第21話自覚したときには

「グレイ、紅茶を淹れて」


 風呂から上がった俺はいつもどおりティーポットの準備へと取り掛かった。

 

 リビングのソファに座って読書を嗜む彼女の彩亜の横顔を見ていると、先程の真紀の言葉が思い出される。真紀が言うには、彩亜は俺のことが好きらしい。…本当だろうか。


 いやいや、だって前世どころか今世でもこんなひどい扱いをしているのだ。なんの間違いがあったとしても彩亜が俺のことを好きになることなんて…


「グレイ、貴方さっき真紀とお風呂に入ってたでしょ」


「へっ!?な、なんでそれを…」


 彩亜は本へ向けていた目線を俺へと向けてやっぱりかとでも言いたげな表情でため息をついた。


「…あの子、勝手に入ってくるのよね。真紀がいる間は風呂に入るときは鍵をかけておきなさい」


「は、はぁ…」


 どんな罵詈雑言が飛んでくるかと思ったら彩亜も真紀には呆れている様子だった。あのいいぶりだと彩亜の時も入られたのだろう。あいつ誰彼構わずやってるのか…?


「私以外の女と入ったことに関しては許しがたいことではあるけれどね?」


「っ!?」


 彩亜の思わぬ一言に俺は狼狽してしまう。彩亜の目線が本に向けられていたことでからかわれることはなかったのだが、その言葉の裏に隠された意味に俺は心拍数を加速させてしまった。


 なんだそれ、どういう意味なんだ…?まさか、俺と他の女が一緒に風呂に入ることに嫉妬して…

 …いやいや、ないない。絶対に無い。あの彩亜が、俺に冷たかったサイアが俺に対してそんな感情を抱くわけが…


「嫉妬ですか彩亜様?」


「な…?」


 ありえない。自分に対してそう言い聞かせていたところで横槍を刺してきたのは真紀だった。掃除を終えたタイミングでちょうど俺と彩亜の会話が耳に入ってしまったらしい。…おそらく、図ったな。


「えぇ、そうね。私の騎士なんだから私以外の女と風呂に入るなんて論外よ。…貴方、いい加減勝手に入ってくるのやめなさいよ」


「でも灰様満更でもなさそうでしたよ?」


「おい」


 真紀へと鋭い目線を向ける。彩亜には見えないようにしてピースサインを俺に向けた彼女は妙に腹立たしかった。

 彩亜は本に落としていた目線を再び俺に向ける。


「そうなの?グレイ?」


「そんなわけ無いでしょうが…」


「私で卒業したくせに」


 再び真紀によって落とされた爆弾にリビングの空気は凍りついた。しばし時計の秒針の音だけが部屋の中に響き渡る。

 凛々しく、そして末恐ろしい彼女の瞳が向けられた俺は身動きが取れない程に動揺してしまっていた。


「グレイ、シたの?」


「シてない、シてないから!真紀が勝手に言ってるだけだって!」


「グレイはこう言ってるけど?」


「嘘ですね」


「嘘じゃねーよ!俺が彩亜に嘘つくわけ無いだろ!」


「…誰かさんは嘘をついて私を置いていったことがあるから信用ならないわね」


 ぐっ、ここで前世のことを引き合いに出してくるのか…こんな時ばかりはあの選択が悔やまれる…

 しばし俺の顔を見つめた彩亜はため息をついて本を閉じた。そしてそのまま俺の元へと近寄ってくる。


「…この子の根も葉もない冗談は今に始まったことじゃないわ。この子の好奇心は度が過ぎてるのよ。…冗談とは言え、そんなに動揺していると流石の私も判断に困るわ」


「なんとかならないんですかあの従者サイコパス…」


「ならないわね。あれが真紀だもの」


 彩亜も俺の事情を汲み取ってか、今回は不問にしてくれたらしい。なんともありがたい話であるが、あいつどうにかしないと俺の命が危ないまである。好奇心は化け物を生むとはこのことか…

 彩亜は俺の元まで来ると俺に耳打ちした。


「…貴方は私で卒業するって決まってるもの。それまでは大事に取っておきなさい」


「…へっ!?」


 一瞬の出来事に俺は再び硬直してしまう。次第に頬に熱が籠もっていくのが自分でも分かった。それほどに俺の頬はきっと赤い。


 その言葉の意味は間違いなく”そういうこと”で合っているのだろう。去り際の小悪魔的な微笑みは赤面した俺を嘲笑しているようだ。


 今までなら彼女の負けず嫌いがこういうことをさせているのだろう。彼女のSな部分がこうさせているのだろう。そう思っていた。

 けれども、あの話を聞いた後ではどうしても彼女の好意の槍が俺に向いているようにしか思えなかった。


「紅茶、頼むわよ?」


「っ、は、はい!」


 彩亜の声で我に返った俺は紅茶の準備を再開した。

 …いつも通りの作業だが、手元が落ち着かない。先程の言葉が自分で思っているよりも響いてしまっているようだ。

 …やはり、真紀のあの言葉は本当なのだろうか?彩亜が、俺のことが好き…


 …ダメだダメだ。今は紅茶を淹れることに集中しよう。雑念は紅茶の味を悪くする。

 激しく主張してくる心臓の鼓動を必死に誤魔化しながら紅茶を淹れ終えた俺は彩亜へと差し出した。いつも通り彼女が口をつけてから点数が出るまで俺は彼女の横で待つ。


「…うん、悪くない味ね。40点かしら」


「お、いつもよりも高い」


「ふふ、今日はいつもよりも”愛情込めて”淹れてくれたのかしら?」


「な”…そ、そうかもです…」


 その言葉に俺はまたもや赤面してしまった。

 いつもなら意地の悪い企みにまみれた恐怖の対象である笑みも、今は年相応の魅力が色濃く出た魅力的なものに見える。


 今までの言動、俺に対する態度、気難しい彼女の性格、前世からの因縁。それらすべてを鑑みても、辿り着いた結論は一つ。

 やっぱりこの人、俺のことが…


「でも、まだまだね。ひよっこよひよっこ。もう少し精進してほしいものだわ」


 …いや、自意識過剰かな。

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