第3話知らないフリ
大きすぎる円形のテーブルを前に俺は完全に萎縮してしまっていた。目の前には彼女が淹れた紅茶が一つ。その香りはいつしかの王城でよく嗅いでいた匂いだ。
「運命というのは不思議なものね」
彼女が口を開く。あいも変わらず凛とした声は俺の耳にすっと入ってくる。目線を上げると、見慣れない制服を身にまとった美少女が現れる。どこのものかまではわからないが、うちの学校のものではないことは確かだ。
歳はおそらく同じぐらい。それでも纏う気品が俺と彼女を隔絶している。この温度差まで感じる気配は過去に体験している。やはり、彼女はあのサイア様なのだろうか。
「…王国が奇襲に遭ってから、私は隣国で生き延びたわ。貴方や兵士達に逃されて、たどり着いたあの国で、私は王国が滅亡したことを聞いたわ。その時の空虚な感覚と言ったら、あれより虚しいものは無いわね」
ゆっくりと、まるで昔話のように___彼女にとっては昔話なのだろう___彼女は話す。ティーカップに落としたその瞳には後悔の念が渦巻いていた。
「16で亡命し、62で老衰するまで私は後悔し続けたわ。…グレイ、貴方を失ったことをね」
その口から出てきた言葉に俺は目を見開いた。
いつも冷たかった彼女が、俺を失った事を後悔している?それは驚きというよりも疑問だった。
「いつも私の近くで、誰よりも私を見ていたくれた人。貴方がいないことがどれだけ心細いか、私は思い知ったわ」
俺が彼女の言葉に反応を返すことは無い。しかし、彼女は続ける。
「この世界に生まれ変わってから、私は貴方を探し続けたわ。都合の良いことに財力のある家庭に生まれることができたから、そう時間はかからなかったけどね。…改めて。探したわよ、グレイ」
翡翠色の瞳が俺の姿を捉える。かつては目を合わせることも数えるぐらいしかなかった。それだというのに、この状況がひどく懐かしいものであるように感じてしまう。思っているよりも俺の中には彼女という存在が___サイア・ミスリムという存在が染み付いてしまっているらしい。
「私もだけれど、貴方も見た目は変わっていないのね。その灰色の髪、懐かしい」
「…えっと」
「こうしてまた会えたのだから、分かっているわね?…グレイ・アレグリア、再び私に…」
彼女の言葉を遮るようにして俺は口を開いた。
「…グレイって、誰ですか?」
「…は?」
前世では見ることができなかった彼女の拍子抜けした表情。俺の言動までは予測できなかったのだろう。
俺がこの場で選んだのは『知らないフリをすること』だった。彼女の思惑は読めている。また俺を召使いのようにこき使おうというのだろう。言葉の裏を読めと私の教えたのは貴方ですよ、サイア様。悪即斬の掟にしたがってここは斬らせていただきます。
「俺は柊灰です。その…グレイ?っていう人じゃないんですけど」
「…貴方、記憶が…無いの?」
「記憶ってなんの記憶ですか?人違いなんじゃ…」
俺の言動にサイア様は表情を崩してらしくなく取り乱していた。自分の記憶があるのだから俺の記憶もあるものだと思っていたのだろう。ここは無いことにさせていただきますよサイア様。
「その…柊くん、だったわね。私は
わかりやすく態度の変わったサイア様を前に俺は一応考えるフリをして首を振る。
「そ、そんな…あ、紅茶、この紅茶の味に覚えは?」
椅子から身を乗り出してサイア様は俺に迫る。が、俺の意思は変わらない。サイア様、どうか召使いなら他の男を…
「申し訳無いですけど、さっぱりです…」
「…そう。これも、覚えていないというのね」
少し寂しげなその姿に心が痛むが、ここはぐっと堪えるところだ。
せっかく転生したのだ。前世に縛られてどうする。サイア様にも俺のことは忘れて他の男を召使いにしてもらい、この世を謳歌してもらうことにしよう。
だが、ここで俺は少しだけ好奇心が湧いた。せっかくなら前世で聞けなかったことを聞いてみよう、と。
「その、グレイさんっていうのは彩亜さんにとってどんな人だったんですか?」
「…グレイは、私にとって必要不可欠な存在よ」
…なるほど。こき使わないと生活できないってことか。やはり俺の判断は正しい。
「…ごめんなさい。手間を取らせてしまったわね」
「いえいえ。…そのグレイって人、見つかるといいですね」
「えぇ。見つかることを、祈るわ…」
そう言ってサイア様は外に目線を向けた。かつて、星に祈りを捧げていた時のように。
「帰りはうちの黒服が家まで送ってくれるわ。エントランスまで行けば案内してくれるはずよ」
「わざわざありがとうございます。それじゃ」
サイア様、どうか貴方が良き運命を辿ることを心から祈っております…
俺は心の中で別れの挨拶を済ませると、足早にマンションを後にした。
「…白波」
「どうされましたか?」
「…転校の準備よ」
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