第3話 火星まで後25日

 長距離航行の合間は、何をどうやっても毎度クサクサした気分になる。

 なんで?理由は?


 決まってるだろ。暇だからだよ。


 火星まで俺たちは大体マッハ50の速度でぶっ飛んで行ってる。


 あ~。大体だが、大気圏内で地球人が目にする、最高に速い物体と言えば、大気圏内対応のミサイルの類だろう。


 いや、実際には目にできないか。マッハ20を超える何かは、高度2万メートル位でも、横に動いたとして、地表近くでは、空が全く開けている快晴であっても、瞬間で視界の端から端に飛んで行ってしまう。


 そして、そんな速度で大気圏内を飛べる物体は、大体が凄く細く薄く、ちょっとした長さの構造にできている。


 でないと、大気とぶつかった際の衝撃でできるコーン状の衝撃波の煽りで空中分解する運命にあるからだ。


 まあ、大気とぶつかった衝撃で生成されるプラズマはそれなり以上に目立つので、チカっと光る何かが視界を横切ることはあるだろう。


 隕石の様な空力学的に問題のある物体は、大気と激しく摩擦を起こして、そんなに速度は上がらないままに燃え尽きるか、少量ならば地表に到達するかも知れない。でなければ、地表に激突して大惨事を起こす大きな隕石による爆撃になってしまうだろう。


 簡単に話してみれば、宇宙を航行する速度と言うのは、地球に住んでいる者たちが考えるよりもずっと速いと言う事だ。


 そして、俺が今感じているストレスだが、その俺たちが火星に向かう速度がたったのマッハ50だと言う事なのだ。


 さっきも言ったが、俺たちの乗っている巡洋艦と言う代物は、搭乗している人間の事を考えなかったら毎秒150Gの加速度を実現する。

 俺にしても、初めての実戦では常時50G、節目節目ではそれ以上の加速度を発揮していた。


 そうなんだ。50Gを1分間継続すれば、静止状態から秒速30キロメートルになる。

 マッハ882だ・・・。今の艦隊中心の進行速度の17倍以上と言う事になる。


 じゃあ、何故こんな鈍足で進んでいるのか?


 その理由が艦隊の中心部にある。

 俺たちが球形に近い、火星方向の半球だけが分厚い陣形配置をしている理由が。


 そこにあるのは、最重要の防御価値を持った軍艦たちだ。

 もっとも目立つ高価値艦は、球形陣の中央に鎮座する揚陸母艦カリガンだろう。


 それは巨大な直径600メートル程の球形の中心ブロックがあり、それを囲むリングに直径200メートル以上の6個の馬鹿げた大きさの円筒形の居住、格納ブロックを備えた怪物なのだ。


 質量は1G下で2200万トン。ゼロG環境以外では存在しえない巨大構造物だ。


 ただし、機動力はと言うと、最大でも4G加速が限界であり、それ以上の急激な加減速を加えると、艦のあちこちが分解する可能性が高いと言う、機動力面では問題児と評するしかない代物だが、実際には異様なまでの個別防御兵装で防御面の補いを付けている。


 同じく高価値でも、加減速のしっかりできる軍艦もある。


 高速補給艦でもある、ナノ鍛造装置を船体に組み込んだ工作母艦キュクロプスなどは、巡洋艦には及ばずとも40G以上を発揮できる。やはり中の乗組員の事を考えなければだが。


 特に優れているのは、この艦隊に4隻配備されているアレクサンドリア級の惑星間フェリーだ。元来が旧いA級巡洋艦を改造した船なので、普通に80G位の加速は出せる。


 このアレクサンドリア級惑星間フェリーには、高度な医療設備も付随しており、1隻あたり6人までの重傷患者を、それこそ徹底的に再生する事も可能だ。


 高加速シェルも客室様に20基づつ備わっている。(ただし、重傷患者の収容時には高加速はご法度なのだ。加速で簡単に死んでしまうだろうから。)


 オーリガ、アンバサダー、アセンダント、イーオンの4隻は、主に病院船と今回の遠征が長期戦になった場合の人員交代や人員後送任務のために随伴している。


 現在も就役している元A級元巡洋艦は24隻で、残りも超高速フェリーや輸送艦として地球圏での各種業務に携わっている。


 問題なのは、現在地球圏で軍隊に尻尾を握られている高加速対応の宇宙生活者は、本土に残っている連中と、ここに居る俺たちだけだと言う事だろうか。


 総勢で300名程度、対する火星の宇宙戦士は大体100名前後だと言われている。


 その100名の全員が熟練者だとは思えないので、俺の様に御守付きのひよっこ、半一人前の奴もいるだろう。


 可動全艦艇は70隻そこそこだろうか。

 けれど、現存している火星側のほぼ全ての宇宙戦士が高加速対応の宇宙生活者だと言うのが凄い。


 実はこれには悲惨な理由があるのだ。(つまりは、高加速対応の宇宙戦士だけが今も生き残っていると言う事だ。)


