第41話終幕

 マイクが拾ったその不敵な微笑みを、灰は聞き逃さなかった。

 彩亜は確かに笑った。用意したセリフをすべて伝え終わり、やることなどすべて終わった。それなのに、彼女は依然壇上から降りる様子を見せない。


(なぜ終わりの挨拶をしない…?もしかしてなにかトラブルか?)


 立ち尽くす彩亜に生徒達も異変を感じ取ったのか、ざわつき始める。会場内に不安がよぎったその時、彩亜はようやく口を開いた。


「…先にも言った通り、私はこの学園に先月転校してきたばかりです。そんな私がなぜ生徒会選挙に立候補したのか」


 彩亜の言葉に静まり返る場内。その静寂の中で嫌な予感を感じていたのは灰だけではなかっただろう。

 彩亜の前世を知る者なら知っている、なにかが起こる予兆。唐突に訪れるそれは彼女の態度に顕著に現れる。

 例えばそう、急にほくそ笑みながら話し始める今の状況がそうだ。


 そしてその予感は今回も的中した。


「私には好きな人がいます」


「「「!?」」」


 彩亜の発言に驚いたのは舞台袖にいた灰達だけではなかった。客席の生徒達は先程よりも大きくざわつき始める。

 転校してきて今の今まで浮いた話など一切なかった彼女が自らの口から好きな人がいると、よりにもよってこんな場所で言ったのだ。その衝撃は決して小さなものではなかった。


「いつも私を支えてくれていて、近くで見守ってくれている。どんな時でも私を守ってくれて、私の我儘にもめげずに応えてくれる、灰を被った可愛い人です。そんな彼が私を生徒会長に推薦してくれたのです。…負けるわけにはいかないのです」


 実質的な告白に灰はひどく動揺し、客席は大きく湧き上がった。

 私情を持ち込むな、なんて冷たい言葉は飛んでこない。むしろ、この学園の生徒達はそういう話が大好物だ。

 結局、皆を突き動かすのはこう言った譲れない信念や、揺るぎない情念なのだ。才がそれに勝ることは、少なくともこの場ではないだろう。


「私はこの戦いに勝ちます。そして彼に期待に応えて見せましょう」


 彩亜は万雷の拍手に包まれて壇上を降りる。そしてゆっくりと舞台袖まで戻ってくる。

 彼女は顔面を赤く染め上がらせている灰の顔を見て、満足げに笑った。






『星導七海:342票、水無月彩亜:389票』


 職員室前に大きく張り出された張り紙の前で、灰達はその数字を眺めていた。

 結果は最後の一撃が決定打となり、約40票の大差をつけての勝利となった。

 クラスに戻ってからというものの、灰も盛大な告白についていじられるばっかりで灰にとってはかなりの痛手になったのだが、それも勝利のための犠牲だろう。


「勝ったわね」


 灰の隣で彩亜はふっと笑う。流石に確信していたのか、その表情からはどこか『やはりな』とでも言いたげな雰囲気を感じ取れる。

 灰からすればあんなことを言われて負けたら流石に文句に一つや二つでも言ってやろうと思っていたのだが、勝ったから今回は不問ということにしていた。


「勝ちましたね」

 

 灰は短く返す。一見、そっけないやり取りに見えるが、その言葉の奥に計り知れない感情が潜んでいることには互いに気づいてはいなかった。


「なんとか無事に終わったな…正直、気が気じゃなかったぜ」


「忙しくなるのはこれからですよ。今消耗してどうするのですか」


「だってよぉ…多少なりとも緊張はするだろ」


「あはは、紅蓮は心配性だからね。肝心なところで情けないんだから」


 一仕事終えたことで肩の荷が下りたのか、一同を取り巻いていた張り詰めていた空気も鳴りを潜めた。いつもの日常が帰ってきた様なっ感じがして、灰は不意に微笑んでしまった。


