第9話手料理

「グレイ、貴方料理は出来るかしら?」


 不意に彩亜が俺に問いかけてくる。ティータイムを終えてすぐのことだったので俺の手には彩亜が口を付けたカップがある。

 俺はキッチンに向かいながら流し目で彼女を見る。表情は至って普通で俺をからかおうとしているわけでは無いらしかった。


「まぁ、一人暮らししてましたから多少は…」


「ならちょうどいいわね。グレイ、今晩は貴方に任せるわよ」


 彩亜はふふっと微笑んで俺目線を向ける。その言葉が何を意味しているのか俺が理解するまでには数秒かかった。


「…えっ」


「特に好き嫌いはないから。何を作ってもらっても構わないわ」


 俺が返事をする前に話はどんどん進んでいく。どうやら俺に拒否権は無いらしい。いつものこと、と感じつつ懐かしさも感じてしまう。嫌な懐かしさだ。

 

 こうなったからにはメニューを考えなくてはならない。取り敢えず冷蔵庫の中身をチェックしておくか…


「な…」


 ウチのサイズの倍はある冷蔵庫を開いてみるが、中身は空っぽ。食材どころか調味料すら置いていない。まるで生活感がないのだ。

 ふと生前の彼女サイアを思い出す。彼女は騎士である俺のことすらも使用人として扱っていたのはもしかして生活力が無いから…?


「あぁ、そう言えば食材を買うのを忘れていたわね。どこかで調達しなくちゃね」


 彩亜は言葉とは裏腹に愉快そうな瞳で俺を見る。加虐的なその瞳はひどく見覚えのあるものだ。

 これはなにか企んでいる時の彼女だ。そして、その思惑も大体分かる。


「…スーパー、行かなくちゃっすね」


 俺はすぐさま与えられた自室へと足を向ける。出来ることなら面倒事は御免だ。

 そんな俺の願いはあっさりと打ち砕かれる。


「待ちなさいグレイ。私も一緒に行くわ」


「え、一緒にっすか?…来ても面白くないと思いますけど」


「あら、貴方は御主人様の命令に口出しするのかしら?」


「…仰せのままに」


 やるせなく呟いた俺の言葉は宙に消えた。




 マンションから数十分。俺はスーパーへとやってきた。スーパーに行くだけなのにリムジンを出すものだから困ったものだ。周りからの視線が痛い。

 ここは俺がいつも利用しているスーパーだ。いつも何気なくふらっと立ち寄っている。このリムジンのせいでしばらくは利用できなさそうだが。


「グレイ、エスコートして頂戴」


「…ここスーパーですよ?」


「あら、冷たいわね。それじゃ、少し腕借りるわよ」


 するりと俺の腕に彩亜の腕が巻き付いてくる。そっちがその気ならこうだ、とでも言いたげな表情で俺のことを上目遣いで見つめてくる。周りからの視線を集めながらのこの行為はかなり心臓にクる。

 さらに追撃だ、と言わんばかりに彩亜は俺との距離を詰めてくる。彼女の二つの双丘が俺に押し当てられた。それなりにサイズのあるその二つは形を変えて俺の腕にフィットした形になる。その感触に反応せずにいられるほど俺も鈍くはなかった。


「なっ!?ちょ、ちょっと…」


「ほら行くわよグレイ。私結構お腹空いてるの」


 彩亜は俺にお構いなしに先へ先へと進んでいく。まったく、こっちの気にもなってくれ…今日は心臓の鼓動がうるさいな。


 カートを一つ取ってからスーパーの中へと入る。外のざわつきのせいか、中に入ってからも多方面から視線が注がれる。体勢が体勢なだけに珍獣を見るような目で見られている気がする。

 …ていうかこの体勢下手したら手を繋ぐとかより恥ずかしいのでは?今更ながら恥ずかしくなってきたぞ…あの時大人しく手を繋いでエスコートしてれば…


「グレイ、貴方今日は何を作るつもりなの?」


 当の本人は気にも止めていない様子だ。平然として冷徹フェイスを貫いている。このまま俺が動揺していると馬鹿にされるのが目に見えている。多少ぎこちなくても見栄を張っていこう。せめてもの抵抗だ。