 かつての火星にはもっと沢山の宇宙生活者が居た。今はそれ程でもない。


 まあ、地球圏の合計130億程もいる人口の内、高加速対応型の宇宙生活者は多分500人前後。

 火星と周辺の小惑星帯に潜んでいる連中は合計300万人程度で100名。


 元来から宇宙生活者オンリーで設立された国家だったとしても、この差は無いような気がする。


 後100年経過した後だったら、地球圏は巡洋艦の保有数で圧倒的な差を付けられていただろう。

 しかしながら、宇宙生活者と言うのには一つの欠点がある。


 人数が増えにくいのだ。


 多分だが、宇宙生活者は長命な人類なのだろう。記録では、最初に見つかった宇宙生活者の先祖は21世紀中ごろに発見されているのだが、その最初の一人が今も存命と言う事で、ほぼ100年間経過しているが、今も外見は30代程度で、凄く健康的に暮らしているのだそうだ。


 そんな長命な人類であっても、男の方が種を作るのは好き放題にできたとして、女性の方の卵は生まれた時から死ぬまで増えないのだ。


 保健体育の授業でAIの教師が言ってただろう?女の卵巣内にある卵子は生まれた時に既に数が決まっていて、排卵のたびに減っていくのだと。


 あれは俺たちであっても変わりない。だから、この世界の宇宙生活者に生まれた女性たちには、月経と言う生理が存在しない。


 普通の人類は、アンチエイジング技術の発展で健康寿命が既に150歳を超えているとされるが、それでも妊娠可能な年齢は高い場合でも60歳そこそこだ。


 子宮に滞留した精子に対して、女性が排卵して受精する事はある。月経を迎えていない童女が貧困国家で妊娠する事例と同じだ。


 しかし、そんな事例は非常に稀なのだ。普通の場合は・・・。


 そんな事情であっても、俺の様な者は現実に生まれているのだし、母と俺自身は顔も知らない父が同棲していたのは、たった2か月だったとも聞いている。


 あの母のタフネス(主に格闘技訓練と体力育成訓練と言う名目の虐待に際しての)を考えると、父親と蛇の交尾みたいに一日中つがっていたとしても不思議には思えない。


 母親の性生活なんか、子供が考えるものではないだろうが、イメージとしてはそんな感じだ。


 それともう一つの問題がある。


 俺たち宇宙生活者の内でも、とりわけ宇宙戦士と呼ばれる改造人間たちは、人工血液のおかげでゼロG下でも、骨格からのカルシウムの流出や筋肉の衰えが全くない。


 なんなら、運動なんかしないでも筋肉の量は全く減らない。


 俺たちの体温が生み出す熱量や加速による血液への圧力に反応して、血液の中の奇妙な蛋白連鎖が生み出すバイブレーションを発生させ、低周波トレーニングマシンと同様の効果を生むのだそうだ。


 その割には、一切宇宙服やキャビンスーツは振動しないし、耳鳴りすら生じないのだが、不思議なもんだ。


 話を戻そう。それがどんな問題を生むのか?


 大問題を生む。


 地球の様な1G環境下で暮らす女性であっても、低重力環境下で暮らす女性であっても。

 俺にしてみれば、泥人形かと思う位に抱き心地に違和感がある。


 正直に言うと、俺は女性をへとへとにさせてしまう。持久力でも瞬発力でも、俺たちは常人を軽く外れている。耐久力はいわんやおやだ。俺たちは骨折なんかしないし、木刀で殴られても痛い以外はそこそこ平気だ。

(だから、俺の母親は俺の根性を鍛えるために、ガキの頃から短めの鉄パイプでお仕置きしていた訳だ・・・。)


 そんな俺だから、普通の女性を抱いても満足感はなかった。

 女性の方も、肉体的に疲れ果ててしまう相手との長期間のお付き合いは御免みたいだった。

 女性にとっての俺は、身体に打ち付けられる機械みたいに思えただろうな。


 そんなこんなで、俺は長期間の間、女性とお付き合いした経験がなかった。

 俺だって、相手が苦しむ事は絶対にやりたくなかったのだし。


 ああ・・・またこのループか。


 こんなに長い間待機となると、必ずあいつの事を思い出してしまう。

 俺の人生に後悔する事は多い。(まずは酷いスパルタ母の息子に生まれてしまった事から始まっている。)

