は最高だ。天国だ。魔王!! 最高!!

 それにしても魔王というのは本当に素晴らしい職業だと思う。皆一度はなってみるべきだろう。


 そんな何度目とも知れない思考に恍惚と浸っていると、謁見の間に、一人の兵士が飛び込んでくる。


「大変です、王!! 敵が、敵が攻めてきました!!」


 私は笑った。


「来たか」



 私はあの騎士と対峙する。

 そして場面は冒頭に戻る。



「だって、こっちの方が気持ちよさそうだったんだもん!」


 唖然としたあと、私の肌を撫でる、惚れ惚れするほどの殺意。

 私はこの殺意と、冷えた夜気に浸るように目を閉じる。


 時はすでに遅い。彼が来る前、私は僅かばかりに窓から外を眺めた。主に夜空を見た。青くさんざめく星ばかりが夜空に敷きつめられていた。

 月のない、何時よりも暗い夜である。燦々たる星々はこんなにも騒がしいというのに。

 さてなんという皮肉か、私がこの世界に喚ばれたのと同じ空――。


 私は瞼を開ける。騎士は剣を振りかぶっている。想像していたよりも早く、私よりも遥かに遅い。

 そして恐らく私以外の、この世界の誰よりも無駄の無い剣筋――。


「――っ、ゆう、しゃ……?」


 私は、息を吐く。


「が、はっ……」


 衝撃に口が閉じず、唾液が零れる。それより酷いのは、腹の刺し傷に違いないけれど。


「なぜ、なぜ避けなかった……!? いや、なぜわざわざ死ににきた!? あなたならこの程度、簡単に避けられただろうに!」


 騎士は悲痛な声をあげる。私を殺しに来た者のセリフではないだろうと思った。いや、彼は私を殺せるとは思えないまま、ここに来たのだろうけれど。本当に愚直な男である。人々が好む、物語にでも出てきそうな。

 だから、ここで殺してやってもよかったのだけれど。


「……私は考えた。ここであなたを返り討ちにして、更なる憎悪を煽ってもいい、しかしそれだとさすがに絶望に繋がってつまらない。私に敵う可能性があるのなんて、あなたくらいしかいないからね……」


 私は、腹に刺さったままの騎士の剣の刃を掴んだ。ひんやりとして、濡れるように光る美しい剣身だった。私の手も、触れたところからすぱりと傷が入る。冷たくて、痛くて、落ち着く。


「そこで私は選んだ。死後も世界に恨まれる方法。災厄の種を撒いて、人々が私を嫌う方法――ひひっ、さいっこお……」

「待て、あなたは何を」


 私はそこで血を吐いた。もはや熱いのか寒いのか分からない。久々の感覚だった。勇者をしていた頃には何度となく味わった、この苦痛。幸せ混じりに心地よい。あたたかい。かなしい。うれしい。

 生きている、そう思う。


「ああいったいなぁ、最高じゃん……つよくなったよ、ほんとう。私ほどじゃあないけどね……。でも、最期まで私をあなたってよぶんだね……」

「もう俺は、あの頃の脆弱な俺ではないから」


 騎士は殊勝にもそんなことをのたまう。私はつまらない。「ああそう、」と思わず不機嫌に呟く。

 しかしあの絢爛な幕開けに対し、こんな白けた終幕は誰にも認められるまい。


「じゃあ…さいごにひとつ……」


 にんまり、と口角を上げれば、口内に溜まっていた血が端から流れ落ちる。



「おまえの姫の死にざま、さいっこうに興奮したよ!」



 騎士はかっとなって、剣を魔王の腹から引き抜く。そのまま彼女の胸を切り裂こうとして――直前で、その手を止めた。

 だらりと、獲物が床を打つのも構わず、手をおろす。


 彼女はすでに死んでいた。

 安らかな顔で、幸せそうに微笑んでいた。


 彼女はもう何も言わない。まるで勇者であったときのように。

 世界中から恨まれた魔王は、もういない――。




 魔王が死んでからしばらく。

 騎士は、捕虜と顔を合わせる機会を設けた。どうしても、魔王が治めていたこの国の人間と、直接対話がしたかった。

 彼らは、彼女のことを『王』とだけ呼んだ。

 どうやら世界中の予想に反して、彼女は彼女の国を外から閉じながらも、うまく治めていたらしい。


「他国は彼女を魔王と呼びましたが、私達にとっては、彼女は歴とした王でありました。外には悪辣であったでしょうが、内には善政を敷かれました。それはそちらも知っての通りでしょうけれど」


