三十七

 玄を担いで病院まで走った岬は、玄が腎臓癌に冒されていることを医者に話した。

「刺し傷の治療のついでに、癌にやられてる腎臓を取ったってくれ」

 万が一、血が噴き出したら厄介だと思い、ナイフを抜かずに来たが、それを見た医者が驚き、事件性があるから警察へ通報すると言い出し、院長室へ逃げ込んだ。岬はすぐに追いかけ、白衣の襟元を鷲掴みにすると、

「その必要はない。難波署の立野も知ってる。すぐに手術してやってくれ!」

 と怒鳴るように言った。

「いや……しかし、そんなに簡単に癌の手術なんてできないですよ。何日も前からそれに備える必要がありますし、バイタルとか……」

「やかましい! 今、手術せんと、こいつは間違いなく逃げ出す。そうなると死んでしまう。とにかく早よせい! そして成功させろ! こいつを……玄を死なせたら……俺はおまえを殺すからな」

「……」

 医者はそれでも渋っていたが、人命救助が先だと考えたのか、玄を手術室に運ぶよう、看護師に指示した。

 岬が医者に、玄が腎臓癌の診断を受けた病院名を告げると、彼は電話をかけ始めた。看護師に促され、院長室を追い出される。岬は電話で何やら話している医者に叫んだ。

「おい、刺し傷はただのかすり傷や。まずは腎臓や。腎臓を取ったってくれ!」

 玄が富田に刺された時、岬はラッキーだと思った。

 もちろん、自分が刺されなかったからではない。これで、病院嫌いの玄を病院へ連れていくことができると思ったのだ。刺し傷が深くないことにも咄嗟に気づいていた。明らかに非力な富田、そして背中に刺さったおもちゃのようなナイフ。

「あんなもんで俺を殺そうとしたんか……舐められたもんやな」

 呟く。

 実際、玄の傷はたいしたことはないだろう。弱虫玄は、刺されたショックで気を失ったが……。

「せやけど、やっぱりアホやな、おまえは。こんな俺の身代わりになろうやなんて……なんぼ死を覚悟してるからいうて……」

 岬は手術室に入っていく医者の背中を見送った。

「!」

 もしかしたら、玄は、自らの命と引き換えに、富田を一生ブタ箱に入れようとしたのではないか。

「そうか……」

 それは、フクのためだ。富田をフクから一生引き離すためだ。

 岬は、なんとなくだが、玄のフクに対する気持ちに気づいていた。自分がそうだからよくわかる。

「あのアホ……アホのくせに、カッコつけやがって」

 岬は廊下のベンチに腰を下ろした。

 手術室のドアの上には、映画やドラマでよく見る手術中という表示灯があり、光が灯っていた。

 事務長と名乗る男が、手術の同意書を持ってやってきた。緊急手術であり、本人も意識を失っていたため、岬にサインしてくれと言う。岬は内容を一読した。

『万一発生した不可抗力の事態に対しては異議申し立ていたしません』という文言を二重線で消した上、サインした。

 事務長は困った顔をしていたが、黙って睨みつけるとすごすごと去っていった。

 岬はヒロシに電話をかけ、フクと立野に連絡してくれと言い、病院名を告げた。

 手術は長時間に渡った。やがてフクがやって来た。そして、富田の取り調べに立ち会っていたのか、三時間ほどしてようやく立野がやって来た。

 岬は二人に、玄が腎臓摘出の手術を受けていることを話した。二人は驚いたが、すぐに、岬が無理やり手術を敢行させたのだろうと考えたようで、納得の表情を浮かべた。

 フクの目は泣き腫らしたように真っ赤だったが、表情は吹っ切れたように晴れ晴れとしていた。敢えて富田の話はしない。立野も富田の件には触れなかった。

 立野が姿を見せてから約五時間後、やっと手術は終了した。

 手術室から医者が出てくる。岬は真っ先に駆け寄った。医者は、頬を引き攣らせながらも何とか笑顔をつくり、頷いた。

「ありがとう、先生。ありがとう」

 岬が頭を下げると、医者は一層頬を引き攣らせ、しきりに恐縮しながらも、玄の状態を説明してくれた。

 手術は成功し、癌はすべて取り去ったが、この一年間は、転移予防のために抗癌剤を服用する方が良いとのことだった。そして刺し傷の方もなんら問題なく、傷口もすぐに塞がるそうだ。

 玄は麻酔の影響もあり、眠ったままだが、三日もすれば面会が可能になるということだ。

「玄の家から寝間着やらタオルやらを取ってくるわ」

 そう言う岬に、フクが、

「今は入院セットがあるから、それにしよ。玄ちゃんも、自分の寝間着や下着を他人に洗濯されるのは嫌やろうから」

「……」

 あんたになら洗濯してもらいたいと思う、という言葉を岬は呑み込んだ。

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