 そんな中でもあれは、俺の人生で痛い目に遭った経験の中でも、多分現在まででは1番か2番の痛い目だった。


 人生で初めて付き合った宇宙生活者、いや宇宙戦士の女性。


 以前に就職していた宇宙開発企業が巣くっていた雑居ステーションの中で暮らし、元アステロイドの岩塊を、ひたすら削っては牽引し、ナノ鍛造装置にぶち込む為にピストン輸送で宇宙を飛び回っていた毎日。


 それはそれで楽しく、遣り甲斐があった日々だったが、それが突然に変わった。

 場末の採掘企業が屯する何てことない宇宙ステーション。そこに現れたのは俺の求めていた異性だった。


 キラキラ輝く凄い鳶色の双眸がまず俺の視線を捉えた。背は高くない165㎝位。

 唇はつやつやしていて、緩く口角が上がっており、良く笑い、笑う時には頬の下には常にえくぼが浮かんでいる。


 髪の毛は見事に豊かな黒髪。短めの髪を掻き揚げる仕草のたびに良い匂いが放たれる。

 顔全体の造作は整い、女優の様な華々しさではなく、健康美そのものを全身で表現している。

 薄桃色の香しく柔らかい肌と、柔軟で強靭な筋肉のワイアーが作り上げたような肉体。


 それは生命の美を体現した存在だった。

 加えて、優しく、料理が得意で、会話の端々に凄い知識と教養が混じっていた。


 俺はメロメロになった。

 ノリの良い彼女とは、出会ったその日に同棲を始めた。


 何でも、彼女は宇宙海軍のテストパイロットであり、現在は命の洗濯の真っ最中なのだそうだ。

「貴方みたいな男とは滅多に出会えないもの・・・。」

 彼女はそう言っていた。他にもいろいろと話していたが、それは割愛する。


 とにかく、俺と同じ悩み、あるいは人生の空白を彼女も抱えているのだ。と俺は思った。

 俺はひと月の間、幸福の絶頂に居た。


 広くもない宇宙ステーション内で、仕事から帰ったら、毎晩ステーションを揺らせるかと思う程に理想の異性と交尾していた。

 娯楽の少ない標準型のステーションだから、他にやる事がなかったからと言うのも大きかったが・・・。


 そして、ひと月が経ち、夢のような日々は、まさしく夢の様に儚く終わりを告げた。

 今時、便箋などと言う代物は今では刑務所の中にしか無いと思っていたが、最後に残っていたのは彼女からの短い便箋に書かれた文章だけだった。


「今までありがとう。休暇は終わったので、今から仕事に戻ります。貴方の事は忘れません。」


 もう、宇宙ステーションの床が崩れ落ちる様な感覚だった。

 その便箋を読んだ時に俺はしゃがみ込んでしまった。次の日の仕事は休んだ。

 職場の上司はカンカンに怒っていたが、俺の顔を見て何かを感じたのだろう。

 休み中の職員に声を掛けて、そのまま俺を1週間そっとして置いてくれた。


 職場の者たちに申し訳ないとは思ったが、どうにもならなかった。

 宿舎に帰ったら、お帰りと言ってくれる女性、それも飛び切りの美しい女性。

 それが消えてしまったのだ。突然、一枚だけの書置きを残して・・・。


 そして、俺は考えた。

 何故彼女は俺の前に現れたのだろうかと。


 碌な娯楽さえなく、美しい自然もなく、広々とした場所もない。居るのは忙しく仕事をする男たちと、その家族たち。

 食事も水耕栽培の野菜と、一級品とは言えない宇宙で育った高価なだけの動物や魚。

 命の洗濯なら、もっと他の場所で他のやり方があっただろうにと。


 何百回目かの疑問と煩悶を繰り返す俺に・・・救いの手が差し伸べられた。

 狭いキャビンの中に警報が鳴り響く。

 それ程不快な音ではないが、きっちりと倍音で早めの警報音だ。


 俺は耐加速シェルにキャビンスーツのまま潜り込んだ。

 またしても火星側の妨害の兆候を探知したと言う事だろう。

 あるいは抜き打ちの訓練なのか。

 いずれにせよ動かなければならない。さあ、仕事だぞ、仕事だ!

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