 捕虜は淡々と続ける。


「だからこそあなたたちは光でも正義でもない。ただただ、私たちの敵でしかありません。正直な話、あなたたちが彼女に痛めつけられたのは――ただの自業自得だとさえ考えております」


 騎士の目元がぴくりと動く。周囲ががたりと気を荒げるなか、捕虜だけが冷静であった。


「無礼打ちは覚悟の上です」


 騎士は周囲を諫め、捕虜に続けるよう促した。


「――冷静な方ですね」

「俺のことはいい。今は彼女について聞きたい。あなたは知っていたのか? 彼女がなぜ、あなたの国の王を――」

「知っておりますとも。彼女は何一つこちらの事情を知らなかった。都合がよいから、そしてあなたの国と対立していたから、という理由で、私達の王を弑したのです」


 ならばなぜ、と問うより先に、捕虜は痛切な色を乗せた目を伏せる。


「しかし、それでもよかった。

「彼女だけだったのですよ、おかしな王に支配され、周りには相手にされず、物資一つこない。そんな私たちを助けて、救って、利用してくれたのは、彼女だけだったのです」




 捕虜は連行されていった。


 彼が彼女に感謝していた事実からも分かるが、すでにこの国では、王を殺したことについての抗議運動が起こっている。

 騎士の故国にも彼女に心酔していた者がいたが、彼女の存在は、この世界にとってあまりにも強大だった。魔王たる彼女を崇拝する団体もあれば、彼女のような召喚勇者を求める動きも存在している。

 魔王に対抗するため世界中に繋がりが生まれたのだが、これらの横に広がる活動は、その弊害といってもよかった。

 どれも、世界規模で見れば少数派であるが――。


 一人取り残された騎士の脳内に、彼女の言葉が蘇る。


『死後も恨まれる方法』

『災厄の種を撒いて、人々が私を嫌う方法――』


 騎士は目を伏せる。


 人々を助け、騎士と仲間の命も救った、天の使いに選ばれし勇者。

 国を裏切り、姫を殺した、未来永劫恨まれ、呪われ続けるだろう魔王。


 そして、それを倒した勇者。

 今は、この若き騎士がこの世界の勇者だった。


 彼女は確かに狂っていたが、それでもあそこまで狂わせたのは、狂うことができたのは、あの環境のせいだろう。

 人々の無数の視線。

 鍛えることなく手に入れた力。

 躊躇なく生物の命を狩らせる環境。

 その勇者を肯定する国と人。

 彼女は市井にさえいることができれば、こうも惨たらしく散るような最期を迎えずに済んだに違いない。人々も、姫も、無駄に死ぬことはなかった。


 彼女は恨まれることに固執したが、騎士はもうそこまで彼女に憎悪の想いを抱いてはいない。

 魔王でもなんでも、騎士にとって彼女は唯一の勇者だったのだ。


――そして、それがよくなかったのだろう。あらゆる事情を横に退けてしまうほどの特別視が。


 今になって、ようやくそれが分かったのだ。全てが遅かった。


「勇者様、そろそろ、」

「勇者は止めてくれ。そんな生贄みたいな呼び方、俺は好きじゃない」

「え?」

「俺は騎士だ。ただの、一介の」


 勇者召喚は止めさせる。この称号ももういらない。世界に、人々に彼女を注視させた、このシステムは必要ない。


 これが彼にできる、今は亡き勇者への餞で。償いで。謝罪で。


 そして、恨まれたがりの魔王への、ささやかな復讐でもあった。

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被虐嗜好勇者の逆襲 ばち公 @bachiko

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