第7話見え隠れする過去
鐘の音が授業の終わりを告げた。
質問攻めに遭いながらもいつも通りに授業が終わり、HRも何事もなく終わった。変わった事と言えば俺の隣に彩亜様がいるのと紅蓮の顔が終始真っ青なことぐらいだろうか。
家に帰ろうと荷物をまとめ、席を立とうとすると彩亜が俺の制服の袖を掴んだ。
なにか要件でもあるのだろうかと疑問に思ったが、よく考えてみれば俺の家はもう無いことになったのを思い出して勝手に納得した。
「グレイ、どこに行こうというの?貴方の家はもう無いわよ?」
…家がなくなったなんていつぶりだろうか。相変わらず絶望感は半端ないな。
「そう言えばそうでした。…で、どうやって帰るんです?」
「既に迎えが来てるはずよ。ほら」
彩亜が窓の外を指差す。その先には校門の前に止まったリムジン。見覚えのある黒服が視線を集めているのが見えた。
「嘘だろ…」
「ほんとよ。怪しいのなら試しに自分の頬でもつねってみることね。さ、早く帰るわよ」
彩亜はすっと立つと先に教室を出る。俺もそれを追いかけるようにして教室を出た。
校舎を出て正門を抜けると、本当にリムジンが止まっていた。俺の幻想であることを祈っていたのだが、どうやら無駄なあがきだったらしい。今日から俺は本当にこの人の召使いになってしまったのか…
「浮かない顔ねグレイ。…ふふっ」
「なんですか。人の困り顔見てそんなに面白いですか?」
「あぁ、別に馬鹿にしてるわけじゃないの。ただ、その顔が懐かしくて」
この人は相変わらず人を困らせる天才だ。前世でもいつも俺を振り回して楽しんでいた。
やれドラゴンが見たいだの、お見合いが退屈だだの、紅茶を淹れろだの、淹れたら淹れたで美味しくないだの、あの日々にはもう戻りたくない。…今から逃げ出したらワンチャン…?
「逃げようなんて考えないほうがいいわよ。うちのSPからは流石の貴方でも逃げ切れないわ」
「…誰も逃げるなんて言ってないんですけど?」
「顔にそう書いてあるわ」
昔から表情を取り繕うのは苦手だ。どう頑張っても顔に感情が出てしまう。だから嘘をつくのも苦手だ。それ故に、この状況では彼女の言葉を認めざるを得なかった。
「全く、私の従者としての自覚が足りてないわね。私ならばまだしも、従者である貴方が主を置いて逃げるなんて許されると思って?…貴方がいなくなった後、どれだけ私が苦労したと思ってるの?」
後に付け足された言葉にはいつもの覇気がなかった。少しだけか細く、そして弱々しい。普段の凛々しい彼女からは想像もつかないほどに意外な言葉だった。
「だから、なんの話なんですかそれ。グレイとか、王国とか」
「…そう言えば、貴方は覚えていなかったわね残念。覚えていたら今頃愚痴の一つや二つこぼしているところよ」
「…もしかして厨二病とか患ってらっしゃる?」
「SP、こいつ売り飛ばしましょう」
「ちょい、冗談、冗談!頼むから俺を売り飛ばさないでください!!!」
「ふふっ、焦り方までそのまんまね…」
ふっと崩れた彩亜の表情を見て俺は彼女の言葉が冗談であったことを理解する。この人は本当に…
「…心臓がなくなるかと思いましたよ」
「そうなりたくなかったら、私に尽くすことね。行くわよ」
俺は彼女の一挙手一投足にドギマギしながらもリムジンに乗り込んだ。
リムジンの中は思っているよりも広かった。十人程度なら快適に過ごせそうな広さに俺は思わず立ち止まってしまう。
座席はソファのように座り心地がよく、いくつかのクッションが添えられている。テーブルを挟んだその向かいにはモニターが設置されており、脇にはワインらしきボトルが添えられている。
あの国では16歳でも親族の許可があれば飲酒が可能だったが、この世界では20になってからだ。彼女は今も飲んでいるのだろうか。
「気になる?」
不意に彩亜が話しかけてくる。俺の視線を察してか、彩亜は一本のボトルに触れた。
「これは私用じゃなくてお父様用よ。今は飲んでないわ」
「いや、そうでしょうけど…」
「随分と気になってたみたいだったけど…何か気がかりなことでも?」
「ただ気になってただけです。別に理由はありません」
あっぶねぇ…ここでうっかり『今は飲んでないんですね』とか言ってたら俺が記憶を持っている事がバレるところだった。少しの気の抜かりが自分を殺すことにつながる。気を引き締めろ俺。
「そう。なら、そんなところに突っ立っていないで私の隣に座りなさい」
「え…隣っすか?」
「当たり前でしょう?私の従者なのだから近くにいなさい」
彩亜は自分のすぐ隣の席をぽんぽんと叩いてすぐとなりに座るように促してくる。下手に逆らって機嫌を損ねるのも良くない。ここは大人しく従って座るとしよう。
俺は少し気が引けたが、彼女の隣へと座った。
「失礼」
「ちょっ!?」
不意に彩亜が俺の肩に頭を寄せてきた。その動作に俺は思わず肩を跳ねさせてしまう。
「ちょっと、大人しくして頂戴」
「いや、なにするんすか急に…」
「私とて、転校初日は力まずにはいられないの。ふぅ…」
そう言って彩亜はゆっくりと息を吐いた。
今日の彼女はいつも通り堂々としていて、緊張なんて感じさせないほど凛々しい様だったが、実際はそうでもなかったらしい。そう言えばこの人は緊張を表に出さないタイプだった。やはり、彩亜はサイアだ。
「…懐かしいわね。最初の社交パーティーでもこうしてたの。覚えてる?」
俺は前世での古い記憶を掘り起こす。サイア様が初めて参加した社交パーティーでのことだ。
一国の王女ということもあり、様々な人との対応に追われたサイア様はかなり疲弊していた。そんな彼女を見兼ねて、俺は彼女をテラスへと連れ出した。
少しばかり休憩させようと、思っていた矢先に彼女は言った。
『グレイ、少し肩を貸して頂戴』
らしくなく、弱々しい言葉だった。
他人を信頼していないから他人に弱みを見せない。かつて彼女が吐いた言葉だ。他人に無愛想な理由としてはいささか尖りすぎているし、弱みを隠しているにしては覇気がありすぎる。そんな彼女の言葉故に俺はあの時も同じような反応をしていた。
昔は身分の差から来る心配によってドキドキしていた。それが今となっては別の意味でドキドキすることになるとは、前世の俺は想像できなかっただろう。まず転生するなんて思っていないだろうが。
「いつの話ですかそれ。記憶に存在してないんですけど」
「こっちの話よ。…着くまでこうさせて。私のグレイ」
「…仰せのままに」
少しだけ懐かしい記憶に浸りながら俺はリムジンに揺られることにした。
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