第8話思い出の味
リムジンに揺られる事十数分。跳ねる心臓と共に永久にも思える時間を耐え抜いた俺は昨日も見たタワマンの前へとやってきた。
リムジンを降りるとすぐに黒服が駆け寄って来て俺と彩亜の周りに広がった。既に話はついているらしく、俺のことも護衛対象に入っているらしい。前世では守る側だったからこうして守られるとなんか違和感すごいな…
「慣れないかしら?」
「当然でしょう。俺一般市民なんですから…」
「あら、身分はわきまえてるのね」
当たり前だろ。一応こっちは巻き込まれた側なんだよ。この人は俺を何だと思ってるんだ…
黒服に取り囲まれながらもエレベーターに乗り込むと、昨日と同じ最上階へと向かう。
このタワマン、噂じゃ有名企業の社長とか財閥の御曹司が住んでるところって聞いたけど…その中で最上階に住んでるって、彩亜は一体何者なんだ?大方、社長の一人娘とかだろうけど…
「どうかした?」
「あぁ、いや…彩亜って何者なのかなって」
「何者もなにも、貴方と同じ人間よ。気でも狂った?」
彩亜の棘のある言い方に俺の心は軽くダメージを受ける。転生してから少し丸くなったのかと思ったらなんか調子戻ってきたぞこの人…
「ふふっ、冗談よ。…水無月製薬って、聞いたこと無い?」
「水無月製薬…あ」
水無月製薬。この日本の製薬業界で一番大きい企業だ。この国で販売されている薬の類はほぼほぼこの会社が作っている。自分で言葉にして俺は気づく。
となると、彩亜は…
「水無月製薬のご令嬢…?」
「ご名答。ここはパパが買い取った、言うなれば別荘的な場所ね」
「へー別荘…別荘!?」
別荘って、まさかこの他に家があるっていうのか?いやまさかそんなわけ…
「えぇ。別荘よ。今は私の一人暮らし用の部屋になってるわね」
…あるんだなこれが。まぁあの水無月製薬の社長ともなればやりかねないとは考えられるが、これは金持ちの気まぐれというよりも破天荒だな…
そんな事を考えていると、鐘の音が到着を告げた。エレベーターから降りると昨日と同じく俺と彩亜だけが扉の中へと入る。
扉の先には本当に玄関なのかと疑いたくなる広さの玄関。遠慮しながらも靴を脱ぐと、中へと入った。
広い廊下に飾られた絵画の数々。ダイニングキッチンも兼ね備えられているリビングは一度見ているはずなのに驚いてしまう程に広い。広がる景色は壮観だ。
傍らに目線を向けると上へと続く階段があり、ロフトのような空間があるのが見えた。確かこういうのはメゾネットタイプと言うんだったか。
昨日も来たところだが、昨日とは違った印象だ。まるで違う世界に来てしまったような__まぁ俺等からしたらまったくその通りなのだが__そんな不思議な感覚に襲われる。
「グレイ、貴方の部屋はあっちよ。荷物は運ばせておいたから」
彩亜の指さした方に目を向ける。取り敢えず荷物を置こうと部屋へと向かう。
扉を開いた先は”俺の部屋”だった。
いや、厳密に言えば俺の部屋であるはずが無いのだが、俺が前まで住んでいたアパートの一室がそのまま抜き取られているような、それこそ転移魔術でそのまま写し取ってしまったかのように完璧な家具の配置。ここまで来ると恐ろしくなってくる。背中に寒い感覚が走るのが分かった。
「配置から何から何まで完璧…末恐ろしいな」
「グレイー?ちょっと来て頂戴」
部屋を見回していると、リビングのほうから彩亜の呼ぶ声が聞こえた。もう少しゆっくりしたいところだが、機嫌を損ねるとまずい。早々に向かうとしよう。
リビングに出ると、彩亜がソファに腰を下ろしているのが見えた。彩亜は俺に視線だけを向けて呼びかけてくる。
「グレイ、私が帰ったのだからすることがあるのではなくて?」
「すること?」
…始まったか。
俺はバレないように心の中でため息をつく。
彼女はいつも唐突に俺に問いかけてくる。それもかなりの気まぐれで。前世では肝心なところは伝えてくれず、俺が分かるまでずっとこのままなんてことが多かったが、どうやらその癖は治っていないらしい。
彩亜の表情はどこか嬉々としたもので、サイアを思い出す。
前世の彼女の日課から推察するところ、おそらくアレだな。
「…お茶でも淹れましょうか」
「ふん、40点ね。遅れた上に少しは捻りのある言い方ができないのかしら?」
冷たい言葉が俺の心に突き刺さる。彼女の言葉の槍はいつだって鋭い。転生してもそれは変わらないようだ。