「取り敢えずは食材見てからって感じですね。値下げしてあるやつもあるかもですし…」


「値段は気にしなくて大丈夫よ。私を誰だと思っていて?」


 彩亜の懐から黒いカードが飛び出てくる。アレは俗に言うブラックカードという奴だろう。流石水無月財閥の一人娘。持っているものが違う。


「なんか悪いっすね」


「カードはお守りじゃないの。使える時に使わなくちゃね」


 取り敢えず俺は野菜コーナーから見て回る。この調子だとおそらく料理は俺の担当になるだろうから少し買い溜めしておくのも悪くないのかもしれない。

 今日のメニューは何にしようか。手早く作ってしまうならカレーなどがいいところだが…果たしてお嬢様である彼女の舌に合うだろうか。


「ねぇグレイ、貴方いつもどんなものを食べているの?」


「至って普通ですよ…って言ってもお嬢様とは食べてるものが違うか。カレーとか、生姜焼きとか…」


「生姜焼き?なにそれ?」


「…マジですか?」


 マジかこのお嬢様。生姜焼き知らないとかどんな世界生きてるんだよ。生姜焼き知らないのは人生の3割どころか5割は損している。これは由々しき事態だ。


「豚肉を生姜をすりおろした醤油ベースのタレで炒めた料理です。…もしかして知らない?」


 彩亜はこくこくと頷いた。


「グレイ、私食べてみたいわ!今晩は生姜焼きにしましょう!」


 彩亜は生姜焼きに興味津々だ。今晩のメニューは生姜焼きで決定だ。取り敢えず、諸々の食材を揃えたら後は少し買い溜めして行くことにしよう。

 俺は腕にひっつく彩亜に歩幅を合わせながらスーパーの中を巡った。


「生姜に醤油、豚肉とキャベツ…よし」


 一通り食材をカートに入れ終えた俺と彩亜はレジへと向かう。俺がせっせと食材を選んでいる中、彩亜はしきりにあたりを見回している。どうやら彼女にとってスーパーという場所は新鮮なもののようだ。

 

 それにしてもこの人といると感覚が狂う。俺が特売のものを買おうとしていると必ず一番高いものを差し出してきたり、距離感は近いし、周りの人からの視線が異様に気になるし。