「ま、なにはともあれ勝利だ。あとは存分に楽しむだけだな」


「…?楽しむ?」


「よーし、じゃ、行くか」


「ちょっと、行くってどこに行くのよ?」


 疑問符を浮かべた様子の彩亜と真紀を見て、そう言えばと灰は思い出す。


「あー、真紀と彩亜には言ってなかったね。ウチの生徒会選挙は投票結果が出たら終わりじゃないんだよ」


「「?」」


「まぁ、行って見れば分かるよ。取り敢えず行こう」


「ちょ、ちょっと!」


 灰はあえて説明することはなく、二人を引き連れて体育館へと向かった。





「ちょっとまって」


 体育館前までやってきた灰達は彩亜自分達の前へと押しやった。彩亜は戸惑いつつも灰に問いかける。


「ちょっと、どういうことなの?」


「いいからいいから。俺等よりも彩亜に先に入ってもらわないと」


 彩亜は終始疑問符を浮かべた様子だったが、灰の様子を見て悪いことではないと判断したのか、ゆっくりと扉を開いた。

 扉が開かれたのと同時がそれよりも少し早かったか、『パン』という破裂音が彩亜の耳朶を打った。


『水無月さん、お疲れ様〜!!!』


 彩亜は僅かに肩を跳ねさせた。

 扉の先で待っていたのはクラスメイトの面々。その手にはクラッカーやら『本日の主役』と書かれたタスキやら、王冠を模した被り物やら、いろんなものが握られている。そして、戸惑う彩亜にいいからいいからとつけ始めた。

 クラスメイトに揉まれながら彩亜は灰に問いかける。


「ちょっと、グレイ、これどういうことなの?」


「うちの生徒会選挙は終わった後の祝勝会までがセットなんです。本日の勝者は存分に楽しんでください」


「水無月さん、あっちにスイーツあるから取りに行こ!」


「あっちには主食系もあるからね〜」


「ちょっと、ぐ、グレイ!」


 戸惑いながらクラスメイト達に運ばれていく彩亜を灰は手を振って見送った。

 戸惑う彼女に新鮮だなと思っていると、自分に近づいてくる一人の影に灰は気付いた。


「七海」


「一緒に行かなくて良かったの?後で小言言われちゃったりして」


 いつもの様におちゃらけた様子の七海を灰は何を言うわけでもなく見つめた。

 七海の方も対して喋ることを考えていなかったのか、二人の間には気まずい沈黙が走った。 

 この生徒会に勝利したということはすなわち、七海の恋が実質的に終わりを告げたということである。そのためか、灰は彼女を見ていると居た堪れない気持ちが抑えられなかった。


「…やめてよ。そんな目で見るの。暗いのは私好きじゃないんだ」


「…七海、俺は」


「いいの。言わないで。…私って結構自己中なんだ」


 七海はそう言うと、彩亜の方へと目線を逸らす。クラスメイトに囲まれた彩亜を見て、彼女もまた思うところがあるようだった。


「勝敗を分けたのはきっと、ああいうところなんだろうね。ツンツンしてるくせに、ホントは周りに頼りたがってる。私みたいに全部一人でやろうとしてない」


「…だろうな。お前は一人で突っ走りすぎだ」


「あーあ、灰くん取られちゃったなぁ…」


 七海は大きく一つため息を吐いた。彼女の横顔を見る灰は彼女にいつものような恐ろしさが感じられないことに気がついた。


(…こいつもこいつなりに変わっていってるってことかな)


「…ま、いいや。手は出すなって言ってたけど…本人がいない今なら灰くんのこと独り占めにできるし〜?」


「なっ…!?」


 しんみりとした空気が一転、七海は灰の腕に抱きついてきた。そしていつものようにニッコリとして笑顔を浮かべる。他人の前で皮を被っている時の七海だ。


「取り敢えずスイーツ一緒にたべよーぜ!口移しでいいよ!」


(こいつ…やっぱりなんも変わってねぇ!)

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