思わず顔をしかめた俺をよそに彩亜は続ける。
「そこの棚に紅茶の茶葉があるから淹れて頂戴。キッチンのものは好きに使ってもらって構わないわよ」
「へいへい」
適当な返事を返して俺はキッチンへと足を運ぶ。そして彩亜画指さした棚の扉を開いた。
そこには茶葉が小分けに納められている瓶が無数に並んでいた。彼女の紅茶好きは変わっていないらしい。淹れろと言われてやり方も分からずに叱られたのを覚えている。
それにしてもこっちの世界でも紅茶は流通してるんだな。種類までおんなじだ。確か彩亜が好きなのは…あったあった。
俺が取ったのはダージリンのセカンドフラッシュと書かれた瓶。サイアがよく飲んでいたものだ。
茶葉を取り出した後はケトルを取り出す。水道水を八分目まで入れてスイッチを押した。
こっちの世界では魔法は栄えていないらしく、その代わりに科学は発達しているらしい。その証としてこのケトルも電気の力で沸騰させているのだとか。魔法が当たり前だった俺からすると少し違和感も生じる。
おっと、こうしてはいられない。カップの準備をしなくては。
食器棚の中から陶器のカップと紅茶ポットを見つけて取り出す。飲むのは彩亜だけだから一人分でいいだろう。
さて、お湯が沸いたところで少し昔の記憶を遡るとしよう。この世界に来てからは紅茶を淹れていない。少しの手違いでも彩亜は厳しく採点してくるだろう。できるだけ慎重に、そして正確にやらなくては。
まずはカップとポットにお湯を注ぐ。最初は温めておくのが大切なのだとか。
十分に温まったのを確認してから一度お湯を捨て、ポットに茶葉を入れる。この時茶葉の大きさがどうこう言っていた気がするが…思い出せない。仕方がないから一度度外視することにしよう。
茶葉を入れた後はポットにお湯を注ぎ入れる。この時お湯は勢いよく注ぎ入れると良いらしい。理由は知らない。
その後、すぐに蓋をして蒸らしていく。確か蒸らす時間は2〜3分とかだったような…
蒸らし終えたらいよいよカップに注いでいく。ポットの中を軽くひと混ぜした後に茶こしを使いながら濃さが均一になるように注いでいく。最後の一滴まで注げと前世でみっちり叩き込まれたのでここは大丈夫だろう。
「どうぞ」
少しこわばる表情を必死に取り繕って彩亜に紅茶を差し出す。彩亜はカップを受け取ると、香りを嗅いでから口を付けた。
心の中で祈りながら彼女の口元を見つめる。…まぁ結果なんて大方分かっているのだが。
数秒後、やはり彼女は俺の期待を裏切らなかった。
「…ダメね。全然ダメ。香りも立ってないし、変な渋みも感じられる。0点よ0点」
「うっ、悪かったっすね…」
冷たく、突き放すような声色。懐かしくももう聞きたくはなかった声。ダメ出しの数々が蘇ってきそうだ。やはり俺の目の前にいるのは彼女なのだ。
今回はやり方も曖昧だった。0点でも仕方ないっちゃ仕方ないか…
「…でも、懐かしい味。やはり貴方なのね、グレイ」
そう言って彩亜は微笑んだ。前世でも数回としか見られなかった彼女の笑顔。普段の冷徹な顔からは想像できない年相応の表情は俺の思考を停止させるには十分過ぎる破壊力を持ち合わせていた。
「だからなんなんですかグレイって…」
「独り言だと思ってもらって構わないから。…でも不思議ね」
「不思議?」
「えぇ。この茶葉、数ある中でも私のお気に入りの茶葉よ。淹れ方も少しは手慣れているようだったし…」
その瞬間、俺は自分の失態に気がついた。
彼女の機嫌を少しでも損ねないようにと彼女のお気に入りの茶葉や指導された淹れ方でやっていたが、今考えてみれば自分の記憶をひけらかしているようなものではないか。
「グレイ、貴方やっぱり…」
「…ウチの親が紅茶好きなんです。だからよく親に淹れ方を教えられてたんですよ。茶葉も、親が気に入ってたものです」
「…そう」
そう呟いて彼女は目線を紅茶に落とした。…少しはごまかせただろうか。俺の背筋を冷や汗が伝う。
「…たまたまだったのなら、マイナス50点ね」
「手厳しい…」
「安心して。これからみっちり淹れ方から茶葉の選び方まで教育してあげるから」
舌なめずりをした彼女はまさに”
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