「ねぇグレイ、これも入れて」


 いつの間にか離れていた彩亜が俺の方へと駆け寄ってくる。その片手には…ポテトチップス?子供か。


「買うのは彩亜だからいいですけど…そういうの食べるんですね」


「食べたことがないから買うのよ。せっかくだしね」


 そう言えば彼女は目新しいものが好きなんだった。前世でも異国の貿易船が来ると目を輝かせていた。


「おい!いつまっで待たせてんだよ!」


 レジ前までやってくると、いきなり俺の耳に怒号が飛び込んでくる。俺達以上に視線を集めているその男はレジ店員に向かって何やら怒鳴りつけている。

 おぼつかない様子で焦りが表情に出ているレジ店員は見る限りは新人なのだろう。隣に店長と思しき人間が必死に頭をさげている。新人に向かって怒鳴るとは、底が知れるな。


「まったく待たせやがって…素人にやらせんじゃねーよ!!!」


「すいません!この子はまだ新人でして…」


「関係ねーだろ!俺は早く酒が飲みてぇんだよ!!!」


「…愚かな人ね。余裕が無いから他人にぶつかるなんて」


 まったく、見てられないな。


「…グレイ?」


「ちょっと待っててください」


 彩亜を優しく腕から引き剥がすと俺は男の元へと向かう。


「ちょっと」


「あぁ?んだよガキ。こっちはな…」


「迷惑なんで静かにしてください。…レジ打ちぐらい待ってあげたらいいじゃないですか」


「うっせーな!てめぇに何が…」


 この人俺の話を聞き入れる気配すらしないな。自分のことしか考えないタイプの人間か。こういう人苦手なんだよな…

 交渉の余地はなさそうだし、失礼して…


「失礼します」


「あぁ?何が…」


「よっと」


 右手を瞬時に振り抜いて男の首元に振り下ろす。すると男の体はたちまちふらつき始め、やがて意識を失った。久しぶりにやったが、意外と出来るものだな。


「ふぅ…あっぶね」


「…ぁ」


「…?あ…」


 やっべ、人の目があるの忘れてた…ワンチャン通報される…

 

 俺の予想に反して静まり返ったレジ前。程なくして店員と店長が俺に向かって勢いよく頭を下げた。


「あああありがとうございました!どうお礼を言えばいいのやら…」


「え?いや、お礼なんて別に…」


「ふふっ、謝意は素直に受け取っておくべきよグレイ」


 後ろから彩亜がカートを押してよってくる。なぜかはわからないがどこか満足げな表情をしている。


「いや、俺がもっと穏便に済ませてれば…」


 きっと紅蓮や他の奴だったら何事もなかったようにさり気なく場を納めて店員さんに頭を下げさせることもなかったはずだ。俺には到底できないことだが。

 そんなことを考えていると、彩亜の表情がみるみる曇っていく。なにかまずいことでも言ってしまっただろうか…?


「…その自己肯定感の低さは相変わらずね」


「…そうなんですかね?」


「えぇ。…それじゃ、会計済ませちゃいましょ」


「その前に、この人どうします?」


「その男?ウチのSPにゴミ箱にでも運ばせておくわ」


 それは流石にまずいから俺が近くの公園にでも運んでおこう。

 彩亜に会計を任せた俺は男を担ぎ上げると、近く公園へと走り出した。




「これが生姜焼き…」


 目の前のプレートに乗せられた生姜焼きを前に彩亜は目を輝かせる。

 あれから会計を終えて帰ってきた俺は手早く生姜焼きを作り、現在に至る。公園から戻ったらレジのおばちゃんがブラックカードを見てあたふたしていたのを見て妙に親近感が沸いたのはまた今度の話にしよう。


 ここまで目を輝かせている彩亜を見るのは始めてだ。前世でも彼女は鉄が顔に張り付いたような人間だったからこんな表情はなんだか新鮮だ。


「冷めないうちに食べましょう。料理は熱々のうちですよ」


「そうね。それじゃ、いただきます」


 彩亜が生姜焼きを箸でひとつまみする。いつも作っているとは言え、味には多少の心配が募る。住んでいる世界の違う彼女に庶民の俺が食っている飯なんて口に合うのだろうか?

 俺の目線は彼女の桜色の唇に注がれた。


「あら、案外いけるわね」


「ほんとですか?良かった…」


 緊張の糸が解れた俺は背もたれにより掛かる。彼女なら優しさの欠片も無い言葉をかけてくる事さえも容易に想像できたが、どうやらお気に召したらしい。


「こういう食事も案外侮るものでもないわね。…いえ、、かしらね?」


 意地の悪い笑みを浮かべ、獲物を見据えた彩亜の言葉に俺は思わず取り乱してしまう。モデルなんかには引けを取らない程の美貌を持ち合わせた彼女にあてられたら誰だってこうなる。

 前世では皇女と騎士という立場であったが、今は主人と使用人。考えてみれば彩亜は俺と同い年。そう考えるとますます頬に熱がこもっていくのが分かった。


「ふふ。可愛い人…その顔はいつになっても変わらないのね」


「…からかわないでください」


「あら、別に嘘をついたわけじゃないわ。本心で言ったつもりよ?今日の一件の解決、見事だったわ。流石、私の騎士様ね」


「…」


「あ、また赤くなった」


 目論見の分からない彼女に振り回されながら俺は生姜焼きを完食した。

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