第31話ハグ
「灰くん!ハグして!!!」
「急にどうした…」
ある日の休み時間。七海が大声を上げて俺の元へとやってきた。バッと手を広げて俺に目一杯の『ハグして』アピールをしてくる。
いつものことなのだが、コイツは急に変なことを仕掛けてくる。おそらく俺の反応を見て楽しんでいるのだろうが、そんなことをして面白いのかと俺は毎回問いかけたくなる。そういうところだと彩亜に似てるんだよなコイツ。
「最近ストレス溜まってるの!選挙のことで忙しいんだから!」
「だからって俺に頼むな。他の奴にしろ」
「灰くんへの絶大な信頼があってこその私のハグ解禁なんだよ!?今から30分限定だよ!?」
なんでテレビショッピングみたいになってるんだよ。ますます嫌だわ。
コイツの無茶振りは基本的に俺が折れるまで止めることはない。周りのやつにヘルプの視線を向けても、『またやってるよ…』みたいな目で見られるだけだ。傍観者はよくないと思います。
彩亜の視線もあることから俺は徹底的に七海のアピールを無視する。七海も負けじと腕をブンブンしてアピールしてくるが、ここは無視だ。いちいちコイツに付き合っていたら埒が明かない。
まるで求愛ダンスをする雄鳥とそれを無視する雌鳥のような絵面になって数分。先に折れたのは雌鳥の方だった。
「…やんねぇからな」
「くっそぅ…連夜くんのこと味方につけたからって調子に乗るなよ!」
「のってねぇから。お前だろ調子乗ってるの」
「別に乗ってないもん!私が乗るのは灰くんの上だけだもん!」
「馬鹿、なんですぐにそういうことを…!」
位置で言えば教室の後ろ側。窓から伸びた日の光がじんわりと温める席に座った彼女は一連のやり取りを見て顔をしかめていた。
明らかにご機嫌斜めな彼女を見て周囲の生徒たちはそそくさと上着の用意を始める。
そんな彼女の一つ明けて隣に座る赤髪の男は平然を取り繕いながら勇気を持って問いかけた。
「…気に入らないか?」
「えぇ。まったくよ。主人を置いてあんな女と…」
彩亜の発言に紅蓮は思わず親友の女運の無さに嘆息を吐いた。前世から変わらぬ彼は変な女に好かれやすいらしい。
ただ、彩亜を紅蓮はなだめようとはしない。そうすれば、自分が巻き込まれかねないから。
「なによ、ハグぐらい私だって…」
ただ、らしくなく分かりやすい氷の魔女様の様子に紅蓮は思わず声を溢してしまった。
「…アンタ、嫉妬してんのか?」
口をついてでた言葉にグレンはやってしまったという表情になる。すぐさま訂正を入れようと慌てる紅蓮の言葉を遮るように彩亜は口を開いた。
「そうなのかも、しれないわね…」
少し言葉を喉に詰まらせた彩亜の横顔はいつものように自身と傲慢さに溢れた表情ではなく、恐れと不安に駆られたような表情だった。
久しく見ていなかった表情に紅蓮は彼女の心境が揺れていることを悟った。
「…らしくないな。アンタ、不安になることとかあるんだな」
「なによ。私だってあるわよ」
「負けるのが怖いか?」
紅蓮の問いかけに彩亜は肩を揺らした。そしていつもの調子に戻ってバッと紅蓮を睨みつける。しかし、今の彼がそれに怯むことはない。負けることの怖さなど、彼が一番知っているのだから。
「連夜を生徒会に引き入れて、生徒会選挙の準備は着々と進んでる。団長と連夜の評判は悪くない。人気投票になったって七海に負けることは考えにくい。…それでも、不安は過るだろ」
紅蓮の説得力のある言葉に彩亜は押し黙らされた。不意に突かれた心の弱い部分がズキズキと痛む。
「…時々思うのよ。グレイがどこかへ行ってしまうんじゃないかって」
「どんなに盤石な体勢で挑んでも不安は拭いきれないもんだ。戦いは最後までどう転ぶのか分からない。…だから、俺達にできることは一つだ」
紅蓮は一つ間を置いてできるだけの覇気を込めて言い放った。
「信じろ。仲間を、団長を」
「信じる…?」
「あぁ。アンタは昔から人を信用しなさすぎだ。…アンタの境遇はよく知ってるが、今は時代も世界も違う。信用するに値する奴だって増えてきた。誰も彼もがお前を欺こうとしてるわけじゃない。団長だってそうだ」
仲間を信じる。彩亜が今までできなかったこと。他人に期待をしない彩亜は今まで一人で切り抜けることが基本だった。それだけが自分を守る唯一の方法だったから。
だが、今は違う。紅蓮の言う通り、彩亜を信頼し、彩亜のために力を尽くす人が何十人といる。その事実に彩亜は初めて気付かされたのだ。
紅蓮は付け足すように笑う。
「あと、団長は以外と一途なんだ。心配する必要は無いさ」
「…信頼する、ね」
彩亜は噛みしめるように呟く。今まで自分が他人に対してしてこなかった行為。今までグレイでさえも信じきれてはいなかったのかもしれないと振り返る彼女の中では間違いなくなにかが変わり始めている。
(私が信じることで、なにかが変わる…?)
彩亜は自らの中で固まりつつある意思に再び問いかける。彼のために、まだ自分は変われるのか、と。
その後、再び灰の方へ視線を移す。彼の姿に光を見出そうとした彼女の瞳に写ったのは…
「ぎゅーっ!!」
「おい!抱きついてくるな!」
「…チッ」
結局、吹雪はHRが終わるまで止むことはなかった。
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